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夢中問答集 / 『夢中問答集』調伏と祈祷の心得

皆打したがへて正法を行ずる僧をたすけたりき。其の心ひとへに正法を流通せんがためなりし故に、少罪をも得ざりきと云々。我朝の聖德太子の守屋の大臣を打給ひしも此の謂れなり。若し正法流布の御志はなくしてたゞ御敵を祈り殺して我が御身は世にさかへ給はんためならば、此の順現業によりて世をたもち給ふ事もひさしかるべからず、當來はまた惡報を受給ふべし。涅槃經に云く、怨みを以て怨みをむくふは油を以て火をけすがごとしと云々。佛菩薩は一切衆生をあはれみ給ふこと一子のごとし。諸神も皆佛菩薩の化身にて垂迹門に出でさせ給ふなれば、其のあはれみもいかでか親疎偏頗ましまさんや。しかるを御祈りを申さるゝ僧家も、若し正法紹隆のためにはあらずして、偏に我が身のために彼の御敵はほろびて此の御方はさかえ給へと佛神に祈り給はゞ、佛神此の人にかたらはれてさらば汝が所望に隨つて彼をばほろぼし、此をばたすけんと思ひ給はんや。佛法を信ずる人は天上の果報を得て世に災もなく、命に中天もなければとて貴しとせず、其の故はなまじひにながらへはてた小果報にばかされて佛法を行せず、つひには惡趣におつればなり。いはんや下界のありさまたとひ三皇五帝の代なりとも、佛法流布の時ならねば佛法者のねがふべき事にあらず。亂世なり共、若し佛法だに世に住せばなげくべきにあらず。しかれば禪敎律かはりたりといふとも、佛弟子となれる人は同じく天下太平佛法紹隆と祈り給ふべし。若し、爾らば天下に誰にても佛法を興行しますべき宿習も威勢もそなはり給ふ人、此の祈をば受けとり給ふべし。或人の云く、弓箭刀杖等にては人を殺すこそ罪業なれ、祕法呪力にて祈り殺すは功德となるべしと云云。これ大なる邪義なり。たとひ弓箭刀杖にて殺すとも、釋迦如來の因位の時、正法流布のために惡僧をほろぼし、聖德太子の守屋をうたせ給ひし御意のごとくならばまことに功德となるべし。たとひ大法祕法を行はるとも、其の意樂若し世俗の名利の爲ならば皆罪業をまねくべし。梵網經に殺生を制するとて乃至呪殺と說けるは此の義なり。或は云く、彼の敵は早く死して成佛せよと調伏する故に罪業とはならず云云。まことに此の調伏によりて次生にやがて成佛すべきならばげにも殊勝の事なり。若し、しからばにくき敵を祈り殺して成佛せしめんよりは、先づ我がいとほしき人を祈り殺し奉りて、佛に早くなしたてまつらばやと、よにもどかしくこそ覺ゆれ。

