日本伝守行矩 / 信疑論・信が崩れる時の見分け方と責任の所在
ひとりあやしむ、始志堅固にして、道を信ずる事くわふべからず、日に月に力を盡して、能修するも、中頃忽然として怠惰し、聞く所耳にみてず、見る所目に得事なく、胸中疑惑生じ、敎を以て道とすれば、其用をなす事なく、道を以て敎を見れば、不可爲の事多し、爰に於て、飜然として初の志信瓦のごとくに崩れ、道至るべからずとし、敎を牽强とす、其書を睥睨し其師を輕視す、其身數年の功を失するのみならず、道を賊し、師友に害あり、守者の一罪人と可謂、其人を見れば形容を替るにあらず、其心を見れば、黑白處を異にし、眞に別人のみ、人心の活物なる、信疑の變甚しゐかな、嗚呼、なんぞ此のごとくなるや、其人の過ちか、師敎のすぢを失せる歟、將其書の眞ならざる歟、其書の眞贋は國家の用を以て斷ずべし、師敎の賢愚は道の流行、死活を以てはかるべし、其人の信疑は、公私を以てわかつべし、其書眞なりと雖、其師暗なるときは、其面目を失し、日輪の白雲に隱るゝが如し、其師才明といへども、其書眞ならざれば、議論聞べくして、其用をなさず、
新字:ひとりあやしむ、始志堅固にして、道を信ずる事くわふべからず、日に月に力を尽して、能修するも、中頃忽然として怠惰し、聞く所耳にみてず、見る所目に得事なく、胸中疑惑生じ、教を以て道とすれば、其用をなす事なく、道を以て教を見れば、不可為の事多し、爰に於て、翻然として初の志信瓦のごとくに崩れ、道至るべからずとし、教を牽強とす、其書を睥睨し其師を軽視す、其身数年の功を失するのみならず、道を賊し、師友に害あり、守者の一罪人と可謂、其人を見れば形容を替るにあらず、其心を見れば、黒白処を異にし、真に別人のみ、人心の活物なる、信疑の変甚しゐかな、嗚呼、なんぞ此のごとくなるや、其人の過ちか、師教のすぢを失せる歟、将其書の真ならざる歟、其書の真贋は国家の用を以て断ずべし、師教の賢愚は道の流行、死活を以てはかるべし、其人の信疑は、公私を以てわかつべし、其書真なりと雖、其師暗なるときは、其面目を失し、日輪の白雲に隠るゝが如し、其師才明といへども、其書真ならざれば、議論聞べくして、其用をなさず、
書き下し
ひとりあやしむ、始志堅固にして、道を信ずる事くわふべからず、日に月に力を盡して、能修するも、中頃忽然として怠惰し、聞く所耳にみてず、見る所目に得事なく、胸中疑惑生じ、敎を以て道とすれば、其用をなす事なく、道を以て敎を見れば、不可爲の事多し、爰に於て、飜然として初の志信瓦のごとくに崩れ、道至るべからずとし、敎を牽强とす、其書を睥睨し其師を輕視す、其身數年の功を失するのみならず、道を賊し、師友に害あり、守者の一罪人と可謂、其人を見れば形容を替るにあらず、其心を見れば、黑白處を異にし、眞に別人のみ、人心の活物なる、信疑の變甚しゐかな、嗚呼、なんぞ此のごとくなるや、其人の過ちか、師敎のすぢを失せる歟、將其書の眞ならざる歟、其書の眞贋は國家の用を以て斷ずべし、師敎の賢愚は道の流行、死活を以てはかるべし、其人の信疑は、公私を以てわかつべし、其書眞なりと雖、其師暗なるときは、其面目を失し、日輪の白雲に隱るゝが如し、其師才明といへども、其書眞ならざれば、議論聞べくして、其用をなさず、
現代語訳
