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礼記 / 曲礼下

國君死社稷,大夫死眾,士死制。 君天下,曰「天子」。朝諸侯、分職、授政、任功,曰「予一人」。踐阼,臨祭祀:內事曰「孝王某」,外事曰「嗣王某」。臨諸侯,畛於鬼神,曰「有天王某甫」。崩,曰「天王崩」。復,曰「天子復」矣。告喪,曰「天王登假」。措之廟,立之主,曰「帝」。天子未除喪,曰「予小子」。生名之,死亦名之。

新字:国君死社稷,大夫死衆,士死制。 君天下,曰「天子」。朝諸侯、分職、授政、任功,曰「予一人」。践阼,臨祭祀:内事曰「孝王某」,外事曰「嗣王某」。臨諸侯,畛於鬼神,曰「有天王某甫」。崩,曰「天王崩」。復,曰「天子復」矣。告喪,曰「天王登仮」。措之廟,立之主,曰「帝」。天子未除喪,曰「予小子」。生名之,死亦名之。

書き下し

国君は社稷に死し、大夫は衆に死し、士は制に死す。 天下に君たるを、「天子」と曰う。諸侯を朝せしめ、職を分かち、政を授け、功に任ずるには、「予一人」と曰う。阼(そ)を践み、祭祀に臨むには、内事には「孝王某」と曰い、外事には「嗣王某」と曰う。諸侯に臨み、鬼神に畛(つ)ぐるには、「有天王某甫(ほ)」と曰う。崩ずれば、「天王崩ず」と曰う。復するには、「天子復(かえ)れ」と曰う。喪を告ぐるには、「天王登假(とうか)す」と曰う。これを廟に措き、これが主を立つれば、「帝」と曰う。天子未だ喪を除かざれば、「予小子」と曰う。生きてこれに名づけ、死して亦たこれに名づく。

現代語訳

国君は国の社稷を守って死に、大夫は率いる軍勢とともに死に、士は君から命じられた務めのために死ぬ。 天下に君臨する者を「天子」という。諸侯を朝見させ、職務を分け与え、政務を授け、功ある者を任用するときには、自らを「予一人(われ一人)」と称する。位に就いて祭祀を執り行うとき、宗廟の祭りでは「孝王某」と称し、天地や山川の祭りでは「嗣王某」と称する。諸侯のもとに臨んで、その地の鬼神に告げるときには「有天王某甫」と称する。亡くなると「天王崩ず」という。魂を呼び戻す復の儀では「天子よ、お戻りください」と呼ぶ。諸侯に喪を告げるときは「天王登假す(天に昇った)」という。亡くなった天子を廟に祀り、位牌を立てると「帝」と呼ぶ。天子が父の喪を終えないうちは、自らを「予小子」と称する。生前にそう称し、死後もその称のままで呼ぶ。

解説

前半は身分ごとに命をかけて守るべきもの、後半は天子の称号の使い分けを定めた段である。「国君は社稷に死し、大夫は衆に死し、士は制に死す」は、それぞれの立場が最後まで守るべきものを示す句である。鄭玄は、衆とは君の軍を指し、制とは君の教令によって命じられた務めを指すと注している。国君は国と運命をともにし、大夫は率いる軍勢と、士は与えられた任務と運命をともにする。責任の範囲を身分に応じて明確に定めているのである。後半では、天子が場面によって「天子」「予一人」「孝王某」「嗣王某」などと呼び名を変えることが列挙されている。天下に臨むとき、諸侯に政を授けるとき、宗廟を祭るとき、天地を祭るとき、そして死後と、同じ人物が関係する相手と場に応じて異なる名で現れる。廟に祀られて「帝」と呼ぶことについて、鄭玄は天神と同じくするためだと注している。立場ごとに最後まで引き受けるべき責任があるという考えは、今の組織における役職の重みを考えるうえでも示唆がある。

この章句が説くこと

礼記天子称号責任曲礼

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