無門関 / 第三則 俱胝豎指
【無門曰】俱胝并童子悟處。不在指頭上。若向者裏見得。天龍同俱胝并童子。與自己一串穿卻。【頌曰】俱胝鈍置老天龍 利刃單提勘小童 巨靈抬手無多子 分破華山千萬重
新字:【無門曰】倶胝并童子悟処。不在指頭上。若向者裏見得。天竜同倶胝并童子。与自己一串穿却。【頌曰】倶胝鈍置老天竜 利刃単提勘小童 巨霊抬手無多子 分破華山千万重
書き下し
無門曰く、倶胝并びに童子の悟処は、指頭上に在らず。若し者裏に向かって見得せば、天龍、倶胝并びに童子と、自己と一串に穿却せん。頌に曰く、倶胝鈍置す老天龍、利刃単提して小童を勘す。巨霊手を抬ぐるに多子無し、分破す華山の千万重。
現代語訳
無門は言う。倶胝(唐の禅僧、指を一本立てることで知られた)と童子が悟ったところは、指先にあるのではない。もしここを見抜くことができれば、天龍(倶胝の師)も倶胝も童子も、そして自分自身も、ひと串に刺し通されることになる。頌に言う。倶胝は老いた天龍をすっかり愚か者に仕立て、鋭い刃一本を提げて小僧を試した。巨霊神が手を挙げたのは造作もないことで、それで華山の千重万重の峰を割り裂いてしまった。
解説
何を問われても指を一本立てた倶胝和尚と、それを真似て指を切り落とされた童子の話への評唱である。無門はまず「悟りは指先にない」と釘を刺す。指を立てる形を真似ても何も起きないが、指を失ってなお倶胝の指を見たとき、童子は形の向こうにあるものに触れた。頌の巨霊は、黄河を通すために華山を手で割ったという伝説の神で、倶胝の一撃が童子の迷いをいとも簡単に割ったことを重ねている。師の天龍を「鈍置」、つまり馬鹿にしたとまで言うのは、師から受けたものを師以上に使いこなした倶胝への逆説的な賛辞である。職場でも、上司や成功者の型だけを真似る人は多い。形を失ったときに何が残るかで、身についたかどうかが分かる。
関連する章句
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『無門関』第三則 俱胝豎指俱胝(ぐてい)和尚、凡そ詰問有れば、唯だ一指を舉す。後に童子有り、外人の問ふに因る、「和尚何の法要をか說く」。童子も亦た指頭を豎(た)つ。胝聞き、遂に刃を以て其の指を斷つ。童子痛みを負ひ號哭して去る。胝復た之を召す。童子首を迴らす。胝卻って指を豎起す。童子忽然として領悟す。胝將(まさ)に順世せんとして、眾に謂ひて曰く、「吾れ天龍の一指頭禪を得て、一生受用するも盡きず」。言ひ訖(お)はりて示滅す。
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