ひとり不思議に思います。初めの志が堅固で、道を信じる気持ちが人に勝るほどで、日に月に力を尽くしてよく修めていても、中ごろにたちまち怠惰になり、聞くことは耳に満たされず、見ることは目に得るものがなく、胸中に疑いが生じることがあります。教えを道とすればそれが役に立たず、道から教えを見れば為しがたいことが多いのです。ここで、突然に初めの志が瓦のように崩れ、道には至れないとし、教えを強引なこじつけだとします。その書を睨みつけ、その師を軽んじます。その身が数年の功を失うだけでなく、道を損ない、師や友に害を与えます。守る者の一人の罪人と言うべきです。その人を見れば姿かたちが変わったわけではありませんが、その心を見れば黒と白のように異なり、まことに別人です。人の心は生き物で、信疑の変化は甚だしいものです。ああ、どうしてこのようになるのでしょうか。その人の過ちなのでしょうか、師の教えの筋が失われたのでしょうか、それともその書が真実でないのでしょうか。その書の真偽は国家の役に立つかどうかで判断すべきです。師の教えの賢愚は、道が行き渡るか死んでいるかで測るべきです。その人の信疑は、公か私かで分けるべきです。その書が真であっても、師が暗いときは、その面目を失い、太陽が白い雲に隠れるようなものです。その師が才知に明るくても、書が真でないなら、議論は聞くに値しても、役に立ちません。
解説

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志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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『日本伝守行矩』・信疑論・書と師と学ぶ者の三つがそろう条件樓船の大海に漂泊するが如し、斯のごくなる時は、いづれか人をみちびき、何れか道を達すべき、ともにその眞をうしなふといふべし、其門に遊ぶもの豪傑醉るがごとく、凡人たゞ日を消するのみ、學ぶといへども、何の補かあらん、其書眞にして、其師明なりといへども、まなぶ人虛なる時は、江河の漏巵にみてざるが如く、日々これにたとへて、日々これを失す、また何の益かあらん、守者實なる時は、道を信ずる事、日を經て堅固に師の敎示にしたがふ事、水の卑につくがごとく、駿馬に鞭て須臾に千里を馳るに似たり、嗚呼、書の眞得がたし、師の明また稀なり、守者の信なき、爰によつてなり、其才德をなさゞるまたこゝによる、從つて疑のなる所なり、守者々々、汝を戒しむ、眞書を正して學ぶべし、師の明を撰んで從ふべし、正して學び撰んで從ふといへども、一毫の疑念を生ずる時は、山を築く事九仭にして一簣に功を失するがごとし、唯信力の剛直なる、天地を盡すべし、萬物を我有となさん、信疑の二障、愼んで斷ぜずんばあるべからず、
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『日本伝守行矩』・信疑論・道の真髄は信じるか疑うかで分かれる○凡そ道の眞粹を得ると不得と、唯信疑のふたつに出でず、人其道を信ずるときは不盡の事なし、事物を盡す時は、見る所障なく、聞ところ滯る事なし、而後泰然として道により、己につく事なし、明將の天を信じて、其命に隨つて行藏す、道の眞粹を得ると謂べし、人其道を疑ふときは、盡すべきを盡さず、盡さゞるときは事物にくらし、故に見る所貞かならず、聞所やすんずる事なし、而後暗然として、己につゐて道に立事あたわず、愚將の讒に傾き、流言に眩して、賢を捨て佞を用ひ、つゐに天命に反して、國おとろへ身苦しむにいたる、道の眞粹を辨へざると可謂、明將は不可及、闇將は不可論、志を立て大道を修するもの、信じて道により、敎を盡す時は、久しからずして其德をなし其才を生ず、其例に隨てひとしく修するに似たるも、心道を不信、敎に力を用ゆる所なき時は、識縮まり氣屈して、却て本性を失するあり、信疑の證、あやまたざる所なり、人人形氣の無量なる、盡すべからずといへども、道に化すると化せざるとは、此二境に不出、
