導師導古典を学びたいすべての人に

礼記 / 檀弓下

魯人有周豐也者,哀公執摯請見之。而曰「不可」。公曰:「我其已夫。」使人問焉。曰:「有虞氏未施信於民而民信之,夏后氏未施敬於民而民敬之,何施而得斯於民也?」對曰:「墟墓之間,未施哀於民而民哀;社稷宗廟之中,未施敬於民而民敬。殷人作誓而民始畔,周人作會而民始疑。苟無禮義、忠信、誠愨之心以涖之,雖固結之,民其不解乎?」

新字:魯人有周豊也者,哀公執摯請見之。而曰「不可」。公曰:「我其已夫。」使人問焉。曰:「有虞氏未施信於民而民信之,夏后氏未施敬於民而民敬之,何施而得斯於民也?」対曰:「墟墓之間,未施哀於民而民哀;社稷宗廟之中,未施敬於民而民敬。殷人作誓而民始畔,周人作会而民始疑。苟無礼義、忠信、誠愨之心以涖之,雖固結之,民其不解乎?」

書き下し

魯人に周豊なる者有り、哀公摯(し)を執りてこれに見えんことを請う。而して曰く「不可なり」と。公曰く、「我其れ已(や)まんか」と。人をしてこれに問わしめて曰く、「有虞氏は未だ信を民に施さずして民これを信じ、夏后氏は未だ敬を民に施さずして民これを敬す。何を施してか斯を民に得たる」と。対えて曰く、「墟墓(きょぼ)の間には、未だ哀を民に施さずして民哀しむ。社稷宗廟の中には、未だ敬を民に施さずして民敬す。殷人誓(ちかい)を作りて民始めて畔(そむ)き、周人会(めい)を作りて民始めて疑う。苟(いやし)くも礼義・忠信・誠愨(せいかく)の心以てこれに涖(のぞ)むこと無くんば、固くこれを結ぶと雖も、民其れ解けざらんや」と。

現代語訳

魯の人に周豊(しゅうほう)という隠れた賢者がいた。哀公は礼物(摯、し)を手にして会いたいと申し入れたが、周豊は「なりません」と断った。哀公は「それでは、あきらめるほかないか」と言い、人をやって尋ねさせた。「有虞氏(ゆうぐし、舜の時代)は民に信義を強いなかったのに民は君を信じ、夏后氏(夏の王朝)は民に敬うよう強いなかったのに民は君を敬った。何を施して、民からそのような心を得たのでしょうか」。 周豊は答えた。「廃墟や墓地のあたりでは、誰も民に哀しめと教えなくても、民はおのずと哀しみます。社稷や宗廟の中では、誰も民に敬えと教えなくても、民はおのずと敬います。殷の人々が誓いの言葉を作ってから民は背き始め、周の人々が盟約を結ぶようになってから民は疑い始めました。もし礼義・忠信・誠実な心をもって民に臨むことがなければ、どれほど固く約束で縛りつけても、民の心はほどけてしまうのではないでしょうか」。

解説

民の信頼はどこから生まれるかを語った段である。哀公は在野の賢者周豊に礼物を携えて面会を求めた。鄭玄は、賢者にへりくだったのであり、諸侯が禽の摯を用いたのは尊を降して卑に就く意だと注する。周豊は会うことは断ったが、使者を通じての問いには答えた。墓の前では誰に教えられなくとも人は哀しみ、宗廟では誰に命じられなくとも人は敬う。心は場と振る舞いに感応して自然に起こるのだという。反対に、誓いや盟約で民を縛るようになってから、背く者や疑う者が出てきた。鄭玄は、盟誓は信によって人々を結ぶためのものだが、のちには外の形に頼るばかりで信が心から出なくなったので、民は背き疑ったのだと注する。信頼は契約書や誓約によって作られるのではなく、治める者の礼義と誠実から生まれる。規則や誓約書が増えるほど、かえって信頼の欠如が露わになるという逆説は、今の組織運営にも当てはまる。ルールで縛る前に、上に立つ者の誠実さが問われるのである。

この章句が説くこと

礼記信頼誠実周豊統治

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る