名将言行録 / 『名将言行録』眞田幸村 家臣は油断ならぬ
○幸村、人に語て曰く、凡そ家臣程油斷のならぬものはなし、親子兄弟の間にても僞り多し、或は利に迷ふことあり、然るに家人は血を分けたるにもあらず、只恩義に感じ、又は勢に恐れて下知に隨ひ、命をも呉れることあれば、能く心を用ひ察すべきことなり、余古へより今に至るまでを考るに、一々言難きことなれども、昨日まで忠義の士と思ひ居たる者も、主人の好む事替はれば、忽ち其風に移りて機嫌に叶ひ、幸を得んと思ふ、其中に偶々眞忠の者ありて諫言することあれば、大に恥かしめに逢ひ、又は妻子までの難儀となり、家名を汚せば、大方なる忠義の者と云ふとも、後を考へ、日々押移るものなり、又忠臣にても一旦恥を受けては、主人を恨み憤りて邪佞になる者も儘あるなり、其故は少し諫言をすれば、機嫌惡しく、萬事常に替はれば詮なきことに、家名を墜さんよりは能き程にして、時に從ふが善しと、了簡し、勤を餘所にするものなり、又或は傍輩のことより主人にも恨を含み、巧みて主人の機嫌に合ふ樣にもてなし、惡しきことを勸めて主人に惡名を與へ、傍輩にも恥をかつけ、自分は身の落付を拵へ置、能き時節に身を引て、主人や傍輩の難儀を笑ふ者もあり、兎角に賴母敷思つても油斷することあるべからず、常に眞實を以て理非を考へ、惡しき道に引入れず、又惡きことを爲さぬ樣に心を付べし、少しの相談にても、身の樂しみになることを言ふ時は、其樂の筋を計て、心に叶ふ樣にして、身を立んとするものなり、內冑を見られて扱はれ者にならんは口惜からずや。誠を以て國の爲め、君の爲めに爲す者、萬人に一人もあるべからず、重き位にあるとも、斯の如きの境を辨へ、君をも諫め奉り度と。 ○德川光圀曰く、幸村神祖に敵對し、常に村正の刀を帶す、村正は德川家不吉の刀故、調伏の意と聞及べり、武士は斯く平生心を盡すこそ、眞の人臣とも言ふべきなりと稱讚せられけり。
新字:○幸村、人に語て曰く、凡そ家臣程油断のならぬものはなし、親子兄弟の間にても偽り多し、或は利に迷ふことあり、然るに家人は血を分けたるにもあらず、只恩義に感じ、又は勢に恐れて下知に随ひ、命をも呉れることあれば、能く心を用ひ察すべきことなり、余古へより今に至るまでを考るに、一々言難きことなれども、昨日まで忠義の士と思ひ居たる者も、主人の好む事替はれば、忽ち其風に移りて機嫌に叶ひ、幸を得んと思ふ、其中に偶々真忠の者ありて諫言することあれば、大に恥かしめに逢ひ、又は妻子までの難儀となり、家名を汚せば、大方なる忠義の者と云ふとも、後を考へ、日々押移るものなり、又忠臣にても一旦恥を受けては、主人を恨み憤りて邪佞になる者も儘あるなり、其故は少し諫言をすれば、機嫌悪しく、万事常に替はれば詮なきことに、家名を墜さんよりは能き程にして、時に従ふが善しと、了簡し、勤を余所にするものなり、又或は傍輩のことより主人にも恨を含み、巧みて主人の機嫌に合ふ様にもてなし、悪しきことを勧めて主人に悪名を与へ、傍輩にも恥をかつけ、自分は身の落付を拵へ置、能き時節に身を引て、主人や傍輩の難儀を笑ふ者もあり、兎角に頼母敷思つても油断することあるべからず、常に真実を以て理非を考へ、悪しき道に引入れず、又悪きことを為さぬ様に心を付べし、少しの相談にても、身の楽しみになることを言ふ時は、其楽の筋を計て、心に叶ふ様にして、身を立んとするものなり、内冑を見られて扱はれ者にならんは口惜からずや。誠を以て国の為め、君の為めに為す者、万人に一人もあるべからず、重き位にあるとも、斯の如きの境を弁へ、君をも諫め奉り度と。 ○徳川光圀曰く、幸村神祖に敵対し、常に村正の刀を帯す、村正は徳川家不吉の刀故、調伏の意と聞及べり、武士は斯く平生心を尽すこそ、真の人臣とも言ふべきなりと称讃せられけり。
書き下し
