孔子家語 / 曲禮子貢問
孔子在衛,司徒敬之卒,夫子弔焉。主人不哀,夫子哭不盡聲而退。璩伯玉請曰:「衛鄙俗不習喪禮,煩吾子辱相焉。」孔子許之,掘中溜而浴,毀竈而綴足,襲於床。及葬,毀宗而行也,出於大門,及墓,男子西面,婦人東面,既封而歸,殷道也。孔子行之。子遊問曰:「君子行禮,不求變俗。夫子變之矣。」孔子曰:「非此之謂也,喪事則從其質而已矣。」
新字:孔子在衛,司徒敬之卒,夫子弔焉。主人不哀,夫子哭不尽声而退。璩伯玉請曰:「衛鄙俗不習喪礼,煩吾子辱相焉。」孔子許之,掘中溜而浴,毀竈而綴足,襲於床。及葬,毀宗而行也,出於大門,及墓,男子西面,婦人東面,既封而帰,殷道也。孔子行之。子遊問曰:「君子行礼,不求変俗。夫子変之矣。」孔子曰:「非此之謂也,喪事則従其質而已矣。」
書き下し
孔子、衛に在り、司徒敬之卒す、夫子弔う。主人哀しまず、夫子哭すること声を尽くさずして退く。璩伯玉請いて曰く、「衛の鄙俗は喪礼を習わず、吾が子を煩わして辱じけなくも相たらしめん」と。孔子之を許し、中溜を掘りて浴せしめ、竈を毀ちて足を綴らしめ、床に襲す。葬に及びて、宗を毀ちて行くなり、大門を出で、墓に及びて、男子は西面し、婦人は東面し、既に封じて帰る、殷の道なり。孔子之を行う。子遊問いて曰く、「君子礼を行うに、俗を変ずるを求めず。夫子之を変ぜり」と。孔子曰く、「此を之謂うに非ざるなり、喪事は則ち其の質に従うのみ」と。
現代語訳
孔子が衛にいたとき、司徒の敬之が亡くなり、孔子は弔問した。喪主が悲しんでいる様子がなかったので、孔子は声を出し尽くさずに(儀礼どおりに泣ききらずに)退出した。璩伯玉が「衛の田舎の習俗では喪礼に慣れておりません。お手数ですが先生に葬儀を取り仕切っていただきたい」と願い出た。孔子はこれを承知し、部屋の中央を掘って遺体を沐浴させ、竈を壊してその材で足を整え、寝台の上で死装束を着せた。葬送の際には、廟の壁を壊して棺を運び出し、正門から出し、墓に着くと男は西を向き女は東を向いて立ち、埋葬を終えて帰った。これは殷の作法であり、孔子はこれに従って執り行った。子遊が「君子は礼を行うにあたり、土地の習俗を変えようとはしないものです。それなのに先生は習俗を変えられました」と尋ねた。孔子は答えた。「そういうことを言っているのではない。喪の事は、その質実さに従うだけのことだ。」
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・曲禮子貢問子遊、喪の具を問う。孔子曰く、「家の有亡に称う」と。子遊曰く、「有亡は焉くにか斉しからん」と。孔子曰く、「有らば、則ち礼に過ぐる無かれ。苟くも亡くんば、則ち手足の形を斂め、還葬して棺を懸けて封ず、人豈に之を非とする者有らんや。故に夫れ喪亡には、其の哀足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして哀余り有るに若かざるなり。祭祀には、其の敬足らずして礼余り有らんよりは、礼足らずして敬余り有るに若かざるなり」と。
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孔子家語・曲禮子貢問伯高、衛に死す、孔子に赴す。子曰く、「吾悪くにか諸を哭せん、兄弟は吾諸を廟に哭し、父の友は吾諸を廟門の外に哭し、師は吾之を寝に哭し、朋友は吾之を寝門の外に哭し、知る所は吾之を野に哭す、今野に於てすれば則ち已に疏く、寝に於てすれば則ち已に重し、夫れ賜に由りて我に見ゆ、吾賜氏に於て哭せん」と。遂に子貢に命じて之が主為らしむ。曰く、「爾が為に哭するや、来る者は汝之を拝せよ。伯高を知りて来る者は、汝拝すること勿かれ」と。既に哭するや、子張をして往きて吊わしむ、未だ至らざるに、冉求衛に在り、束帛乗馬を摂りて以て之を将う。孔子之を聞きて曰く、「異なるかな。徒に我をして伯高に礼を成さざらしむる者は、是れ冉求なり」と。
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孔子家語・終記解孔子の喪、公西(公西赤)殯葬を掌る。唅(がん)するに疏米三具を以てし、襲衣十有一稱、朝服一を加え、章甫の冠を冠らしめ、象環を佩びしむ、徑五寸にして綦組の綬。桐棺四寸、柏棺五寸、廟を飭(ととの)え翣(さつ)を置き、披を設くるは周なり。崇を設くるは殷なり。綢練して旐(ちょう)を設くるは夏なり。三王の禮を兼ね用うるは、師を尊ぶ所以にして、且つ古を備うるなり。魯城の北、泗水の上に葬る。藏を地に入れ、泉に及ばずして封じ、偃斧の形を為す、高さ四尺、松柏を樹てて誌と為す。弟子皆墓に家し、心喪の禮を行う。既に葬るや、燕自り來たりて觀る者有り、子夏氏に舍る。子貢之に謂いて曰く、「吾も亦人の葬、聖人は聖人の葬に非ず、人子奚ぞ觀んや。昔、夫子言えること有り、曰く、『吾が封を見て夏屋の若き者は、斧の若きを見ん。斧の若きに從う者なり、馬鬣とは、封の謂いなり。』今徒(た)だ一日に三たび板を斬りて以て封ず、尚お夫子の志を行うのみ、何ぞ觀んや。」
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孔子家語・曲禮子夏問孔子、衛に適き、旧館人の喪に遇い、入りて之を哭して哀しむ。出でて子貢をして驂を脱がしめて以て之に贈らしむ。子貢曰く、「識る所の喪に於て、贈る所有る能わず、旧館に贈るは、已に多からずや」と。孔子曰く、「吾向に入りて之を哭す、一哀に遇いて涕を出だす、吾夫の涕して以て之を将うる無きを悪む、小子行え」と。
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