礼記 / 曽子問
曾子問曰:「親迎,女在塗,而壻之父母死,如之何?」孔子曰:「女改服,布深衣,縞總,以趨喪。女在塗,而女之父母死,則女反。」「如壻親迎,女未至,而有齊衰、大功之喪,則如之何?」孔子曰:「男不入,改服於外次;女入,改服於內次;然後即位而哭。」曾子問曰:「除喪則不復昏禮乎?」孔子曰:「祭,過時不祭,禮也;又何反於初?」
新字:曽子問曰:「親迎,女在塗,而壻之父母死,如之何?」孔子曰:「女改服,布深衣,縞総,以趨喪。女在塗,而女之父母死,則女反。」「如壻親迎,女未至,而有斉衰、大功之喪,則如之何?」孔子曰:「男不入,改服於外次;女入,改服於内次;然後即位而哭。」曽子問曰:「除喪則不復昏礼乎?」孔子曰:「祭,過時不祭,礼也;又何反於初?」
書き下し
曾子問いて曰く、「親迎(しんげい)して、女、塗(みち)に在りて、壻の父母死すれば、之を如何せん」と。孔子曰く、「女は服を改め、布の深衣、縞総(こうそう)して、以て喪に趨(おもむ)く。女、塗に在りて、女の父母死すれば、則ち女は反る」と。「如し壻親迎して、女未だ至らずして、斉衰・大功の喪有らば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「男は入らずして、服を外次に改め、女は入りて、服を内次に改め、然る後に位に即きて哭す」と。曾子問いて曰く、「喪を除けば則ち昏礼を復せざるか」と。孔子曰く、「祭は、時を過ぐれば祭らざる、礼なり。又何ぞ初めに反らん」と。
現代語訳
曾子が尋ねた。「婿が自ら花嫁を迎えに行き、花嫁が道中にあるうちに婿の父母が亡くなったら、どうすればよいのでしょうか。」孔子は答えた。「花嫁は服を改め、麻布の深衣(しんい、上下続きの衣)を着て、白絹で髪を束ね、そのまま喪の場へ駆けつける。花嫁が道中にあるうちに花嫁自身の父母が亡くなったら、花嫁は実家へ引き返す。」曾子「婿が自ら迎えに行き、花嫁がまだ婿の家に着かないうちに、斉衰や大功の喪が起きたら、どうすればよいのでしょうか。」孔子は答えた。「男は家に入らず、門外の仮小屋で服を改め、女は家に入って、内の仮小屋で服を改め、そのあとで所定の位置について哭する。」曾子が尋ねた。「喪が明けたら、婚礼をやり直さないのですか。」孔子は答えた。「祭りでさえ、時期を過ぎたら行わないのが礼である。どうして婚礼を初めからやり直すことがあろうか。」
解説
この章句が説くこと
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「相識(そうしき)、喪服有りて以て祭に与るべきか」と。孔子曰く、「緦(し)には祭らず、又何ぞ人を助けん」と。 曾子問いて曰く、「喪服を廃して、以て饋奠の事に与るべきか」と。孔子曰く、「衰を説(ぬ)ぎて奠に与るは、礼に非ざるなり。以て擯相(ひんしょう)するは可なり」と。 曾子問いて曰く、「昏礼既に納幣(のうへい)して、吉日有り、女の父母死すれば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「壻(むこ)は人をして弔わしむ。如し壻の父母死すれば、則ち女の家も亦た人をして弔わしむ。父の喪には父と称し、母の喪には母と称す。父母在らざれば、則ち伯父世母と称す。壻、已に葬れば、壻の伯父、命を女氏に致して曰く、『某の子、父母の喪有りて、嗣ぎて兄弟と為るを得ず、某をして命を致さしむ』と。女氏許諾して、敢えて嫁がざるは、礼なり。壻、喪を免(まぬか)るれば、女の父母人をして請わしむ。壻取らずして、而る后に之を嫁がしむるは、礼なり。女の父母死すれば、壻も亦た之の如くす」と。
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礼記・曽子問曾子曰く、「父母の喪、除かずして可ならんか」と。孔子曰く、「先王の礼を制するや、時を過ぐれば挙げざるは、礼なり。能わずして除く勿(な)きに非ざるなり、其の制を過ぐるを患うるなり。故に君子は時を過ぐれば祭らざるは、礼なり」と。 曾子問いて曰く、「君薨じて、既に殯し、而して臣に父母の喪有らば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「帰りて家に居り、殷事有れば、則ち君の所に之(ゆ)き、朝夕は否(しか)せず」と。曰く、「君既に啓して、而して臣に父母の喪有らば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「帰りて哭し、而して反りて君を送る」と。曰く、「君未だ殯せずして、而して臣に父母の喪有らば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「帰りて殯し、君の所に反り、殷事有れば則ち帰り、朝夕は否せず。大夫は、室老(しつろう)事を行い、士は、則ち子孫事を行う。大夫の内子(ないし)は、殷事有れば、亦た君の所に之き、朝夕は否せず」と。
