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夢中問答集 / 『夢中問答集』再跋に記す刊行の経緯

余書此書越三載一日法延首座携以誥余曰至哉有是書而書之若是此非佛之與佛異相同心殊途同致彼此相爲表裏以化有情曷有是哉然而師知夫大高伊與太守及所刊此之意否余曰唯知其人是有鼻孔者有年矣而實未知所刊之意如何耳然無過欲利益人耳復何意哉曰因其人如師所謂有鼻孔故然後知其香臭乃欲刊之也始則國師不許高曰或未始有此寫本則已旣有之而人々遞相抄錄不啻烏焉成馬毫厘有差天地懸隔否則展々轉々以誤傳誤而又誤本各々相不同則乃人々疑惑莫知所歸本欲利人奈何反誤人哉然固是作始爲左武衞將軍一人酬答而已不爲他人也譬如佛說一代時敎雖一時說皆爲後世及無邊衆生耳如不結集而亦安有今日哉於是國師然其說故刊之由是人皆知歸安行大道不復妄趨邪徑也余曰若是哉若是哉然亦爾知夫大道顯然三世諸佛諸代宗師皆夢言乎延曰請書以誌之余曰是則無妨又添一个延復爲余曰大高伊與太守者號海岸・居士入深法門心大如海殊有淨名之風饒益衆生誠未艾止也今年春又遷若狹太守云故并書之甲申十月初八日寅南禪東堂之東軒梵僊再跋

新字:余書此書越三載一日法延首座携以誥余曰至哉有是書而書之若是此非仏之与仏異相同心殊途同致彼此相為表裏以化有情曷有是哉然而師知夫大高伊与太守及所刊此之意否余曰唯知其人是有鼻孔者有年矣而実未知所刊之意如何耳然無過欲利益人耳復何意哉曰因其人如師所謂有鼻孔故然後知其香臭乃欲刊之也始則国師不許高曰或未始有此写本則已既有之而人々逓相抄録不啻烏焉成馬毫厘有差天地懸隔否則展々転々以誤伝誤而又誤本各々相不同則乃人々疑惑莫知所帰本欲利人奈何反誤人哉然固是作始為左武衛将軍一人酬答而已不為他人也譬如仏説一代時教雖一時説皆為後世及無辺衆生耳如不結集而亦安有今日哉於是国師然其説故刊之由是人皆知帰安行大道不復妄趨邪径也余曰若是哉若是哉然亦爾知夫大道顕然三世諸仏諸代宗師皆夢言乎延曰請書以誌之余曰是則無妨又添一个延復為余曰大高伊与太守者号海岸・居士入深法門心大如海殊有浄名之風饒益衆生誠未艾止也今年春又遷若狭太守云故并書之甲申十月初八日寅南禅東堂之東軒梵僊再跋

書き下し

余、此の書を書して三載を越ゆ。一日、法延首座、携へて以て余に誥げて曰く、至れるかな、是の書有りて之を書することの是くの若きは。此れ佛と佛との相を異にして心を同じくし、途を殊にして致を同じくし、彼此相ひ表裏と爲りて以て有情を化するに非ずや。曷ぞ是れ有らんや。然り而して師は夫の大高伊與太守の刊する所の此の意を知るや否や、と。余曰く、唯だ其の人の是れ鼻孔有る者なるを知ること年有り。而して實は未だ刊する所の意の如何を知らざるのみ。然れども人を利益せんと欲するに過ぎざるのみ。復た何の意かあらん、と。曰く、其の人は師の所謂鼻孔有るが如きに因りての故に、然る後に其の香臭を知りて、乃ち之を刊せんと欲するなり。始め則ち國師許さず。高曰く、或いは未だ始めより此の寫本有らずんば則ち已む。既に之有りて人人遞ひに相ひ抄錄せば、啻だ烏の焉に馬と成るのみならず、毫厘も差有れば天地懸隔す。否ずんば則ち展展轉轉、誤を以て誤を傳へ、而して又誤り、本各各相ひ同じからざれば、則ち乃ち人人疑惑して歸する所を知る莫からん。本と人を利せんと欲するに、奈何ぞ反りて人を誤らんや、と。然れども固より是れ作始め左武衞將軍一人の爲に酬答するのみにして、他人の爲にせざるなり。譬へば佛の一代時敎を說くが如し、一時の說と雖も皆な後世及び無邊の衆生の爲なるのみ。如し結集せずんば、亦た安くんぞ今日有らんや、と。是に於いて國師、其の說を然りとす。故に之を刊す。是に由りて人皆な歸するを知り、安んじて大道を行き、復た妄りに邪徑に趨かざるなり、と。余曰く、是くの若きかな、是くの若きかな。然れども亦た爾、夫の大道は顯然として三世の諸佛・諸代の宗師、皆な夢言なるを知るか、と。延曰く、請ふ、書して以て誌せ、と。余曰く、是れ則ち妨げ無し、と。又た一个を添ふ。延、復た余の爲に曰く、大高伊與太守は海岸居士と號し、深き法門に入り、心大なること海の如く、殊に淨名の風有り、衆生を饒益すること誠に未だ艾止せざるなり。今年の春、又た若狹太守に遷ると云ふ、と。故に并せて之を書す。甲申十月初八日寅、南禪東堂の東軒、梵僊再跋す。

