無門関 / 第四則 胡子無鬚
或庵曰。西天胡子。因甚無鬚。
書き下し
或庵(わくあん)曰く、「西天の胡子(こす)、甚(なん)に因りてか鬚(ひげ)無き」。
現代語訳
或庵和尚が言った。「インドから来たあの髭面の男(達磨)は、なぜ髭がないのか」。
解説
達磨の肖像は、誰が描いても濃い髭面である。その髭面を指して「なぜ髭がないのか」と問う。答えを探させるのではなく、前提そのものを外す問いである。無門は「参は須(すべか)らく実参なるべし、悟は須らく実悟なるべし」と念を押す。人から聞いた達磨、絵で見た達磨をいくら語っても、それは自分が見たものではない。しかも「たしかに自分の目で見た」と口にした途端、見る自分と見られた達磨の二つに割れてしまう。組織でいえば、報告書で知った現場を自分の見聞のように語る危うさである。
この章句が説くこと
実参実悟前提を外す問い又聞きの理解自分の目で見る
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『無門関』第四則 胡子無鬚無門曰く、参は須らく実参なるべし、悟は須らく実悟なるべし。者箇の胡子、直に須らく親しく見ること一回にして始めて得べし。親見と説くも、早く両箇と成る。頌に曰く、痴人の面前、夢を説くべからず。胡子無鬚、惺惺に懵を添う。
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『無門関』第四十一則 達磨安心無門曰く、缺歯(けっし)の老胡、十万里、海を航(わた)って特特として来たる。謂つべし、是れ風無きに浪を起こすと。末後に一箇の門人を接得するも、又卻(かえ)って六根具はらず。咦(い)、謝三郎、四字を識らず。頌に曰く、西来直指、事は嘱(しょく)に因って起こる。叢林を撓聒(どうかつ)するは、元来是れ爾(なんじ)。
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『無門関』第一則 趙州狗子趙州和尚、因(ちな)みに僧問ふ、「狗子(くし)に還(かえ)って佛性有りや也(ま)た無しや」。州云く、「無」。
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『無門関』孟珙跋達磨西来して文字を執せず、直に人心を指し、性を見て仏と成る。箇の直指を説く、已に是れ迂曲なり。更に成仏と言ふ、郎当少なからず。既に是れ無門、甚(なん)に因ってか関有る。老婆心切にして悪声流布す。無庵、贅せんと欲す。一語、又四十九則と成る。其の間些子(しゃし)の誵訛(こうか)、眉毛を剔起して薦取せよ。淳祐乙巳夏重刊す。検校少保・寧武軍節度使・京湖安撫制置大使兼屯田大使兼夔路策応大使兼知江陵府・漢東郡開国公・食邑二千一百戸・食実封陸佰戸、孟珙、跋す。
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『無門関』第五則 香嚴上樹香嚴和尚云く、「人の樹に上るが如し。口に樹枝を啣(くわ)へ、手は枝を攀(よ)ぢず、腳は樹を踏まず。樹下に人有りて、西來意を問ふ。對へざれば即ち他の所問に違(たが)ひ、若し對ふれば又た身を喪ひ命を失ふ。正に恁麼(いんも)の時、作麼生(そもさん)か對へん」。
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『無門関』第一則 趙州狗子無門曰く、参禅は須らく祖師の関を透るべし。妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。祖関透らず、心路絶せずんば、尽く是れ依草附木の精霊ならん。且く道え、如何なるか是れ祖師の関。只だ者の一箇の無字、乃ち宗門の一関なり。遂に之を目けて禅宗無門関と曰う。透得過する者は、但だ親しく趙州に見ゆるのみに非ず、便ち歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛廝い結んで、同一眼に見、同一耳に聞くべし。豈に慶快ならざらんや。透関を要する底有ること莫しや。三百六十の骨節、八万四千の毫竅を将て、通身に箇の疑団を起こして、箇の無字に参ぜよ。昼夜に提撕して、虚無の会を作すこと莫かれ、有無の会を作すこと莫かれ。箇の熱鉄丸を呑了するが如くに相似て、吐けども又た吐き出さず。従前の悪知悪覚を蕩尽して、久久に純熟すれば、自然に内外打成一片ならん。啞子の夢を得るが如く、只だ自知することを許す。驀然として打発せば、天を驚かし地を動ぜん。関将軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭に於いて大自在を得、六道四生の中に向かって遊戯三昧ならん。且く作麼生か提撕せん。平生の気力を尽くして、箇の無字を挙せよ。若し間断せずんば、好し、法燭の一点すれば便ち著くに似ん。頌に曰く、狗子仏性、全提正令。纔かに有無に渉れば、喪身失命せん。
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