名将言行録 / 『名将言行録』後藤基次 要る物だけを受け取る
屛風大小二雙、燭臺大小二對、手燭一臺、硯箱一組、定器碗膳一具、食籠、湯桶、碟鉢、銚子、酒器一式、重箱二組、茶器一通、臺子藥鑵、料理鍋大小二、庖丁數挺、俎板大小一、毛氈五枚、縮緬幕二張、火鉢大小二、酒壺干肴種々、炭十俵、油一荷、上茶一壺、番茶三俵、臘燭百斤、其外米、薪、味噌、鹽、香物等まで一切、總て認め倘膳部役まで遠慮なく申べしと懇に使者に舍められければ、基次大に驚き、斯く夥しき品は某生來未だ見ず、受て何に用ふべきや、然し總て辭するも、却て御意に背く故、當用の分拜受せんと、筆を執て目錄に點を懸け、燭臺一對、蠟燭十斤、夜軍の爲に受くべし、毛氈一枚は敷革の爲めに受くべし、幕一張は屛風の代に受くべし、酒肴は受て士卒を饗すべし、茶は眠を醒す故、番茶一俵受くべし、庖丁、鍋は的用故受くべし、餘の品は榮耀の道具にて入らざるなり、又味噌は某儉法にて搗へ置けば事闕かず、試み給へと言て、少し獻上し(註:世に、後藤味噌と稱す)餘の品は總て返呈せり。城中の諸將之を聞き、皆大に感歎せり。戰死の後、家康も漢の蕭何が風ありと言て、賞美せられけり。 ○長政の江戶に在るや、幕臣日向半兵衞、漱助左衞門等、長政に向ひ、近頃聞く、公の舊臣後藤又兵衞大阪に入ると、長政大阪にては良き人を得たり、又兵衞善く兵を用ひ、二千三千の兵ならば手足を使ふ如くなるべし、顧ふに、大阪にては後藤に過ぐるものあるまじと言ひしとぞ。
新字:屛風大小二双、燭台大小二対、手燭一台、硯箱一組、定器碗膳一具、食籠、湯桶、碟鉢、銚子、酒器一式、重箱二組、茶器一通、台子薬鑵、料理鍋大小二、庖丁数挺、俎板大小一、毛氈五枚、縮緬幕二張、火鉢大小二、酒壺干肴種々、炭十俵、油一荷、上茶一壺、番茶三俵、臘燭百斤、其外米、薪、味噌、塩、香物等まで一切、総て認め倘膳部役まで遠慮なく申べしと懇に使者に舎められければ、基次大に驚き、斯く夥しき品は某生来未だ見ず、受て何に用ふべきや、然し総て辞するも、却て御意に背く故、当用の分拝受せんと、筆を執て目録に点を懸け、燭台一対、蝋燭十斤、夜軍の為に受くべし、毛氈一枚は敷革の為めに受くべし、幕一張は屛風の代に受くべし、酒肴は受て士卒を饗すべし、茶は眠を醒す故、番茶一俵受くべし、庖丁、鍋は的用故受くべし、余の品は栄耀の道具にて入らざるなり、又味噌は某倹法にて搗へ置けば事闕かず、試み給へと言て、少し献上し(註:世に、後藤味噌と称す)余の品は総て返呈せり。城中の諸将之を聞き、皆大に感嘆せり。戦死の後、家康も漢の蕭何が風ありと言て、賞美せられけり。 ○長政の江戸に在るや、幕臣日向半兵衛、漱助左衛門等、長政に向ひ、近頃聞く、公の旧臣後藤又兵衛大阪に入ると、長政大阪にては良き人を得たり、又兵衛善く兵を用ひ、二千三千の兵ならば手足を使ふ如くなるべし、顧ふに、大阪にては後藤に過ぐるものあるまじと言ひしとぞ。
書き下し
