礼記 / 曽子問
曾子問曰:「如已葬而世子生,則如之何?」孔子曰:「大宰、大宗從大祝而告于禰。三月,乃名于禰,以名徧告,及社稷、宗廟、山川。」 孔子曰:「諸侯適天子,必告于祖,奠于禰。冕而出視朝,命祝、史告于社稷、宗廟、山川。乃命國家五官而後行,道而出。告者五日而徧,過是,非禮也。凡告用牲、幣。反亦如之。諸侯相見,必告于禰,朝服而出視朝。命祝、史告于五廟、所過山川。亦命國家五官,道而出。反必親告于祖、禰。乃命祝、史告至于前所告者,而后聽朝而入。」
新字:曽子問曰:「如已葬而世子生,則如之何?」孔子曰:「大宰、大宗従大祝而告于祢。三月,乃名于祢,以名遍告,及社稷、宗廟、山川。」 孔子曰:「諸侯適天子,必告于祖,奠于祢。冕而出視朝,命祝、史告于社稷、宗廟、山川。乃命国家五官而後行,道而出。告者五日而遍,過是,非礼也。凡告用牲、幣。反亦如之。諸侯相見,必告于祢,朝服而出視朝。命祝、史告于五廟、所過山川。亦命国家五官,道而出。反必親告于祖、祢。乃命祝、史告至于前所告者,而后聴朝而入。」
書き下し
曾子問いて曰く、「如(も)し已に葬りて世子生まるれば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「大宰・大宗は大祝に従いて禰(でい)に告ぐ。三月にして、乃ち禰に名づけ、名を以て徧く告げ、社稷・宗廟・山川に及ぶ」と。 孔子曰く、「諸侯天子に適(ゆ)くには、必ず祖に告げ、禰に奠す。冕して出でて朝を視(み)、祝・史に命じて社稷・宗廟・山川に告げしむ。乃ち国家の五官に命じて而る後に行き、道(どう)して出づ。告ぐる者は五日にして徧くす。是れを過ぐるは、礼に非ざるなり。凡そ告ぐるには牲・幣を用う。反るも亦た之の如くす。諸侯相見るには、必ず禰に告げ、朝服して出でて朝を視る。祝・史に命じて五廟・過ぐる所の山川に告げしむ。亦た国家の五官に命じ、道して出づ。反れば必ず親ら祖・禰に告ぐ。乃ち祝・史に命じて前に告ぐる所の者に至るを告げしめ、而る后に朝を聴きて入る」と。
現代語訳
曾子が尋ねた。「もし君主をすでに葬ったあとで世継ぎの子が生まれたら、どうすればよいのでしょうか。」孔子は答えた。「大宰と大宗が大祝に従って、禰(でい、亡父を祀る廟)に誕生を告げる。三か月たったら、禰の廟で名をつけ、その名を広く告げ知らせ、社稷・宗廟・山川の神々にまで及ぼす。」 孔子は言った。「諸侯が天子のもとへ赴くときには、必ず祖先の廟に告げ、父の廟に供え物をする。冠と礼服を着けて出て朝廷の政務を見、祝と史に命じて社稷・宗廟・山川に告げさせる。そして国の五人の長官に留守中の政務を命じたうえで出発し、道祖神を祀ってから国を出る。告げて回る者は五日のうちにすべてを終える。これを過ぎるのは礼ではない。およそ告げるときには犠牲と絹を用いる。帰ってきたときも同じようにする。諸侯どうしが会見するときには、必ず父の廟に告げ、朝服を着て出て朝廷の政務を見る。祝と史に命じて五つの廟と、通過する土地の山川に告げさせる。やはり国の五人の長官に政務を命じ、道祖神を祀ってから国を出る。帰ってきたら必ず自ら祖先と父の廟に告げる。そして祝と史に命じて、出発のときに告げたすべての神々に帰着を告げさせ、そのあとで朝廷の政務を聴いてから奥へ入る。」
解説
この章句が説くこと
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「君薨(こう)じて世子生まるれば、之を如何(いかん)せん」と。孔子曰く、「卿・大夫・士は摂主(せっしゅ)に従いて西階の南に北面す。大祝(たいしゅく)は裨冕(ひべん)し、束帛(そくはく)を執り、西階より升り、等を尽くして、堂に升らず、哭する毋(な)からしむ。祝、声すること三たび、告げて曰く、『某の子生まる、敢えて告ぐ』と。升りて、幣を殯(ひん)の東の几上に奠(お)き、哭して降る。衆主人・卿・大夫・士・房中皆哭し、踊(よう)せず。一哀を尽くして、位に反る。遂に朝奠(ちょうてん)す。小宰升りて幣を挙ぐ。三日にして、衆主人・卿・大夫・士は初めの位の如くし、北面す。大宰・大宗・大祝皆裨冕す。少師(しょうし)子を奉ずるに衰(さい)を以てす。祝先んじ、子従い、宰・宗人従う。門に入れば、哭する者止み、子は西階より升る。殯前に北面す。祝は殯の東南隅に立つ。祝、声すること三たび、曰く、『某の子某、執事に従いて敢えて見(まみ)ゆ』と。子は拝して稽顙(けいそう)し、哭す。祝・宰・宗人・衆主人・卿・大夫・士哭し、踊すること三たびする者三たびにして、降り、東して位に反り、皆袒(たん)す。子踊し、房中も亦た踊すること三たびする者三たびなり。衰を襲(き)、杖つき、奠して出づ。大宰は祝・史に命じて名を以て徧(あまね)く五祀・山川に告げしむ」と。