新字:皆打したがへて正法を行ずる僧をたすけたりき。其の心ひとへに正法を流通せんがためなりし故に、少罪をも得ざりきと云々。我朝の聖徳太子の守屋の大臣を打給ひしも此の謂れなり。若し正法流布の御志はなくしてたゞ御敵を祈り殺して我が御身は世にさかへ給はんためならば、此の順現業によりて世をたもち給ふ事もひさしかるべからず、当来はまた悪報を受給ふべし。涅槃経に云く、怨みを以て怨みをむくふは油を以て火をけすがごとしと云々。仏菩薩は一切衆生をあはれみ給ふこと一子のごとし。諸神も皆仏菩薩の化身にて垂迹門に出でさせ給ふなれば、其のあはれみもいかでか親疎偏頗ましまさんや。しかるを御祈りを申さるゝ僧家も、若し正法紹隆のためにはあらずして、偏に我が身のために彼の御敵はほろびて此の御方はさかえ給へと仏神に祈り給はゞ、仏神此の人にかたらはれてさらば汝が所望に随つて彼をばほろぼし、此をばたすけんと思ひ給はんや。仏法を信ずる人は天上の果報を得て世に災もなく、命に中天もなければとて貴しとせず、其の故はなまじひにながらへはてた小果報にばかされて仏法を行せず、つひには悪趣におつればなり。いはんや下界のありさまたとひ三皇五帝の代なりとも、仏法流布の時ならねば仏法者のねがふべき事にあらず。乱世なり共、若し仏法だに世に住せばなげくべきにあらず。しかれば禅教律かはりたりといふとも、仏弟子となれる人は同じく天下太平仏法紹隆と祈り給ふべし。若し、爾らば天下に誰にても仏法を興行しますべき宿習も威勢もそなはり給ふ人、此の祈をば受けとり給ふべし。或人の云く、弓箭刀杖等にては人を殺すこそ罪業なれ、秘法呪力にて祈り殺すは功徳となるべしと云云。これ大なる邪義なり。たとひ弓箭刀杖にて殺すとも、釈迦如来の因位の時、正法流布のために悪僧をほろぼし、聖徳太子の守屋をうたせ給ひし御意のごとくならばまことに功徳となるべし。たとひ大法秘法を行はるとも、其の意楽若し世俗の名利の為ならば皆罪業をまねくべし。梵網経に殺生を制するとて乃至呪殺と説けるは此の義なり。或は云く、彼の敵は早く死して成仏せよと調伏する故に罪業とはならず云云。まことに此の調伏によりて次生にやがて成仏すべきならばげにも殊勝の事なり。若し、しからばにくき敵を祈り殺して成仏せしめんよりは、先づ我がいとほしき人を祈り殺し奉りて、仏に早くなしたてまつらばやと、よにもどかしくこそ覚ゆれ。

書き下し

皆打したがへて正法を行ずる僧をたすけたりき。其の心ひとへに正法を流通せんがためなりし故に、少罪をも得ざりきと云々。我朝の聖德太子の守屋の大臣を打給ひしも此の謂れなり。若し正法流布の御志はなくしてたゞ御敵を祈り殺して我が御身は世にさかへ給はんためならば、此の順現業によりて世をたもち給ふ事もひさしかるべからず、當來はまた惡報を受給ふべし。涅槃經に云く、怨みを以て怨みをむくふは油を以て火をけすがごとしと云々。佛菩薩は一切衆生をあはれみ給ふこと一子のごとし。諸神も皆佛菩薩の化身にて垂迹門に出でさせ給ふなれば、其のあはれみもいかでか親疎偏頗ましまさんや。しかるを御祈りを申さるゝ僧家も、若し正法紹隆のためにはあらずして、偏に我が身のために彼の御敵はほろびて此の御方はさかえ給へと佛神に祈り給はゞ、佛神此の人にかたらはれてさらば汝が所望に隨つて彼をばほろぼし、此をばたすけんと思ひ給はんや。佛法を信ずる人は天上の果報を得て世に災もなく、命に中天もなければとて貴しとせず、其の故はなまじひにながらへはてた小果報にばかされて佛法を行せず、つひには惡趣におつればなり。いはんや下界のありさまたとひ三皇五帝の代なりとも、佛法流布の時ならねば佛法者のねがふべき事にあらず。亂世なり共、若し佛法だに世に住せばなげくべきにあらず。しかれば禪敎律かはりたりといふとも、佛弟子となれる人は同じく天下太平佛法紹隆と祈り給ふべし。若し、爾らば天下に誰にても佛法を興行しますべき宿習も威勢もそなはり給ふ人、此の祈をば受けとり給ふべし。或人の云く、弓箭刀杖等にては人を殺すこそ罪業なれ、祕法呪力にて祈り殺すは功德となるべしと云云。これ大なる邪義なり。たとひ弓箭刀杖にて殺すとも、釋迦如來の因位の時、正法流布のために惡僧をほろぼし、聖德太子の守屋をうたせ給ひし御意のごとくならばまことに功德となるべし。たとひ大法祕法を行はるとも、其の意樂若し世俗の名利の爲ならば皆罪業をまねくべし。梵網經に殺生を制するとて乃至呪殺と說けるは此の義なり。或は云く、彼の敵は早く死して成佛せよと調伏する故に罪業とはならず云云。まことに此の調伏によりて次生にやがて成佛すべきならばげにも殊勝の事なり。若し、しからばにくき敵を祈り殺して成佛せしめんよりは、先づ我がいとほしき人を祈り殺し奉りて、佛に早くなしたてまつらばやと、よにもどかしくこそ覺ゆれ。

