盲安杖 / 第一条・生死を知りてたのしみ有る事・前半
生死を知りて樂み有ることを慥に知るべし。夫れ生者必滅の理。口に知りても心に知らず。少年早く過去りて頭に霜を戴き。額に波をたゝみ五躰日々に衰へ。露命朝夕に迫ると雖。更に驚く心なし。去年は今年に移り春過ぎ秋來れども。飛花落葉の理を辨へず。石火電光目の前なれども。無常幻化なることを知らず。誠に衣鉢を頸に掛け出離の道に入りて。諸法空なる理を修行する人も。遂に常住の機離れ難し。されば此身を全く思ふが故に。日夜の苦み止む時なし。誠に身を思ふ人ならば。速に身を忘れよ。苦患何れの處より出るか。唯是れ身を愛する心に在り。とりわけ武士の生涯は。生死を知らずは有るべからず。生死を知る時はおのづから道あり。知らざる時は仁義禮智もなし。武士の二字と云ふこと。生死の二を知るを以て云ふとの說あり。去る程に晝夜此理を守りて。生死を見届けて德に至るべし。唐の杵臼、程嬰。一人は死を易くし。一人は命を全して終に敵を滅し。再たび太子を世に立て。弓箭の本意を達することも生死を知る故あり。されど主君の恩を蒙り。妻子を育み身命を助かりながら。此身を我が物と爲し、心を忽にするは僻事なり。主君の恩にて身命を助かることを能知りて。此身を主君の物なして仕へよ。則ち此身の安樂ある所に至るべし。扨身命は主君の物なれは。何をか我が物とせんや。
新字:生死を知りて楽み有ることを慥に知るべし。夫れ生者必滅の理。口に知りても心に知らず。少年早く過去りて頭に霜を戴き。額に波をたゝみ五体日々に衰へ。露命朝夕に迫ると雖。更に驚く心なし。去年は今年に移り春過ぎ秋来れども。飛花落葉の理を弁へず。石火電光目の前なれども。無常幻化なることを知らず。誠に衣鉢を頸に掛け出離の道に入りて。諸法空なる理を修行する人も。遂に常住の機離れ難し。されば此身を全く思ふが故に。日夜の苦み止む時なし。誠に身を思ふ人ならば。速に身を忘れよ。苦患何れの処より出るか。唯是れ身を愛する心に在り。とりわけ武士の生涯は。生死を知らずは有るべからず。生死を知る時はおのづから道あり。知らざる時は仁義礼智もなし。武士の二字と云ふこと。生死の二を知るを以て云ふとの説あり。去る程に昼夜此理を守りて。生死を見届けて徳に至るべし。唐の杵臼、程嬰。一人は死を易くし。一人は命を全して終に敵を滅し。再たび太子を世に立て。弓箭の本意を達することも生死を知る故あり。されど主君の恩を蒙り。妻子を育み身命を助かりながら。此身を我が物と為し、心を忽にするは僻事なり。主君の恩にて身命を助かることを能知りて。此身を主君の物なして仕へよ。則ち此身の安楽ある所に至るべし。扨身命は主君の物なれは。何をか我が物とせんや。
書き下し
生死を知りて楽み有ることを慥に知るべし。夫れ生者必滅の理。口に知りても心に知らず。少年早く過去りて頭に霜を戴き。額に波をたゝみ五体日々に衰へ。露命朝夕に迫ると雖。更に驚く心なし。去年は今年に移り春過ぎ秋来れども。飛花落葉の理を弁へず。石火電光目の前なれども。無常幻化なることを知らず。誠に衣鉢を頸に掛け出離の道に入りて。諸法空なる理を修行する人も。遂に常住の機離れ難し。されば此身を全く思ふが故に。日夜の苦み止む時なし。誠に身を思ふ人ならば。速に身を忘れよ。苦患何れの処より出るか。唯是れ身を愛する心に在り。とりわけ武士の生涯は。生死を知らずは有るべからず。生死を知る時はおのづから道あり。知らざる時は仁義礼智もなし。武士の二字と云ふこと。生死の二を知るを以て云ふとの説あり。去る程に昼夜此理を守りて。生死を見届けて徳に至るべし。唐の杵臼、程嬰。一人は死を易くし。一人は命を全して終に敵を滅し。再たび太子を世に立て。弓箭の本意を達することも生死を知る故あり。されど主君の恩を蒙り。妻子を育み身命を助かりながら。此身を我が物と為し、心を忽にするは僻事なり。主君の恩にて身命を助かることを能知りて。此身を主君の物なして仕へよ。則ち此身の安楽ある所に至るべし。扨身命は主君の物なれは。何をか我が物とせんや。
現代語訳
生死を知って、そこに楽しみがあることを確かに知るべきです。そもそも生者必滅の道理は、口では知っていても心では知っていません。若い時は早く過ぎ去って、頭には霜(白髪)をいただき、額には波(しわ)が畳まれ、体は日々衰え、露のような命が朝夕に迫っていても、少しも驚く心がありません。去年は今年に移り、春が過ぎ秋が来ても、花が飛び葉が落ちる道理をわきまえません。火打ち石の火や稲妻のように一瞬で目の前を過ぎるのに、すべてが無常で幻のようなものだと知りません。まことに衣と鉢を首に掛けて迷いを出る道に入り、あらゆるものは空であるという道理を修行する人でも、ついに「いつまでも在りたい」という心の働きを離れがたいのです。そのようにこの身を大切に思うために、日夜の苦しみが止むときがありません。本当に身を思う人なら、速やかに身を忘れなさい。苦しみはどこから出るのか。ただこの身を愛する心にあるのです。とりわけ武士の生涯は、生死を知らないではあり得ません。生死を知るときは自然と道があり、知らないときは仁義礼智もありません。「武士」の二字は、「生死」の二つを知ることから言うのだという説があります。ですから昼夜この道理を守って、生死を見届けて徳に至るべきです。唐の杵臼と程嬰のうち、一人は死を易しいものとし、一人は命をまっとうして、ついに敵を滅ぼし、再び太子を世に立てて、武士の本意を遂げたのも、生死を知っていたからです。しかし主君の恩を受け、妻子を養い、身命を助けられていながら、この身を自分のものとして心をおろそかにするのは間違いです。主君の恩によって身命を助けられていることをよく知って、この身を主君のものとして仕えなさい。そうすれば、この身の安楽があるところに至るでしょう。さて、身命が主君のものであるなら、何を自分のものとできるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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