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夢中問答集 / 『夢中問答集』智慧も還って惑いとなる

問外道二乘等は其智正路にあらざれば、道の障となるべし。三賢十聖の智慧をも障ときらふべしや。 答敎の中に智還つて惑となるといへる文あり。譬へば病の苦痛をなをす時は、灸治大切なれども病苦なをりて後、身をなやますものは灸治なるがごとし又云く、前々の非をしるを後々の位とすと云云。初地の智慧も非なることをしるを第二地の菩薩となづけ、二地の智慧も非なりと改むるを、第三地の菩薩と號す。乃至十地等覺の智を以て、法性の理を照了するも、猶是れ無明の分域なり。故に等覺智も亦忘れて本有の大智と冥合する時を、元品無明を斷ずとは申すなり。かやうに心得るときは等覺智斷妙覺智斷の論議も皆枝葉なり。この故に禪門には等妙二覺の智慧をも貴しとせず。況んや其の餘の菩薩の智をや黃蘖禪師の云く、妙覺も猶是れ化城なりと云云。かやうの語を聞て禪者は慢心をおこし、敎者は憤念を生ずべし。皆な是れ禪門の宗旨をしらず。語に隨つて解を生ずる故なり。若し本分の大智にかなへる人は、慢心をもおこすべからず。憤念をも生ずべからず。智慧をも貴ぶべからず。愚癡をもきらふべからず。

新字:問外道二乗等は其智正路にあらざれば、道の障となるべし。三賢十聖の智慧をも障ときらふべしや。 答教の中に智還つて惑となるといへる文あり。譬へば病の苦痛をなをす時は、灸治大切なれども病苦なをりて後、身をなやますものは灸治なるがごとし又云く、前々の非をしるを後々の位とすと云云。初地の智慧も非なることをしるを第二地の菩薩となづけ、二地の智慧も非なりと改むるを、第三地の菩薩と号す。乃至十地等覚の智を以て、法性の理を照了するも、猶是れ無明の分域なり。故に等覚智も亦忘れて本有の大智と冥合する時を、元品無明を断ずとは申すなり。かやうに心得るときは等覚智断妙覚智断の論議も皆枝葉なり。この故に禅門には等妙二覚の智慧をも貴しとせず。況んや其の余の菩薩の智をや黄蘖禅師の云く、妙覚も猶是れ化城なりと云云。かやうの語を聞て禅者は慢心をおこし、教者は憤念を生ずべし。皆な是れ禅門の宗旨をしらず。語に随つて解を生ずる故なり。若し本分の大智にかなへる人は、慢心をもおこすべからず。憤念をも生ずべからず。智慧をも貴ぶべからず。愚痴をもきらふべからず。

書き下し

問外道二乘等は其智正路にあらざれば、道の障となるべし。三賢十聖の智慧をも障ときらふべしや。 答敎の中に智還つて惑となるといへる文あり。譬へば病の苦痛をなをす時は、灸治大切なれども病苦なをりて後、身をなやますものは灸治なるがごとし又云く、前々の非をしるを後々の位とすと云云。初地の智慧も非なることをしるを第二地の菩薩となづけ、二地の智慧も非なりと改むるを、第三地の菩薩と號す。乃至十地等覺の智を以て、法性の理を照了するも、猶是れ無明の分域なり。故に等覺智も亦忘れて本有の大智と冥合する時を、元品無明を斷ずとは申すなり。かやうに心得るときは等覺智斷妙覺智斷の論議も皆枝葉なり。この故に禪門には等妙二覺の智慧をも貴しとせず。況んや其の餘の菩薩の智をや黃蘖禪師の云く、妙覺も猶是れ化城なりと云云。かやうの語を聞て禪者は慢心をおこし、敎者は憤念を生ずべし。皆な是れ禪門の宗旨をしらず。語に隨つて解を生ずる故なり。若し本分の大智にかなへる人は、慢心をもおこすべからず。憤念をも生ずべからず。智慧をも貴ぶべからず。愚癡をもきらふべからず。

現代語訳

問:外道や二乗などの智は正しい道ではないので、道の妨げとなるだろう。しかし三賢十聖の智慧までも妨げとして嫌うのか。 答:教の中に「智はかえって惑いとなる」という文がある。たとえば、病の苦痛を治す時には灸治が大切であるが、病苦が治ったあとで身を悩ますものは灸治であるようなものである。また「前々の非を知ることを、後々の位とする」とある。初地の智慧も非であると知ることを第二地の菩薩と名づけ、二地の智慧も非であると改めることを第三地の菩薩と呼ぶ。さらに十地・等覚の智をもって法性の理を照らし知っても、なおそれは無明の領域である。そのため、等覚の智もまた忘れて、本有の大智と一つに合する時を、元品の無明を断ずという。このように心得れば、等覚の智で断ずるか、妙覚の智で断ずるかという議論も、みな枝葉である。このため禅門では、等覚・妙覚二覚の智慧をも貴しとしない。まして、それ以外の菩薩の智はなおさらである。黄檗禅師は「妙覚もなお化城である」と言った。このような語を聞いて、禅者は慢心を起こし、教者は怒りを生じるだろう。それはみな禅門の宗旨を知らず、語に従って理解を生じるからである。もし本分の大智にかなう人ならば、慢心を起こしてもならず、怒りを生じてもならず、智慧を貴んでもならず、愚癡を嫌ってもならない。

解説

外道や二乗の智が妨げになるのはわかるが、菩薩の智慧まで嫌うのかという問いに、夢窓は、灸が病を治したあとでは身を悩ますように、智もかえって惑いとなると答えます。初地の智を非と知って二地に進み、さらにその智を改めていく段階を示し、等覚の智でさえ無明の領域とし、黄檗の言う「妙覚もなお化城」の立場に立ちます。ただし、この語を聞いて禅者は慢心せず、教家は怒らぬよう戒めます。成功体験や専門性に安住せず、更新し続ける姿勢を促す問答です。
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この章句が説くこと

智還成惑灸治三賢十聖等覚妙覚化城

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