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礼記・曽子問孔子曰く、「女を嫁がしむるの家は、三夜燭を息(や)めず、相離るるを思えばなり。婦を取るの家は、三日楽を挙げず、親を嗣ぐを思えばなり。三月にして廟見(びょうけん)し、『来婦』と称す。日を択びて禰に祭るは、婦を成すの義なり」と。 曾子問いて曰く、「女、未だ廟見せずして死すれば、則ち之を如何せん」と。孔子曰く、「祖に遷さず、皇姑(こうこ)に祔(ふ)せず、壻は杖つかず、菲(ひ)せず、次(じ)せず、女氏の党に帰葬し、未だ婦と成らざるを示すなり」と。
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礼記・曽子問孔子曰く、「宗子は七十と雖も、主婦無きこと無し。宗子に非ずんば、主婦無しと雖も可なり」と。 曾子問いて曰く、「将に子に冠せんとし、冠者至り、揖譲(ゆうじょう)して入る。斉衰(しさい)・大功の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「内喪なれば則ち廃し、外喪なれば則ち冠して醴(れい)せず、饌(せん)を徹して埽(はら)い、位に即きて哭す。如し冠者未だ至らずんば、則ち廃す。如し将に子に冠せんとして未だ期日に及ばず、而して斉衰・大功・小功の喪有らば、則ち喪服に因りて冠す」と。「喪を除きて冠を改めざるか」と。孔子曰く、「天子、諸侯・大夫に冕弁(べんべん)の服を大廟に賜えば、帰りて奠を設け、賜服を服す。斯(ここ)に於いてか冠醮(かんしょう)有りて、冠醴無し。父没して冠すれば、則ち已に冠して地を埽いて禰に祭る。已に祭りて伯父叔父に見え、而る后に冠者を饗す」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「諸侯の社稷を祭るに、俎豆(そとう)既に陳ね、天子の崩、后の喪、君の薨、夫人の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「廃す。薨より殯に比(およ)ぶまで、啓より反哭に至るまで、天子に奉帥(ほうすい)す」と。 曾子問いて曰く、「大夫の祭、鼎(かなえ)・俎既に陳ね、籩(へん)・豆既に設け、礼を成すを得ず、廃する者幾ばくぞ」と。孔子曰く、「九」と。之を請い問う。曰く、「天子崩じ、后の喪、君薨じ、夫人の喪、君の大廟の火、日食、三年の喪、斉衰、大功には、皆廃す。外喪は斉衰より以下行うなり。其の斉衰の祭や、尸入り、三飯して、侑めず、酳して酢せざるのみ。大功には、酢するのみ。小功・緦には、室中の事のみ。士の異なる所以の者は、緦には祭らず。祭る所、死者に於いて服無ければ、則ち祭る」と。曾子問いて曰く、「三年の喪に、弔うか」と。孔子曰く、「三年の喪は、練して、群立せず、旅行せず。君子は礼以て情を飾る。三年の喪にして弔哭するは、亦た虚ならずや」と。曾子問いて曰く、「大夫士に私喪有り、以て之を除くべきに、而も君服有らば、其の之を除くや之を如何せん」と。孔子曰く、「君の喪服身に有れば、敢えて私服せず、又何ぞ除かん。是に於いてか時を過ぐるも除かざること有るなり。君の喪服除きて而る后に殷祭(いんさい)するは、礼なり」と。
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礼記・曽子問曾子問いて曰く、「女を取るに吉日有りて女死すれば、之を如何せん」と。孔子曰く、「壻は斉衰して弔い、既に葬りて之を除く。夫死すれば亦た之の如くす」と。曾子問いて曰く、「喪に二孤有り、廟に二主有るは、礼か」と。孔子曰く、「天に二日無く、土に二王無し。嘗(しょう)・禘(てい)・郊・社は、尊に二上無し。未だ其の礼為るを知らざるなり。昔者、斉の桓公亟(しばしば)兵を挙げ、偽主(ぎしゅ)を作りて以て行く。反るに及びて、諸を祖廟に蔵す。廟に二主有るは、桓公より始まるなり。喪の二孤は、則ち昔者衛の霊公魯に適き、季桓子の喪に遭う。衛君弔わんことを請い、哀公辞すれども、命を得ず、公主と為り、客入りて弔う。康子は門の右に立ち、北面す。公は揖譲して東階より升り、西郷す。客は西階より升りて弔う。公拝し、興(た)ちて哭す。康子は位に拝して稽顙し、有司辯ぜざるなり。今の二孤は、季康子の過ちよりするなり」と。
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