○幸村、人に語て曰く、凡そ家臣程油斷のならぬものはなし、親子兄弟の間にても僞り多し、或は利に迷ふことあり、然るに家人は血を分けたるにもあらず、只恩義に感じ、又は勢に恐れて下知に隨ひ、命をも呉れることあれば、能く心を用ひ察すべきことなり、余古へより今に至るまでを考るに、一々言難きことなれども、昨日まで忠義の士と思ひ居たる者も、主人の好む事替はれば、忽ち其風に移りて機嫌に叶ひ、幸を得んと思ふ、其中に偶々眞忠の者ありて諫言することあれば、大に恥かしめに逢ひ、又は妻子までの難儀となり、家名を汚せば、大方なる忠義の者と云ふとも、後を考へ、日々押移るものなり、又忠臣にても一旦恥を受けては、主人を恨み憤りて邪佞になる者も儘あるなり、其故は少し諫言をすれば、機嫌惡しく、萬事常に替はれば詮なきことに、家名を墜さんよりは能き程にして、時に從ふが善しと、了簡し、勤を餘所にするものなり、又或は傍輩のことより主人にも恨を含み、巧みて主人の機嫌に合ふ樣にもてなし、惡しきことを勸めて主人に惡名を與へ、傍輩にも恥をかつけ、自分は身の落付を拵へ置、能き時節に身を引て、主人や傍輩の難儀を笑ふ者もあり、兎角に賴母敷思つても油斷することあるべからず、常に眞實を以て理非を考へ、惡しき道に引入れず、又惡きことを爲さぬ樣に心を付べし、少しの相談にても、身の樂しみになることを言ふ時は、其樂の筋を計て、心に叶ふ樣にして、身を立んとするものなり、內冑を見られて扱はれ者にならんは口惜からずや。誠を以て國の爲め、君の爲めに爲す者、萬人に一人もあるべからず、重き位にあるとも、斯の如きの境を辨へ、君をも諫め奉り度と。 ○德川光圀曰く、幸村神祖に敵對し、常に村正の刀を帶す、村正は德川家不吉の刀故、調伏の意と聞及べり、武士は斯く平生心を盡すこそ、眞の人臣とも言ふべきなりと稱讚せられけり。
現代語訳
幸村は人に語って言いました。およそ家臣ほど油断のならないものはない。親子や兄弟の間でも偽りは多い。あるいは利に迷うこともある。それなのに家来は血を分けたわけでもなく、ただ恩義に感じ、または勢いを恐れて命令に従い、命までくれることもあるのだから、よく心を用いて察すべきである。私は昔から今までを考えるに、いちいち言いにくいことだが、昨日まで忠義の士と思っていた者も、主人の好むことが変われば、たちまちその風に移って機嫌に叶い、幸いを得ようと思う。その中にたまたま真の忠義者がいて諫言することがあれば、大いに恥をかかされ、あるいは妻子までの難儀となり、家名を汚せば、おおかたの忠義者といっても、後のことを考え、日々に押し移るものである。また忠臣でも、いったん恥を受けては、主人を恨み憤って、邪な者になる者もままある。そのわけは、少し諫言をすれば機嫌が悪くなり、万事が常と変わるので、詮ないことに家名を落とすよりは、ほどほどにして時に従うのがよいと考え、勤めをおろそかにするのである。またあるいは同輩のことから主人にも恨みを抱き、巧みに主人の機嫌に合うようにもてなし、悪いことを勧めて主人に悪名を与え、同輩にも恥をかかせ、自分は身の落ち着きを作っておき、よい時節に身を引いて、主人や同輩の難儀を笑う者もある。ともかく、頼もしく思っても油断してはならない。常に真実をもって理非を考え、悪い道に引き入れず、また悪いことをしないように心をつけるべきである。少しの相談でも、自分の楽しみになることを言うときは、その楽しみの筋を測って、心に叶うようにして、身を立てようとするものである。内側の内情を見透かされて、扱われ者になるのは悔しくないか。誠をもって国のため、君のために尽くす者は、万人に一人もあるまい。重い位にあるとも、このような境遇をわきまえ、君をも諫め申したいものだ、と。 ○徳川光圀は言いました。幸村は神祖(家康)に敵対し、常に村正の刀を帯びていた。村正は徳川家にとって不吉な刀であるから、調伏の意であったと聞き及んでいる。武士はこのように平生から心を尽くしてこそ、真の人臣と言うべきである、と称賛されました。
解説

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