現代語訳

私がこの書に跋を書いてから三年が過ぎた。ある日、法延首座がこの書を携えて私に告げた。「見事なことです。この書があって、こうして書かれたとは。これは仏と仏が、姿を異にしながら心を同じくし、道を違えながら行き着く先を同じくして、互いに表と裏となって衆生を教化されるということではありませんか。これほどのものが他にあるでしょうか。ところで、和尚は、大高伊与守がこれを刊行しようとする意図をご存じですか」と。私は言った。「その人が鼻の利く人(物事の本質を嗅ぎ分けられる人)であることは、何年も前から知っている。けれども、刊行しようとする意図は、実のところ知らない。ただ、人を利益しようと欲するにほかならないだろう。ほかにどんな意図があろうか」と。法延は言った。「その人は、和尚のいう鼻の利く人であるからこそ、その本物の香りを知って、これを刊行しようと思ったのです。はじめ、国師はこれをお許しになりませんでした。大高はこう言いました。もしこの写本が最初からなかったのなら、それまでです。しかしすでにあって、人々が互いに書き写していくうちに、烏の字が焉となり、焉が馬となるような誤りがあるだけでなく、毫厘でも差があれば天地ほどの隔たりになります。そうでなくても、転々と写し伝えるうちに、誤りが誤りを伝え、さらにまた誤り、写本ごとに内容が互いに違ってくれば、人々は疑い迷って、帰着するところを知らなくなります。本来は人を利益しようとしたものを、どうして反対に人を誤らせてよいでしょうか、と。もとより、この書は初めは左武衛将軍ただ一人のための応答であって、他の人のためのものではありませんでした。しかしたとえば仏が一代の教えを説かれたのも、その時その時の説法とはいえ、すべて後世と限りない衆生のためのものでした。もし結集がなされなかったなら、今日の仏法はどうしてあったでしょうか、と。そこで国師はその説を認められました。それでこれを刊行したのです。これによって、人々はみな帰するところを知り、安んじて大道を歩み、もうみだりに邪な小道へ走ることがなくなるでしょう」と。私は言った。「そのとおりだ、そのとおりだ。しかし、あなたはまた、あの大道が明らかに現れていること、三世の諸仏や歴代の宗師の言葉がみな夢のなかの言葉であることを知っているか」と。法延は言った。「どうか書き記して、それを証としてください」と。私は言った。「それは差し支えない」と。さらに一言を添えた。法延はまた私のために言った。「大高伊与守は号を海岸居士といい、深い法門に入り、心の大きさは海のようで、とりわけ維摩居士の風格があり、衆生を豊かに益することは、まことにまだ尽きることがありません。今年の春、また若狭守に転じたとのことです」と。そこで併せてこれを書いた。甲申の年十月八日の寅の刻、南禅寺東堂の東軒にて、梵僊が再び跋す。

解説

二度目の跋は、康永三年(1344年)に書かれ、刊行の経緯を伝えます。法延首座によれば、大高伊与守が板に刻んで刊行しようとしたのは、写本が転々と書き写されるうちに誤りが誤りを呼び、人々を迷わせることを恐れたからでした。当初、国師は許さず、大高は、仏の説法も後世の衆生のために結集されたのだと説いて、刊行を認めさせたと語られます。正確な記録を残すこと、誤った伝言を正すことは、企業の理念や知見の継承にも通じる課題です。写しの精度を保つ責任が、ここに具体的に描かれています。
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この章句が説くこと

再跋法延大高伊与守写本の誤り結集板行

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