礼記 / 月令
飭喪紀,辨衣裳,審棺椁之薄厚,塋、丘壟之大小、高卑、厚薄之度,貴賤之等級。 是月也,命工師效功,陳祭器,按度程。毋或作為淫巧以蕩上心。必功致為上。物勒工名,以考其誠。功有不當,必行其罪,以窮其情。
新字:飭喪紀,弁衣裳,審棺椁之薄厚,塋、丘壟之大小、高卑、厚薄之度,貴賤之等級。 是月也,命工師効功,陳祭器,按度程。毋或作為淫巧以蕩上心。必功致為上。物勒工名,以考其誠。功有不当,必行其罪,以窮其情。
書き下し
喪紀を飭(ととの)え、衣裳を弁じ、棺椁(かんかく)の薄厚、塋(えい)・丘壟(きゅうろう)の大小・高卑・厚薄の度、貴賤の等級を審らかにす。 是の月や、工師に命じて功を効(いた)さしめ、祭器を陳(つら)ね、度程を按ず。或いは淫巧を作為して以て上の心を蕩かすこと毋かれ。必ず功致(こうち)を上と為す。物に工の名を勒(ろく)し、以て其の誠を考う。功当たらざること有らば、必ず其の罪を行い、以て其の情を窮む。
現代語訳
喪礼の規定を整え、喪服の区別を明らかにし、棺と外棺(椁)の板の厚さ、墓地・墳丘の大きさ・高さ・厚さの基準を、身分の上下の等級に応じて詳しく定める。 この月、工師に命じて工人たちの仕事の成果を差し出させ、祭器を並べて、寸法や規格を調べさせる。度を過ぎた巧みな細工を作って、君主の心を惑わせてはならない。必ず作りが堅く緻密なものを最上とする。器物には作った工人の名を刻ませ、その仕事が誠実であったかを調べる。仕事に不相応な点があれば、必ずその罪を罰し、手抜きの実情を突き止める。
解説
孟冬に喪礼の規定を整えることと、工人の仕事を検査することを述べる段である。死と終わりに配される冬に、喪服の区別や棺椁の厚さ、墓の大きさや高さの基準を身分に応じて定め直すのは、季節の性格に合った仕事である。後半では工師に命じて一年の仕事の成果を差し出させ、祭器の寸法や規格を調べさせる。特に重要なのは、器物に作った工人の名を刻ませ、その仕事が誠実であったかを確かめるという定めである。戦国時代の秦の兵器などには、監督者や工人の名を刻んだものが実際に出土しており、この制度が現実に行われていたことを示している。作り手の名を記して責任の所在を明らかにするという考えは、今日の製品の品質保証や、仕事に署名して責任を負う姿勢にそのまま通じている。
この章句が説くこと
礼記月令喪礼責任品質
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