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夢中問答集 / 『夢中問答集』禅の祈りと密教の加持(下)

况んや世間の名利をや。たゞ僧家のみにあらず、檀那及び其の家人達も、此の宗を信ずる人はひとへに、本分を悟らんことを要とす。其の後、兀庵佛源佛光諸大禪師相次で宋朝より渡り給ひき。皆同く僧俗を警策して本分を參究せしむる外には他事もなかりき。在家の信仰も亦かはらず、法光寺禪門の時弘安の比蒙古襲ひ來れりとて天下騷動しけれ共、檀那の禪門さはぎ給はず、日々に建長寺の長老佛光禪師及び諸の宿老達を召し請じて法談ありき。其のありさまのありがたかりし由を佛光の普說の中に載せられたり。其の後、圓覺寺を建立して祖宗の興行なをざりならずかゝりし故にや、蒙古も國をかたぶけず、父子二代世をたもたるゝこともつゝがなく終焉のありさまも殊勝におはしけると申し傳へたり。彼の二代の後も相續して佛法を崇敬せらるゝよしはありしかども、世間をば重く佛法をば輕しく信じ給ひし故に、さして天下の大事ならぬことまでも、御祈りをせよとひまなく禪院へも仰られし程に、寺々いつとなく祈禱の牌をかけて衆僧經をよみだらにをみつるを所作として、坐禪工夫は退轉す。面々に又小檀那ありて各〱の祈りをあつらへらる、僧家も亦我が身の名利を思ふ人は、これを大事と祈るとて一大事をばわすれたり。禪法破滅の因緣にあらずや。唐土の禪院には毎朝粥の後、大悲呪一遍なんど誦するばかり也。是れ卽ち坐禪を本とする故也。楞嚴會とて楞嚴呪をよむことも近代より始まれり。それもたゞ夏中ばかりなり。毎日の晩れごとに放參と名けて、楞嚴呪をよむことは、日本より始まれり。唐土に放參といへるは別のれいぎなり。建長寺の始めには日中のつとめばなかりけり。蒙古の襲ひ來りし時、天下の御祈りのために、日中に觀音經をよみたりけるそのまゝにしつけて、今まは三時のつとめとなりたり。かやうのつとめも禪家の本意にはあらねども、年來しつけたる事なれば、後代の長老達もとゞめ給ふことなし。又末世のありさま禪僧とてありながら、坐禪をば事の行よりものうく思へる人もありげなり。かゝる人のためには略せん事も無益なるべし。且は又世間を重くし給へる檀那の御意にもそむきぬべし。この故に禪院ごとに毎日三時のつとめおこたる事なし。その廻向の趣きはひとへに天下太平檀那安穩の御ためなり。毎月の朔望には祝聖の上堂あり、是又皇帝の御ためばかりにはあらず。四海清平萬氏和樂のためなり。禪僧は御祈りも申さぬ者とはそしるべからず。大悲呪楞嚴呪の功能を經中に說けること、何れの大法祕法にかおとらんや。觀音經金剛經の功力もいるがせなりと申さんや。かやうの經呪にて每日三時に祈り奉ることのかなはずば。此の外に經呪のかずを添へたりとも、坐禪工夫の障りとはなりて御祈りとはなるべからず。