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『日本伝守行矩』・本文・守行の大段を知らず志が折れる理由○道の本躰を知り、眞敎による時は、修して至らざるといふ事なし、しかれども守行の大段をわきまへざる時は、勞して功なく、偶然として得る所なし、初志を起すこと、堅固ならざれば、なかばにして折く、敎のよりがたく、道の會がたきによつてなり、凡て物始に見るときは、知りやすく會しやすきに似たり、己をはなれて見ればなり、人々これを以て、容易の事として修す、修するは自からなすなり、我なすの日に至ては、聞く所會しがたく、しばらく會するに似たるも、日を經て失す、前路は遙かにして、後途知るべからず、物を以て事に及す時は違ひ、事を以て人を論ずれば、其實を失ふ、進退所なく、今修する所、また吾有となるにかたし、爰におゐて、不可及ことゝし、修して益なしと思へり、飜然として初志を折て、引去て道を見ると、仇讐の如し、愚なるにあらず、財なきにあらず、唯道を修するの大段を知らず、他の雜藝の業以て進むものとひとしと、見るによれり、守者よく辨ぜずんばあるべからず、
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『日本伝守行矩』・序・守行矩を著し信疑論を添えた序の結び大功によれるのみ、其門に遊ぶもの、三尺の童子といへども、能經濟を論じ、よく虛實に達す、その敎を信ずるもの、其性によつて各其才德をなす、於是、其大道たる事彰々たり、惜かな今世に行はれず、徒らに兵書の名目におちいつて、廣く海内に達せず、嗚呼天命のしからしむる歟、いかんともすべからず、美玉の土中に埋るが如く、日月の雲に掩るゝに似たり、豪彌去年守行矩一篇を著はして、同守にしめす、これ道の根元、敎導の死活を辨ず、此書によつて日本傳を守行なす時は、我國治亂の要を會せずといふ事なし、附して信疑論を著して、守者の一助とす、廣く四海におこなわれ、我國の補あらん事を希ふ、余が微意爰にあり、故に序をなして廣く同志に告るのみ、寶曆十二年壬午正月源 興時
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『日本伝守行矩』・本文・妄教と真教を見分けて学ぶ道を選ぶ俗事を以て國家を談ず、眞實なるに似て、人また大道によると遲し、拙なりといふべし、外國の法を以て、人を强ひ、古人の機格を以て、今の國家をはかる、道理を聞くときは、愚夫も志を起し、其書を讀む時は、惰者も興起す、國家に心なき者の、心醉する所にして、何ぞ道に補なひあらん、これを妄敎といふ、文華に心なく、庸人の疑惑をいとはず、天地の間の事物、部分をして敎をたて、物は物ぎりにして盡し、事は事のみにして混ぜず、要、國躰を失はず、國を治め、人を治るに歸して、簡にして機を失はず、したがつてこれを學ぶ者、日に月に才德を生じ私をはなれて道による。敎の明と謂べし、此これを眞敎といふ、守者こゝを撰んで敎につかば、其道に進まん事、日なけんのみ、
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『日本伝守行矩』・本文・教えは道に登る足場にすぎない○道を知つて、能く天命にしたがふ人ありといへども、敎なき時は、其道を廣く人に傳ふるとなし、しかれども敎は人の作爲なす所なれば、なんぞ道を盡すに足らん、萬仭の山、左生によつて攀づべし、その嶮をわたる時、身躰これによつて、一心の賴む所なりといへども、頂上に登り至れば、その左生一棄物となり、これを見ると、わらくづの如し、しかれば道を得て立ときは、敎また何の益かあらん、益なきの敎にあらざれば、人々又道を得る事なし、敎また廢すべけんや、才子英物と稱するも、敎に因ざれば、國用をなす事なし、敎に巧拙あり、眞妄あり、知らずんばあるべからず、空理を以て質を失し、文章を以て虛照を尊ぶ、巧みなるとは則巧なり、道を得るに遠し、俗言を以て人を戒しめ、