無門関 / 第四十二則 女子出定
【無門曰】釋迦老子做者一場雜劇。不通小小。且道文殊是七佛之師。因甚出女人定不得。罔明初地菩薩。為甚卻出得。若向者裏。見得親切。業識忙忙 那伽大定。【頌曰】出得出不得 渠儂得自由 神頭并鬼面 敗闕當風流
新字:【無門曰】釈迦老子做者一場雑劇。不通小小。且道文殊是七仏之師。因甚出女人定不得。罔明初地菩薩。為甚却出得。若向者裏。見得親切。業識忙忙 那伽大定。【頌曰】出得出不得 渠儂得自由 神頭并鬼面 敗闕当風流
書き下し
無門曰く、釈迦老子、者(こ)の一場の雑劇を做(な)す、小小に通ぜず。且く道へ、文殊は是れ七仏の師、甚(なん)に因ってか女人の定を出だすことを得ざる。罔明は初地の菩薩、甚と為(し)てか卻(かえ)って出だし得たる。若し者裏に向かって見得して親切ならば、業識忙忙として、那伽大定ならん。頌に曰く、出だし得るも出だし得ざるも、渠儂(きょのう)自由を得たり。神頭并びに鬼面、敗闕、風流に当たる。
現代語訳
無門は言う。釈迦老人がこのひと芝居を打ったのは、並大抵のことではない。さて言ってみよ。文殊(もんじゅ、智慧の菩薩)は七仏の師でありながら、なぜ女性を禅定から出すことができなかったのか。罔明(もうみょう)は修行の最初の段階にある菩薩なのに、なぜかえって出すことができたのか。もしここでぴたりと見て取ることができたなら、迷いの意識があわただしく動いているそのままが、龍の大いなる禅定となるだろう。頌に言う。出せても出せなくても、彼らは自由を得ている。神の頭も鬼の面も、しくじりそのものが風流となる。
解説
本則は、文殊菩薩が神通力を尽くしても三昧に入った女性を定から出せず、下方の国土から現れた初地の菩薩の罔明が指を一度鳴らしただけで出した、という話である。無門はこれを釈迦の打った雑劇、つまり芝居だと言い、智慧第一の文殊が失敗し、未熟な罔明が成功した理由を問う。見えれば、あわただしい迷いの心のままが那伽大定、龍のような大禅定になるという。頌は、出せても出せなくても二人とも自由であり、しくじりもまた風流だと結ぶ。能力の高さと成果が一致しない場面は仕事でもよくある。ベテランが解けない問題を新人があっさり解くことがある。その理由を序列で説明しようとするとき、見るべきものを見失っている。
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『無門関』自序仏語は心を宗と為し、無門を法門と為す。既に是れ無門、且く作麼生か透らん。豈に道うことを見ずや、門より入る者は是れ家珍にあらず、縁に従って得る者は始終成壊すと。恁麼の説話、大いに風無きに浪を起こし、好肉に瘡を剜るに似たり。何ぞ況んや言句に滞り、解会を覓むるをや。棒を掉って月を打ち、靴を隔てて痒きを爬く、甚の交渉か有らん。慧開、紹定戊子の夏、東嘉の龍翔に首衆たり。衲子の請益に因って、遂に古人の公案を将て、門を敲く瓦子と作し、機に随って学者を引導す。竟爾として抄録し、覚えず集を成す。初めより前後を以て叙列せず、共に四十八則と成し、通じて無門関と曰う。若し是れ箇の漢ならば、危亡を顧みず単刀直入せん、八臂の那吒も他を攔えて住めず。縦使い西天の四七、東土の二三も、只だ風を望んで命を乞うことを得ん。設し或いは躊躇せば、也た窓を隔てて馬騎を看るに似て、眼を貶き得来たれば、早已に蹉過せん。頌に曰く、大道無門、千差路有り。此の関を透得せば、乾坤に独歩せん。
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