新字:況んや世間の名利をや。たゞ僧家のみにあらず、檀那及び其の家人達も、此の宗を信ずる人はひとへに、本分を悟らんことを要とす。其の後、兀庵仏源仏光諸大禅師相次で宋朝より渡り給ひき。皆同く僧俗を警策して本分を参究せしむる外には他事もなかりき。在家の信仰も亦かはらず、法光寺禅門の時弘安の比蒙古襲ひ来れりとて天下騷動しけれ共、檀那の禅門さはぎ給はず、日々に建長寺の長老仏光禅師及び諸の宿老達を召し請じて法談ありき。其のありさまのありがたかりし由を仏光の普説の中に載せられたり。其の後、円覚寺を建立して祖宗の興行なをざりならずかゝりし故にや、蒙古も国をかたぶけず、父子二代世をたもたるゝこともつゝがなく終焉のありさまも殊勝におはしけると申し伝へたり。彼の二代の後も相続して仏法を崇敬せらるゝよしはありしかども、世間をば重く仏法をば軽しく信じ給ひし故に、さして天下の大事ならぬことまでも、御祈りをせよとひまなく禅院へも仰られし程に、寺々いつとなく祈祷の牌をかけて衆僧経をよみだらにをみつるを所作として、坐禅工夫は退転す。面々に又小檀那ありて各〱の祈りをあつらへらる、僧家も亦我が身の名利を思ふ人は、これを大事と祈るとて一大事をばわすれたり。禅法破滅の因縁にあらずや。唐土の禅院には毎朝粥の後、大悲呪一遍なんど誦するばかり也。是れ即ち坐禅を本とする故也。楞厳会とて楞厳呪をよむことも近代より始まれり。それもたゞ夏中ばかりなり。毎日の晩れごとに放参と名けて、楞厳呪をよむことは、日本より始まれり。唐土に放参といへるは別のれいぎなり。建長寺の始めには日中のつとめばなかりけり。蒙古の襲ひ来りし時、天下の御祈りのために、日中に観音経をよみたりけるそのまゝにしつけて、今まは三時のつとめとなりたり。かやうのつとめも禅家の本意にはあらねども、年来しつけたる事なれば、後代の長老達もとゞめ給ふことなし。又末世のありさま禅僧とてありながら、坐禅をば事の行よりものうく思へる人もありげなり。かゝる人のためには略せん事も無益なるべし。且は又世間を重くし給へる檀那の御意にもそむきぬべし。この故に禅院ごとに毎日三時のつとめおこたる事なし。その廻向の趣きはひとへに天下太平檀那安穏の御ためなり。毎月の朔望には祝聖の上堂あり、是又皇帝の御ためばかりにはあらず。四海清平万氏和楽のためなり。禅僧は御祈りも申さぬ者とはそしるべからず。大悲呪楞厳呪の功能を経中に説けること、何れの大法秘法にかおとらんや。観音経金剛経の功力もいるがせなりと申さんや。かやうの経呪にて毎日三時に祈り奉ることのかなはずば。此の外に経呪のかずを添へたりとも、坐禅工夫の障りとはなりて御祈りとはなるべからず。

書き下し

况んや世間の名利をや。たゞ僧家のみにあらず、檀那及び其の家人達も、此の宗を信ずる人はひとへに、本分を悟らんことを要とす。其の後、兀庵佛源佛光諸大禪師相次で宋朝より渡り給ひき。皆同く僧俗を警策して本分を參究せしむる外には他事もなかりき。在家の信仰も亦かはらず、法光寺禪門の時弘安の比蒙古襲ひ來れりとて天下騷動しけれ共、檀那の禪門さはぎ給はず、日々に建長寺の長老佛光禪師及び諸の宿老達を召し請じて法談ありき。其のありさまのありがたかりし由を佛光の普說の中に載せられたり。其の後、圓覺寺を建立して祖宗の興行なをざりならずかゝりし故にや、蒙古も國をかたぶけず、父子二代世をたもたるゝこともつゝがなく終焉のありさまも殊勝におはしけると申し傳へたり。彼の二代の後も相續して佛法を崇敬せらるゝよしはありしかども、世間をば重く佛法をば輕しく信じ給ひし故に、さして天下の大事ならぬことまでも、御祈りをせよとひまなく禪院へも仰られし程に、寺々いつとなく祈禱の牌をかけて衆僧經をよみだらにをみつるを所作として、坐禪工夫は退轉す。面々に又小檀那ありて各〱の祈りをあつらへらる、僧家も亦我が身の名利を思ふ人は、これを大事と祈るとて一大事をばわすれたり。禪法破滅の因緣にあらずや。唐土の禪院には毎朝粥の後、大悲呪一遍なんど誦するばかり也。是れ卽ち坐禪を本とする故也。楞嚴會とて楞嚴呪をよむことも近代より始まれり。それもたゞ夏中ばかりなり。毎日の晩れごとに放參と名けて、楞嚴呪をよむことは、日本より始まれり。唐土に放參といへるは別のれいぎなり。建長寺の始めには日中のつとめばなかりけり。蒙古の襲ひ來りし時、天下の御祈りのために、日中に觀音經をよみたりけるそのまゝにしつけて、今まは三時のつとめとなりたり。かやうのつとめも禪家の本意にはあらねども、年來しつけたる事なれば、後代の長老達もとゞめ給ふことなし。又末世のありさま禪僧とてありながら、坐禪をば事の行よりものうく思へる人もありげなり。かゝる人のためには略せん事も無益なるべし。且は又世間を重くし給へる檀那の御意にもそむきぬべし。この故に禪院ごとに毎日三時のつとめおこたる事なし。その廻向の趣きはひとへに天下太平檀那安穩の御ためなり。毎月の朔望には祝聖の上堂あり、是又皇帝の御ためばかりにはあらず。四海清平萬氏和樂のためなり。禪僧は御祈りも申さぬ者とはそしるべからず。大悲呪楞嚴呪の功能を經中に說けること、何れの大法祕法にかおとらんや。觀音經金剛經の功力もいるがせなりと申さんや。かやうの經呪にて每日三時に祈り奉ることのかなはずば。此の外に經呪のかずを添へたりとも、坐禪工夫の障りとはなりて御祈りとはなるべからず。

