武士訓 / 卷一・第4段
世俗の說に。われは武人なり。武をこそ專らにすべけれ。文はまなぶにたらずといふは。武の本意をしらざるなり。文武は。車の兩輪のごとく。鳥の二翼にひとしければ。かた〳〵かけてはたちがたし。邵堯夫文武吟にも。旣爲文士。必有武備。文武之道。皆我家事と賦せり。但し文武をまなぶに。まづ文學をすゝめて忠孝の道をさとしめ。其のちに武術をならはすべし。武術を前にして。文學を後にすることなかれ。許棐氏が語に。讀孔孟之書而不嗜殺人者。未爲仁人也。讀孫吳之書而不嗜殺人者。仁人也とあるを考べし。軍學すらすでにしかり。况や其以下の小藝をや。文學は木の根本のごとく。諸藝は枝葉にひとしといへり。幼より文學をせざるうちに。外の藝にわたれば。事によりて。先入主となりて。害をまうくることも多しとなむ。
新字:世俗の説に。われは武人なり。武をこそ専らにすべけれ。文はまなぶにたらずといふは。武の本意をしらざるなり。文武は。車の両輪のごとく。鳥の二翼にひとしければ。かた〳〵かけてはたちがたし。邵堯夫文武吟にも。既為文士。必有武備。文武之道。皆我家事と賦せり。但し文武をまなぶに。まづ文学をすゝめて忠孝の道をさとしめ。其のちに武術をならはすべし。武術を前にして。文学を後にすることなかれ。許棐氏が語に。読孔孟之書而不嗜殺人者。未為仁人也。読孫呉之書而不嗜殺人者。仁人也とあるを考べし。軍学すらすでにしかり。況や其以下の小芸をや。文学は木の根本のごとく。諸芸は枝葉にひとしといへり。幼より文学をせざるうちに。外の芸にわたれば。事によりて。先入主となりて。害をまうくることも多しとなむ。
書き下し
世俗の說に。われは武人なり。武をこそ專らにすべけれ。文はまなぶにたらずといふは。武の本意をしらざるなり。文武は。車の兩輪のごとく。鳥の二翼にひとしければ。かた〳〵かけてはたちがたし。邵堯夫文武吟にも。旣爲文士。必有武備。文武之道。皆我家事と賦せり。但し文武をまなぶに。まづ文學をすゝめて忠孝の道をさとしめ。其のちに武術をならはすべし。武術を前にして。文學を後にすることなかれ。許棐氏が語に。讀孔孟之書而不嗜殺人者。未爲仁人也。讀孫吳之書而不嗜殺人者。仁人也とあるを考べし。軍學すらすでにしかり。况や其以下の小藝をや。文學は木の根本のごとく。諸藝は枝葉にひとしといへり。幼より文學をせざるうちに。外の藝にわたれば。事によりて。先入主となりて。害をまうくることも多しとなむ。
現代語訳
世間では「自分は武人だ。武をこそ専らにすべきで、文は学ぶに足りない」と言いますが、それは武の本意を知らないのです。文武は車の両輪、鳥の二つの翼のようなもので、片方が欠けては成り立ちません。邵堯夫の文武吟にも「すでに文士である以上、必ず武備がある。文武の道は、みなわが家の事である」と詠んでいます。ただし文武を学ぶときは、まず学問をすすめて忠孝の道を悟らせ、その後に武術を習わせなさい。武術を先にして学問を後にしてはなりません。許棐氏の言葉に「孔孟の書を読んで人を殺すことを好まない者は、まだ仁人とはいえない。孫呉の書を読んで人を殺すことを好まない者が、仁人である」とあるのを考えてみなさい。軍学でさえすでにそうです。ましてそれ以下の小さな芸はなおさらです。学問は木の根本のようなもので、諸芸は枝葉に等しいといいます。幼いころ学問をしないうちに他の芸に手を出すと、場合によっては先入主となって、害を受けることも多いということです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武訓』序・第1段文といひ、武といふ、分ちて是をいへば其の用大に同じからず。故に車の兩輪鳥の兩翼にたとへて、其一を闕くことあたはざることをいへるも、おなじからざるあとにつきて、文武の二を對しいへるのみ。合せて是れをいへば文武只一德にして、文の中に武あり、武の中に文あること、猶陰陽のたがひに根ざすがごとし。故に文なき武はまことの武にあらじ。わが國中頃保元平治より天正文祿の間にいたるまで、爭亂相踵で治日まれなりしかば、士人戎事に暇なく、文學をしるものすくなく、其の武とする所血氣の勇のみにして、眞の武道をしらず、勇俠刺客のしわざのごときを尙ぶこと風俗となり、其の餘習猶近世に及べり。今太平の化あまねく行はれ、四の海波しずかにして、人文日々に盛なれば、聖賢の遺訓家々に傳はり戶々に誦す。しかれども猶無學の輩は文武のことわりを辯へず、習俗にひかれてひが心得も有るべし。或は生質柔懦にして、治平に武をわすれざるの誠をおもはぬ輩も有るべし。先生俗士のために文武の二訓を著はし、其のことわりを辯明し給ふ。其の詞は假字にして讀みやすく、其の意は聖賢の正しきすぢを述べ給ふこと親切著明にして、且目今の時宜にかなはざることなし。世敎に補あること豈小ならんや。
