礼記 / 檀弓上
孔子之喪,有自燕來觀者,舍于子夏氏。子夏曰:「聖人之葬人與?人之葬聖人也。子何觀焉?昔者夫子言之曰:『吾見封之若堂者矣,見若坊者矣,見若覆夏屋者矣,見若斧者矣。』從若斧者焉。馬鬣封之謂也。今一日而三斬板,而已封,尚行夫子之志乎哉!」
新字:孔子之喪,有自燕来観者,舎于子夏氏。子夏曰:「聖人之葬人与?人之葬聖人也。子何観焉?昔者夫子言之曰:『吾見封之若堂者矣,見若坊者矣,見若覆夏屋者矣,見若斧者矣。』従若斧者焉。馬鬣封之謂也。今一日而三斬板,而已封,尚行夫子之志乎哉!」
書き下し
孔子の喪に、燕より来たりて観る者有り、子夏氏に舎(やど)る。子夏曰く、「聖人の人を葬るか、人の聖人を葬るなり。子何をか観ん。昔者(むかし)夫子これを言いて曰く、『吾封(ほう)の堂の若き者を見たり、坊の若き者を見たり、夏屋(かおく)を覆うが若き者を見たり、斧の若き者を見たり』と。斧の若き者に従う。馬鬣封(ばりょうほう)の謂いなり。今一日にして三たび板を斬りて、已に封ず、尚(こいねが)わくは夫子の志を行えるかな」と。
現代語訳
孔子の葬儀のとき、遠く燕(えん)の国から見物に来た者があり、子夏の家に泊まった。子夏は言った。「これは聖人が人を葬るのであろうか。いや、人が聖人を葬るのである。あなたは何を見ようというのか。かつて先生はこう言われた。『私は、堂の基壇のように四角く高い墳丘を見たことがある。堤のように横に長いものを見たことがある。大きな家の屋根をかぶせたようなものを見たことがある。斧の刃のように上が狭く細長いものを見たことがある』。そして先生は斧の刃のような形がよいとされた。世にいう馬鬣封(ばりょうほう、馬のたてがみのように細長く盛った墳丘)のことである。いま、一日のうちに三度、板を立て土を築いては縄を断って板を上げ、それで墳丘を築き終えた。いくらかでも先生の志を行うことができたのではなかろうか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・終記解孔子の喪、公西(公西赤)殯葬を掌る。唅(がん)するに疏米三具を以てし、襲衣十有一稱、朝服一を加え、章甫の冠を冠らしめ、象環を佩びしむ、徑五寸にして綦組の綬。桐棺四寸、柏棺五寸、廟を飭(ととの)え翣(さつ)を置き、披を設くるは周なり。崇を設くるは殷なり。綢練して旐(ちょう)を設くるは夏なり。三王の禮を兼ね用うるは、師を尊ぶ所以にして、且つ古を備うるなり。魯城の北、泗水の上に葬る。藏を地に入れ、泉に及ばずして封じ、偃斧の形を為す、高さ四尺、松柏を樹てて誌と為す。弟子皆墓に家し、心喪の禮を行う。既に葬るや、燕自り來たりて觀る者有り、子夏氏に舍る。子貢之に謂いて曰く、「吾も亦人の葬、聖人は聖人の葬に非ず、人子奚ぞ觀んや。昔、夫子言えること有り、曰く、『吾が封を見て夏屋の若き者は、斧の若きを見ん。斧の若きに從う者なり、馬鬣とは、封の謂いなり。』今徒(た)だ一日に三たび板を斬りて以て封ず、尚お夫子の志を行うのみ、何ぞ觀んや。」
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礼記・檀弓上子夏諸(これ)を夫子に問いて曰く、「君の母と妻との喪に居らんには」と。「居処、言語、飲食衎爾(かんじ)たれ」と。 賓客至りて、館する所無し。夫子曰く、「生きては我に於いて館せよ、死しては我に於いて殯(ひん)せよ」と。 国子高曰く、「葬なる者は、蔵(かく)すなり。蔵す者は、人の見るを得ざらんことを欲するなり。是の故に、衣は以て身を飾るに足り、棺は衣を周(めぐ)り、椁(かく)は棺を周り、土は椁を周る。反(かえ)って壌して之に樹(う)えんや」と。
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礼記・檀弓上孔子の喪に、公西赤これが志(し)を為す。棺を飾り、牆(しょう)・置翣(ちそう)・設披(せつひ)は、周なり。設崇(せつすう)は、殷なり。綢練(ちゅうれん)・設旐(せつちょう)は、夏なり。 子張の喪に、公明儀これが志を為す。褚幕(ちょばく)丹質、蟻結(ぎけつ)四隅に于(おい)てす。殷士なり。 子夏孔子に問いて曰く、「父母の仇に居ること如何」と。夫子曰く、「苫(せん)に寝ね干(たて)を枕にし、仕えず、与(とも)に天下を共にせざるなり。諸(これ)に市朝に遇わば、兵を反(かえ)さずして闘う」と。曰く、「請い問う、昆弟の仇に居ること如何」と。曰く、「仕うれども与に国を共にせず。君命を銜(ふく)みて使いすれば、これに遇うと雖も闘わず」と。曰く、「請い問う、従父昆弟の仇に居ること如何」と。曰く、「魁(かい)と為らず。主人能くすれば、則ち兵を執りて其の後に陪す」と。
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礼記・檀弓上孔子の喪に、二三子皆絰(てつ)して出ず。群居すれば則ち絰し、出ずれば則ち否(しか)らず。 墓を易(おさ)むるは、古に非ざるなり。 子路曰く、「吾諸を夫子に聞く。『喪礼は、其の哀足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして哀余り有るに若(し)かざるなり。祭礼は、其の敬足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして敬余り有るに若かざるなり』と」と。
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礼記・檀弓上孔子曰く、「拝して後に稽顙(けいそう)するは、頽(たい)乎として其れ順なり。稽顙して後に拝するは、頎(き)乎として其れ至れり。三年の喪は、吾其の至れる者に従わん」と。 孔子既に防に合葬することを得て、曰く、「吾これを聞く、古や墓して墳せず。今丘や、東西南北の人なり、以て識(しる)さざるべからざるなり」と。是に於いてこれを封じ、崇(たか)さ四尺。孔子先ず反り、門人後る。雨甚だし。至る。孔子問うて曰く、「爾(なんじ)来ること何ぞ遅きや」と。曰く、「防の墓崩る」と。孔子応ぜず。三たびす。孔子泫然(げんぜん)として涕(なみだ)を流して曰く、「吾これを聞く、古は墓を脩(おさ)めず」と。
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孔子家語・曲禮子貢問孔子、衛に在り、司徒敬之卒す、夫子弔う。主人哀しまず、夫子哭すること声を尽くさずして退く。璩伯玉請いて曰く、「衛の鄙俗は喪礼を習わず、吾が子を煩わして辱じけなくも相たらしめん」と。孔子之を許し、中溜を掘りて浴せしめ、竈を毀ちて足を綴らしめ、床に襲す。葬に及びて、宗を毀ちて行くなり、大門を出で、墓に及びて、男子は西面し、婦人は東面し、既に封じて帰る、殷の道なり。孔子之を行う。子遊問いて曰く、「君子礼を行うに、俗を変ずるを求めず。夫子之を変ぜり」と。孔子曰く、「此を之謂うに非ざるなり、喪事は則ち其の質に従うのみ」と。
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