夢中問答集 / 『夢中問答集』公案を与え、また奪う
問或は云く、初心の行者はかならず、先づ公案を提撕すべし。或は云く、公案をもつことは枝葉なり。此の兩論何をか正とせんや。 答これもたゞ疑不疑の論にことならず。有る時は公案を與へて看せしめ、有る時は奪ふて捨てしむ。皆是宗師の手段なり。定論すべからず。古人學者に問て云く、汝公案と一如なりやいなや、公案と一如になりぬれば、提撕する人もなく、提撕せられたる公案もなし。若し能くこゝに到りなば、かやうの兩論を起さんや。然りといへども、いまだ此の田地にいたらざる人のために、宗師かりに手段をほどこして與奪すること、凡情にて定論すべき事ならず。若し明眼ならざる人の古人の語に隨つて解を生じて、一定の法門を說きて學者にしめすこと大なる錯りなり。古人の實法を以て人を擊ぐとそしるは是れなり。
新字:問或は云く、初心の行者はかならず、先づ公案を提撕すべし。或は云く、公案をもつことは枝葉なり。此の両論何をか正とせんや。 答これもたゞ疑不疑の論にことならず。有る時は公案を与へて看せしめ、有る時は奪ふて捨てしむ。皆是宗師の手段なり。定論すべからず。古人学者に問て云く、汝公案と一如なりやいなや、公案と一如になりぬれば、提撕する人もなく、提撕せられたる公案もなし。若し能くこゝに到りなば、かやうの両論を起さんや。然りといへども、いまだ此の田地にいたらざる人のために、宗師かりに手段をほどこして与奪すること、凡情にて定論すべき事ならず。若し明眼ならざる人の古人の語に随つて解を生じて、一定の法門を説きて学者にしめすこと大なる錯りなり。古人の実法を以て人を撃ぐとそしるは是れなり。
書き下し
問或は云く、初心の行者はかならず、先づ公案を提撕すべし。或は云く、公案をもつことは枝葉なり。此の兩論何をか正とせんや。 答これもたゞ疑不疑の論にことならず。有る時は公案を與へて看せしめ、有る時は奪ふて捨てしむ。皆是宗師の手段なり。定論すべからず。古人學者に問て云く、汝公案と一如なりやいなや、公案と一如になりぬれば、提撕する人もなく、提撕せられたる公案もなし。若し能くこゝに到りなば、かやうの兩論を起さんや。然りといへども、いまだ此の田地にいたらざる人のために、宗師かりに手段をほどこして與奪すること、凡情にて定論すべき事ならず。若し明眼ならざる人の古人の語に隨つて解を生じて、一定の法門を說きて學者にしめすこと大なる錯りなり。古人の實法を以て人を擊ぐとそしるは是れなり。
現代語訳
問:あるいは、初心の行者は必ずまず公案を提撕すべきだと言う。あるいは、公案を持つことは枝葉である、と言う。この両説のうち、何を正とすべきか。 答:これもまた疑・不疑の論と変わらない。あるときは公案を与えて看させ、あるときは奪って捨てさせる。みな宗師の手だてである。定まった論にしてはならない。古人は学人に問うて言った。お前は公案と一如であるか、否か、と。公案と一如になれば、提撕する人もなく、提撕される公案もない。もしここに到ることができれば、このような両説を起こすだろうか。そうではあるが、まだこの田地に到っていない人のために、宗師が仮に手だてを施して与え奪うのは、凡情で定論してよいことではない。もし明眼でない人が、古人の語に従って理解を生じ、一定の法門を立てて学人に示すなら、大きな誤りである。古人の、実法をもって人を打つ、と誹るのはこのことである。
解説

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