現代語訳

まして世間の名利のための祈りについては、なおさら戒められたのである。ただ僧家だけでなく、檀那およびその家人たちも、この宗を信ずる人は、ひとえに本分を悟ることを要とした。その後、兀庵、仏源、仏光の諸大禅師が相次いで宋から渡来された。皆同じく、僧も俗も励まして本分を参究させるほかには、他のことはなかった。在家の信仰もまた変わらず、法光寺禅門(北条時宗)の時、弘安のころに蒙古が襲来したと天下は騒いだけれども、檀那の禅門は騒がれず、毎日建長寺の長老、仏光禅師や諸々の宿老たちを召請して法談があった。その有様のありがたさが、仏光の普説の中に載せられている。その後、円覚寺を建立して祖宗を興し行うことが並々でなかったためか、蒙古も国を傾けず、父子二代世を保たれることも無事に終わり、最期の有様も立派であったと伝え聞いている。 その二代の後も、続いて仏法を崇敬されたとはいうが、世間を重く、仏法を軽く信じられたために、さほどの天下の大事でないことまで、御祈りをせよと絶え間なく禅院にも仰せられるうち、寺々はいつのまにか祈禱の札を掲げ、衆僧が経を読み陀羅尼を唱えることを仕事とし、坐禅の工夫は衰えた。それぞれにまた小檀那がいて、各自の祈りを依頼する。僧家もまた、我が身の名利を思う人は、これを大事として祈るために、一大事を忘れた。禅法破滅の因縁ではないか。 中国の禅院では、毎朝粥の後に、大悲呪を一遍唱える程度である。これは坐禅を本とするからである。楞厳会といって楞厳呪を読むことも、近代から始まった。それもただ夏の期間だけである。毎日の晩ごとに放参と名づけて楞厳呪を読むことは、日本から始まった。中国で放参と言うのは別の礼儀である。建長寺の初めには日中のつとめはなかった。蒙古が襲来したとき、天下の御祈りのために日中に観音経を読んだのをそのまま習慣にして、今は三時のつとめとなっている。このようなつとめも禅家の本意ではないけれども、長年の習慣となったことなので、後代の長老たちもやめられない。また末世の有様として、禅僧でありながら、坐禅を事の行よりも億劫に思う人もいるようである。そのような人のために、省略することも無益であろう。さらに、世間を重んじられる檀那の御意にも背くだろう。このため、禅院ごとに毎日三時のつとめを怠ることはない。その廻向の趣旨は、ひとえに天下太平と檀那の安穏のためである。 毎月の朔日と望日には祝聖の上堂がある。これもまた皇帝のためだけではない。四海清平、万民和楽のためである。禅僧は御祈りも申さない者だと誹ってはならない。大悲呪や楞厳呪の功能を経の中で説くことは、どの大法や秘法に劣ろうか。観音経や金剛経の功力も、おろそかであると言えようか。このような経や呪で毎日三時に祈り申し上げて叶わないのなら、この他に経や呪の数を加えても、坐禅の工夫の障りとなるだけで御祈りにはならない。

解説

前の問答の続きで、夢窓疎石は鎌倉の禅を振り返ります。北条時頼や時宗の頃は、僧も檀那も本分を悟ることを第一とし、蒙古襲来にも動じず法談を重ねました。ところがその後、世間を重く仏法を軽んじて祈禱ばかりを求めるようになり、寺々は坐禅の工夫が衰えた、と指摘します。それでも毎日の三時のつとめには天下太平を祈る意味があり、禅僧は祈らない者だと謗ってはならない、とも付け加えます。外からの要求と本分の板挟みに誠実に向き合う姿は、現代の組織の専門家にも通じます。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

禅院祈祷建長寺蒙古襲来三時のつとめ坐禅の工夫

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