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礼記・曽子問賤は貴を誄(るい)せず、幼は長を誄せざるは、礼なり。唯だ天子は天を称して以て之を誄す。諸侯相誄するは、礼に非ざるなり。 曾子問いて曰く、「君、疆(さかい)を出づるに、三年の戒を以てし、椑(へい)を以て従う。君薨ずれば、其の入ること之を如何せん」と。孔子曰く、「殯服を共(きょう)すれば、則ち子は麻の弁絰(べんてつ)、疏衰(そさい)、菲(ひ)、杖。闕(けつ)より入り、西階より升る。如し小斂すれば、則ち子は免(ぶん)して柩に従い、門より入り、阼階(そかい)より升る。君・大夫・士、一節なり」と。曾子問いて曰く、「君の喪既に引きて、父母の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「遂(と)ぐ。既に封(へん)して帰り、子を俟(ま)たず」と。曾子問いて曰く、「父母の喪既に引きて、塗に及び、君の薨を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「遂ぐ。既に封して、服を改めて往く」と。
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礼記・曽子問曾子曰く、「父母の喪、除かずして可ならんか」と。孔子曰く、「先王の礼を制するや、時を過ぐれば挙げざるは、礼なり。能わずして除く勿(な)きに非ざるなり、其の制を過ぐるを患うるなり。故に君子は時を過ぐれば祭らざるは、礼なり」と。 曾子問いて曰く、「君薨じて、既に殯し、而して臣に父母の喪有らば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「帰りて家に居り、殷事有れば、則ち君の所に之(ゆ)き、朝夕は否(しか)せず」と。曰く、「君既に啓して、而して臣に父母の喪有らば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「帰りて哭し、而して反りて君を送る」と。曰く、「君未だ殯せずして、而して臣に父母の喪有らば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「帰りて殯し、君の所に反り、殷事有れば則ち帰り、朝夕は否せず。大夫は、室老(しつろう)事を行い、士は、則ち子孫事を行う。大夫の内子(ないし)は、殷事有れば、亦た君の所に之き、朝夕は否せず」と。
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礼記・曽子問孔子曰く、「宗子は七十と雖も、主婦無きこと無し。宗子に非ずんば、主婦無しと雖も可なり」と。 曾子問いて曰く、「将に子に冠せんとし、冠者至り、揖譲(ゆうじょう)して入る。斉衰(しさい)・大功の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「内喪なれば則ち廃し、外喪なれば則ち冠して醴(れい)せず、饌(せん)を徹して埽(はら)い、位に即きて哭す。如し冠者未だ至らずんば、則ち廃す。如し将に子に冠せんとして未だ期日に及ばず、而して斉衰・大功・小功の喪有らば、則ち喪服に因りて冠す」と。「喪を除きて冠を改めざるか」と。孔子曰く、「天子、諸侯・大夫に冕弁(べんべん)の服を大廟に賜えば、帰りて奠を設け、賜服を服す。斯(ここ)に於いてか冠醮(かんしょう)有りて、冠醴無し。父没して冠すれば、則ち已に冠して地を埽いて禰に祭る。已に祭りて伯父叔父に見え、而る后に冠者を饗す」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「宗子去りて他国に在り、庶子爵無くして居る者は、以て祭るべきか」と。孔子曰く、「祭らんかな」と。「請い問う、其の祭や之を如何せん」と。孔子曰く、「墓を望みて壇を為り、時を以て祭る。若し宗子死すれば、墓に告げて而る后に家に祭る。宗子死すれば、名を称して『孝』と言わず、身没するのみ。子游の徒、庶子の祭る者有り、此を以て義に若(したが)うなり。今の祭る者は、其の義を首(もと)づかず、故に祭に誣(し)うるなり」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「祭に当たりて日食し、大廟の火あれば、其の祭や之を如何せん」と。孔子曰く、「接祭(せっさい)するのみ。如し牲至りて未だ殺さずんば、則ち廃す」と。 天子崩じて、未だ殯せざれば、五祀の祭は行わず。既に殯して祭るに、其の祭や、尸(し)入り、三飯して、侑(すす)めず、酳(いん)して酢(さく)せざるのみ。啓より反哭に至るまで、五祀の祭は行わず。已に葬りて祭るには、祝畢(ことごと)く献ずるのみ。
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