屛風大小二雙、燭臺大小二對、手燭一臺、硯箱一組、定器碗膳一具、食籠、湯桶、碟鉢、銚子、酒器一式、重箱二組、茶器一通、臺子藥鑵、料理鍋大小二、庖丁數挺、俎板大小一、毛氈五枚、縮緬幕二張、火鉢大小二、酒壺干肴種々、炭十俵、油一荷、上茶一壺、番茶三俵、臘燭百斤、其外米、薪、味噌、鹽、香物等まで一切、總て認め倘膳部役まで遠慮なく申べしと懇に使者に舍められければ、基次大に驚き、斯く夥しき品は某生來未だ見ず、受て何に用ふべきや、然し總て辭するも、却て御意に背く故、當用の分拜受せんと、筆を執て目錄に點を懸け、燭臺一對、蠟燭十斤、夜軍の爲に受くべし、毛氈一枚は敷革の爲めに受くべし、幕一張は屛風の代に受くべし、酒肴は受て士卒を饗すべし、茶は眠を醒す故、番茶一俵受くべし、庖丁、鍋は的用故受くべし、餘の品は榮耀の道具にて入らざるなり、又味噌は某儉法にて搗へ置けば事闕かず、試み給へと言て、少し獻上し(註:世に、後藤味噌と稱す)餘の品は總て返呈せり。城中の諸將之を聞き、皆大に感歎せり。戰死の後、家康も漢の蕭何が風ありと言て、賞美せられけり。 ○長政の江戶に在るや、幕臣日向半兵衞、漱助左衞門等、長政に向ひ、近頃聞く、公の舊臣後藤又兵衞大阪に入ると、長政大阪にては良き人を得たり、又兵衞善く兵を用ひ、二千三千の兵ならば手足を使ふ如くなるべし、顧ふに、大阪にては後藤に過ぐるものあるまじと言ひしとぞ。
現代語訳
屏風の大小二双、燭台の大小二対、手燭一台、硯箱一組、食器と膳一具、食籠、湯桶、皿や鉢、銚子、酒器一式、重箱二組、茶器一通り、台子と薬缶、料理鍋の大小二つ、包丁数挺、俎板大小一つ、毛氈五枚、縮緬の幕二張、火鉢の大小二つ、酒壺と干し肴の種々、炭十俵、油一荷、上茶一壺、番茶三俵、蝋燭百斤、そのほか米、薪、味噌、塩、漬物まで一切、すべて書きとめ、なお膳部役にまで遠慮なく申し出るようにと、丁寧に使者に含められました。基次は大いに驚き、このように夥しい品は、私は生まれてこの方見たことがない、受け取って何に使うのか、しかし全部辞退するのもかえってお心に背くので、必要な分を拝受いたしましょうと、筆を執って目録に点を掛けました。燭台一対、蝋燭十斤は夜戦のために受けましょう、毛氈一枚は敷き革のために受けましょう、幕一張は屏風の代わりに受けましょう、酒肴は受けて士卒をもてなしましょう、茶は眠りを覚ますので、番茶一俵を受けましょう、包丁と鍋は実用なので受けましょう、残りの品は栄耀のための道具で、要りません、また味噌は私の倹約法で搗いて置いてあるので、事欠きません、お試しください、と言って少し献上し(註:世に後藤味噌と称する)、残りの品はすべて返上しました。城中の諸将はこれを聞き、皆大いに感嘆しました。戦死の後、家康も漢の蕭何の風があると言って賞賛されました。 長政が江戸にいたとき、幕臣の日向半兵衛、漱助左衛門らが長政に向かい、近ごろ聞くところでは、あなたの旧臣の後藤又兵衛が大坂に入ったとのこと、と言いました。長政は、大坂では良い人を得たものだ、又兵衛はよく兵を用い、二千、三千の兵ならば手足を使うようであろう、思うに、大坂には後藤に過ぎる者はおるまい、と言ったということです。
解説

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