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『文武訓』文訓上ここを以て、いとけなくわかき年、早く書をよむべし。もろもろの芸は、年たけてもならひやすし。只、書を読むことは、年たけては、おぼえよわく、気力すくなく、ひますくなし。このゆゑに、いとけなき時より、まづ、芸などのことわざはおろそかにしても、もはらつとめて書を読みならふべし。是、一生の身のたからとなるなり。書を読まざれば、道にくらきのみならず、万の事にくらし。書を読まざる人は、わがくらき事を知らず。はかなしといふべし。弓馬の芸をならひても、文字なければ、芸の理にくらくして其芸いやし。次に六芸をならふべし。もののふは、つるぎ、はこ、拳法などの術ならひ知るべし。文学は本なり、文武の芸は末なり。本なければ人の道立たず、末なければ人のわざ行はれず。
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『武士訓』卷一・第3段士たらんものは。特更おさなきより。まづ文學を專にすべし。學問は人の人たる道なれば。朝夕わするべからず。この故に。蒲宗孟が子孫をいましむる語にも。さむきに衣はなかるべし。飢に食はなかるべし。書をよむことは。一日も失すべからずといへり。學問といへば。ひろきことのやうなれども。つゞむるところ。忠と孝とのふたつにいでず。其他は二つの理にこもれり。いにしへの聖賢の御ことばによりて。心をおさめ。身におとなふ工夫のためなれば。四書。小學近思錄をよみ。師につきて。孝弟忠信禮義廉恥の理をたづね知べし(たゞし專ら程朱の說によりて。學ぶべし。)かくして餘力もあらば。五經にも及び。諸家にもわたるべし。たゞ一言半句にても。今日の上にひきうけて。修行とするを。學問の本意とするなり。たとひもゝとせのよはひをたもつとも。道をしらずして。空しく年月をすごすは。人の人たるにはあらざるなり。古語に腹不飽詩書謂之餒。目不接聖賢謂之瞽。耳不聞善言謂之聾。身不遠聲色謂之窄。行不脫凡俗謂之痼と有。もつともいましめとすべし。
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『武家家訓集』黒田如水教諭「文武は車の両輪」文武は車の兩輪の如く一もかけてはかなひがたきよし古人もいへり、勿論治世には文を用ひ亂世には武をもつて治るとはあり、去ながら治世に武を忘れず、亂世には文拾ざるが尤肝要たるべし、世治りたり其大將たる人武を忘るゝ時は第一軍法すたり家中の諸士もおのづから心柔弱に成て、武道のたしなみなく武藝も怠り武具等も不足し持たる武具は塵に埋れ、鎗の柄は虫の柄となり、鐵砲はさびくさりて俄なる用に立ず、かく
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『武士訓』卷二・第8段武士は勇をうちにふくみて。外にあらはさゞること本意なり。文武を兼學て後自得すべし。但し武道にのみこゝろを用る者。年齡にて。心術ねれざるうちは。裏に勇をふくめば。かならず表にも見ゆるなり。古語に珠藏而川媚。玉韞而山輝といへるごとし。これを怯弱の者は。うわさものなどと見あやまつたぐひあり。又生得暴惡にして不義の徒もあり。おの〳〵言行をためしみて後さとすべし。今の俗をみるに。和愛ある人は柔弱に。勇敢の人は麁暴なり。こゝをもつて。前にいへるごとく。はじめに書をよませて道をしらしめ。後に武術をならはすべし。かくのごとくまなぶときは。柔弱麁暴二つのゐえ有べからず。
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『武訓』上・第4段士たる人は、高きいやしき、弓馬劍戟の法をまなぶべし。武藝をしらざれば、戰にのぞみ、敵に對しがたし。されど、大將たる人は、まづ、兵法をならひて、次に、武藝をならふべし。武藝に專なるべからず。武藝は、たゞ、其の大略をならふべし。武藝は末なり。兵法は本なり。有司も、兵法をならふべし。將たる人、武藝のみしりて、兵法をしらざるは、本をすてゝ、末をとるなり。小身の士は、武藝を、大やうは、あまねくまなぶべし。弓馬、劍術、鎗、長刀、拔刀、擊劍、拳法、棒、水練など、皆、ならひしるべし。一事もしらざれば、變に應じがたきことあり。小身の士も、一藝を、すぐれて精しくまなぶは、一事になづみて、他藝に通じがたし。故に、一藝に專一なるべからず。然れども、もし、士の子弟など、一藝を以て、身を立てんと思ふものは、藝を專にして、くはしくまなぶべし。これ、人の師となるにたれり。かやうの人、もし、あまねく多藝にしては、一藝にくはしからず。くはしからざれば、人の師となりがたし。
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