名将言行録 / 『名将言行録』木村重成 温和な人柄
○重成は、常々物柔らかなる人にて、人の過を咎めず、堪忍を第一としたり。時人嘲弄して長州は手ぬるくして、物の用に立間敷男なりと沙汰する程なり。一日大阪城中にて粗忽の茶道ありて口論し、重成が烏帽子を扇にて打たり。重成打笑ひ、士の法にしては、汝は討捨つべきものなれども、汝を殺せば我も又死す。我は一大事あらん時の御用に立んと思ふなれば、代ゆるべき命を持たず、去る故に見捨置くぞと言ひしを、臆病の士なりとて、上下爪彈して誹りしが、今福の戰に、重成佐竹の備へ突掛り、大剛の働を爲す、後藤基次之を見て大に感歎せり。其時人に申けるは、先年言ひし言葉は誠に此節をや心がけたるならんとて、何れも感じける。去れども重成は、彌々謙遜して驕らず、基次之を熱々と見て、長門守が氣色は今度今福にての働を十分に思はぬ體なり、天晴重ねて何事かあらんには、眞先掛て十死一生の働をすべき氣色なりと語りけるが、果して夏役比類なき戰死を遂げり。 ○重成士を好み、嘗て浪士の名譽の者には、金銀を與へ、或は米穀を扶助し、愛憐を施せり。之に依り、今度大阪の募に應ぜざる輩も、重成が厚情を感じ、來り屬する者少なからざりしとぞ。 ○重成好み書を讀み古今に通達す。家康、板倉勝重をして屢々之を招かる、重成二心を抱くは士たるの道にあらざるなりと言て、應ぜず、暗弱の秀賴に仕へ、終始其節を改めず、竟に之に殉せり。
新字:○重成は、常々物柔らかなる人にて、人の過を咎めず、堪忍を第一としたり。時人嘲弄して長州は手ぬるくして、物の用に立間敷男なりと沙汰する程なり。一日大阪城中にて粗忽の茶道ありて口論し、重成が烏帽子を扇にて打たり。重成打笑ひ、士の法にしては、汝は討捨つべきものなれども、汝を殺せば我も又死す。我は一大事あらん時の御用に立んと思ふなれば、代ゆるべき命を持たず、去る故に見捨置くぞと言ひしを、臆病の士なりとて、上下爪弾して誹りしが、今福の戦に、重成佐竹の備へ突掛り、大剛の働を為す、後藤基次之を見て大に感嘆せり。其時人に申けるは、先年言ひし言葉は誠に此節をや心がけたるならんとて、何れも感じける。去れども重成は、弥々謙遜して驕らず、基次之を熱々と見て、長門守が気色は今度今福にての働を十分に思はぬ体なり、天晴重ねて何事かあらんには、真先掛て十死一生の働をすべき気色なりと語りけるが、果して夏役比類なき戦死を遂げり。 ○重成士を好み、嘗て浪士の名誉の者には、金銀を与へ、或は米穀を扶助し、愛憐を施せり。之に依り、今度大阪の募に応ぜざる輩も、重成が厚情を感じ、来り属する者少なからざりしとぞ。 ○重成好み書を読み古今に通達す。家康、板倉勝重をして屡々之を招かる、重成二心を抱くは士たるの道にあらざるなりと言て、応ぜず、暗弱の秀頼に仕へ、終始其節を改めず、竟に之に殉せり。
書き下し
○重成は、常々物柔らかなる人にて、人の過を咎めず、堪忍を第一としたり。時人嘲弄して長州は手ぬるくして、物の用に立間敷男なりと沙汰する程なり。一日大阪城中にて粗忽の茶道ありて口論し、重成が烏帽子を扇にて打たり。重成打笑ひ、士の法にしては、汝は討捨つべきものなれども、汝を殺せば我も又死す。我は一大事あらん時の御用に立んと思ふなれば、代ゆるべき命を持たず、去る故に見捨置くぞと言ひしを、臆病の士なりとて、上下爪彈して誹りしが、今福の戰に、重成佐竹の備へ突掛り、大剛の働を爲す、後藤基次之を見て大に感歎せり。其時人に申けるは、先年言ひし言葉は誠に此節をや心がけたるならんとて、何れも感じける。去れども重成は、彌々謙遜して驕らず、基次之を熱々と見て、長門守が氣色は今度今福にての働を十分に思はぬ體なり、天晴重ねて何事かあらんには、眞先掛て十死一生の働をすべき氣色なりと語りけるが、果して夏役比類なき戰死を遂げり。 ○重成士を好み、嘗て浪士の名譽の者には、金銀を與へ、或は米穀を扶助し、愛憐を施せり。之に依り、今度大阪の募に應ぜざる輩も、重成が厚情を感じ、來り屬する者少なからざりしとぞ。 ○重成好み書を讀み古今に通達す。家康、板倉勝重をして屢々之を招かる、重成二心を抱くは士たるの道にあらざるなりと言て、應ぜず、暗弱の秀賴に仕へ、終始其節を改めず、竟に之に殉せり。
現代語訳
○重成は、常々物柔らかな人で、人の過ちを咎めず、堪忍を第一としていました。当時の人は嘲り弄んで、長州は手ぬるくて、物の役に立たない男だと噂するほどでした。ある日、大坂城中で粗忽な茶道の者がいて口論となり、重成の烏帽子を扇で打ちました。重成は打ち笑い、武士の法では、お前は討ち捨てるべきものだが、お前を殺せば私もまた死ぬことになる。私は一大事のときにお役に立ちたいと思っているので、替えられるような命は持っていない。それゆえ見捨てておくのだ、と言ったところ、臆病な士だと、人々は上下を問わず爪弾きして誹りました。しかし今福の戦で、重成が佐竹の備えに突きかかり、大いなる働きを見せたので、後藤基次はこれを見て大いに感嘆しました。そのとき人に言うには、先年言った言葉は、実にこの時のためであったのだろうと言って、皆感心しました。それでも重成はいよいよ謙遜して驕らず、基次はこれをつくづく見て、長門守の様子は、今度の今福での働きを十分とは思っていない様子である。あっぱれ再び何事かあるときには、真っ先に掛かって十死一生の働きをするであろうという気配である、と語りましたが、はたして夏の役で比類のない戦死を遂げました。 ○重成は士を好み、かつて浪人で名の知られた者には、金銀を与え、あるいは米穀を扶助し、愛憐を施しました。これによって、このたび大坂の召募に応じなかった者たちも、重成の厚情に感じ、来て属する者が少なくなかったということです。 ○重成は書を読むことを好み、古今に通じていました。家康は板倉勝重にたびたび招かせましたが、重成は、二心を抱くのは士たる道ではないと言って、応じませんでした。暗愚な秀頼に仕え、終始その節を改めず、ついにこれに殉じました。
解説

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