名将言行録 / 『名将言行録』加藤嘉明 鷹の使い方と律義者の武功
○鷹匠、嘉明に向ひ、鷹の鳥に騷立たる所を引据ゑ引戻して、放つ時は手元にて一寸の扣先にて、十間の延びに成り候と教へければ、嘉明之を聞き、我其方の鷹の使樣を教へたるにて、武士の使樣を得たりと、大に賞美せられけり。 ○嘉明曰く、世に所謂大剛の兵の、世上にて譽むる士は、一代の内に一度も不覺なきものなり、若し心に淸めを付候なれば、其場を去らずして、討死して、其耻を淸めよ、河中島にて、山本勘介が軍法違ひ、味方敗軍の時に、速かに討死を遂げたり。是を以て知るべしと。 ○又曰く、氣先の勇なる者は、目を驚かす程の働をすると雖も、詰めたる武功は律義なる者にあり、敵地の中に援けなき孤城を守りて屈撓の意なく、主人の威名衰て、皆二心を懷くとも、獨節を正して還らざる、此等は律義なる者にあらずば難しと覺ゆ。又諛者は一旦拔群の勇ありとも、恃むべからず。諛て寵を偸み祿を得るを、後指をさゝれんとは、己も能く之を知り、知て自ら欺くは耻を省みぬ者なり、耻を省みぬ者は、主人を弑しても、自ら利することをすべし、僞と貪と品替れども、心の落着は同類なるべし、近來武名を賣の渡り者、根本の忠義少しと見えたり、之に高知を與へて家の飾とするの說ありと雖も、良將は却て其家を薄く思ふべし、如何にともなれば、虛の實に勝つ故なりと。
新字:○鷹匠、嘉明に向ひ、鷹の鳥に騷立たる所を引据ゑ引戻して、放つ時は手元にて一寸の扣先にて、十間の延びに成り候と教へければ、嘉明之を聞き、我其方の鷹の使様を教へたるにて、武士の使様を得たりと、大に賞美せられけり。 ○嘉明曰く、世に所謂大剛の兵の、世上にて誉むる士は、一代の内に一度も不覚なきものなり、若し心に清めを付候なれば、其場を去らずして、討死して、其耻を清めよ、河中島にて、山本勘介が軍法違ひ、味方敗軍の時に、速かに討死を遂げたり。是を以て知るべしと。 ○又曰く、気先の勇なる者は、目を驚かす程の働をすると雖も、詰めたる武功は律義なる者にあり、敵地の中に援けなき孤城を守りて屈撓の意なく、主人の威名衰て、皆二心を懐くとも、独節を正して還らざる、此等は律義なる者にあらずば難しと覚ゆ。又諛者は一旦抜群の勇ありとも、恃むべからず。諛て寵を偸み禄を得るを、後指をさゝれんとは、己も能く之を知り、知て自ら欺くは耻を省みぬ者なり、耻を省みぬ者は、主人を弑しても、自ら利することをすべし、偽と貪と品替れども、心の落着は同類なるべし、近来武名を売の渡り者、根本の忠義少しと見えたり、之に高知を与へて家の飾とするの説ありと雖も、良将は却て其家を薄く思ふべし、如何にともなれば、虚の実に勝つ故なりと。
書き下し
○鷹匠、嘉明に向ひ、鷹の鳥に騷立たる所を引据ゑ引戻して、放つ時は手元にて一寸の扣先にて、十間の延びに成り候と教へければ、嘉明之を聞き、我其方の鷹の使樣を教へたるにて、武士の使樣を得たりと、大に賞美せられけり。 ○嘉明曰く、世に所謂大剛の兵の、世上にて譽むる士は、一代の内に一度も不覺なきものなり、若し心に淸めを付候なれば、其場を去らずして、討死して、其耻を淸めよ、河中島にて、山本勘介が軍法違ひ、味方敗軍の時に、速かに討死を遂げたり。是を以て知るべしと。 ○又曰く、氣先の勇なる者は、目を驚かす程の働をすると雖も、詰めたる武功は律義なる者にあり、敵地の中に援けなき孤城を守りて屈撓の意なく、主人の威名衰て、皆二心を懷くとも、獨節を正して還らざる、此等は律義なる者にあらずば難しと覺ゆ。又諛者は一旦拔群の勇ありとも、恃むべからず。諛て寵を偸み祿を得るを、後指をさゝれんとは、己も能く之を知り、知て自ら欺くは耻を省みぬ者なり、耻を省みぬ者は、主人を弑しても、自ら利することをすべし、僞と貪と品替れども、心の落着は同類なるべし、近來武名を賣の渡り者、根本の忠義少しと見えたり、之に高知を與へて家の飾とするの說ありと雖も、良將は却て其家を薄く思ふべし、如何にともなれば、虛の實に勝つ故なりと。
現代語訳
鷹匠が嘉明に向かって、「鷹が鳥に騒ぎ立つところを引き据えて引き戻し、放つ時は、手元で一寸たたいてやると、先で十間も伸びます」と教えた。嘉明は聞いて、「私はお前に鷹の使い方を教えられたが、同時に武士の使い方を得た」と大いに賞賛した。 嘉明は言った。「世にいう大剛の兵で、世間でも誉める士は、一代のうちに一度も不覚のないものだ。もし心に汚れがついたなら、その場を去らず討死して、その恥を清めよ。川中島で山本勘助が軍法違いをし、味方が敗軍した時、すぐに討死を遂げたのが、その例だ」と。 また言った。「気先の勇ましい者は、目を驚かすほどの働きをしても、結局の武功は律義な者にある。敵地の中で援軍のない孤城を守って屈する気持ちがなく、主人の威名が衰えて皆が二心を抱いても、独り節を正して去らないという働きは、律義な者でなければ難しい。また、へつらう者は、一時は抜群の勇があっても頼ってはならない。へつらって寵愛を盗み、禄を得て、後ろ指をさされるのは、自分もよく知っていて、知りながら自ら欺くのは恥を省みない者である。恥を省みない者は、主人を殺しても、自分の利益を求めるだろう。偽りと貪欲は品が違っても、心の落ち着き先は同類である。近ごろは武名を売る渡り者に、根本の忠義が少ないように見える。こういう者に高い知行を与えて家の飾りにする説もあるが、良将はむしろその家を軽く思うだろう。なぜなら、虚が実に勝ってしまうからである」と。
解説

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