現代語訳

(国王は)皆打ち従えて、正法を行う僧を助けた。その心がひとえに正法を広めるためであったので、わずかな罪も受けなかったという。我が国の聖徳太子が守屋の大臣を討たれたのも、この訳である。もし正法を広める志がなく、ただ敵を祈り殺して自分は世に栄えようというのなら、この順現業によって世を保つことも長くは続かず、来世にはまた悪い報いを受けられるだろう。涅槃経に、怨みを怨みで報いるのは、油で火を消そうとするようなものだ、とある。 仏や菩薩は、一切の衆生を哀れむことが一人子のようである。諸神もみな仏菩薩の化身で垂迹の門に現れておられるので、その哀れみに、どうして親疎や偏りがあろうか。それなのに、御祈りを申し上げる僧も、もし正法を継ぎ盛んにするためではなく、ひとえに我が身のために、あの敵は滅びてこちらの方は栄えるようにと仏神に祈るなら、仏神はこの人に言い含められて、ならばお前の所望に従って、彼を滅ぼしこちらを助けようと思われるだろうか。 仏法を信ずる人が天上の果報を得て、世に災いがなく、命に若死にがないからといって、貴いとはしない。なぜなら、なまじ長らえた小さな果報にたぶらかされて仏法を行わず、ついには悪趣に落ちるからである。まして下界の有様は、たとえ三皇五帝の世であっても、仏法が広まる時でなければ、仏法者が願うことではない。乱世であっても、もし仏法さえ世に存続するなら、嘆くには及ばない。そうであるから、禅・教・律の違いはあっても、仏弟子となった人は、同じく天下太平と仏法の継ぎ興りを祈られるべきである。もしそうであれば、天下の誰であれ、仏法を興し行うべき前世からの習いと威勢を備えた人が、この祈りを受け取られるだろう。 ある人が言う。弓矢や刀杖で人を殺すのは罪業だが、秘法や呪力で祈り殺すのは功徳になる、と。これは大きな邪な説である。たとえ弓矢や刀杖で殺しても、釈迦如来が因位のとき正法を広めるために悪僧を滅ぼし、聖徳太子が守屋を討たせられた御心のとおりなら、まことに功徳となる。たとえ大法や秘法を行っても、その意図がもし世俗の名利のためなら、すべて罪業を招くだろう。梵網経に殺生を制するとして、呪い殺すことまで説いているのは、この意味である。 ある人は言う。彼の敵が早く死んで成仏するようにと調伏するのだから、罪業にはならない、と。たしかに、この調伏によって次の生ですぐ成仏するなら、まことに立派なことである。もしそうなら、憎い敵を祈り殺して成仏させるよりも、まず自分の愛しい人を祈り殺し申し上げて、仏に早くしてさしあげたいと、実にもどかしく思われる。

解説

調伏が許されるのは、正法を広めるためという一点だけだ、というのが夢窓疎石の線引きです。聖徳太子が守屋を討った例も、名利ではなく法を守る志があって初めて功徳になると見ます。自分の栄えのために敵の滅びを祈る僧を、仏神が受け入れるはずがないと断じ、敵が成仏するように祈り殺すという屁理屈には、それなら愛しい人からそうしてはどうかと皮肉で返します。目的の純度が手段の善悪を左右するという観点は、現代の競争や対立の場面でも、勝ちたい理由を問い直す手がかりになります。
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人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

調伏正法聖徳太子殺生怨み祈祷

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