名将言行録 / 『名将言行録』明智光秀 天守の進言と縁組
○信長、安土に城を築きし時、光秀の意見を問ふ。光秀、里見義弘、大內義興、等の天守の事を申し、當御城の義は天下を知召すべき御城なれば、五常五行を表し、五重の天守を建られ然るべしと、古賢共委細に申ければ、信長大に喜び、光秀をして奉行と爲し、天守を建られたり。 ○七年正月、信長、光秀及び、細川藤孝を召し、林通勝をして、去年丹後を平げし武功を稱し、光秀の三女十六歳になりしを、藤孝の長男與市郎忠興に嫁すべき旨命ぜらる。其夜兩人を召し、汝等緣邊申し談ずること滿足せり、此上は常に定め置く通り、山陰道を殘らず伐平げ申べきなり、左あらば天下も終に靜謐せんこと掌の中なれば、先づ其印にと杯を賜はりける。偖又光秀に、某甥織田七兵衞信澄若輩と云、彼是此頃までは默止ぬれども、今程は器量人に勝れ志も穩和の者と相見ゆれば、近年に然るべき城主と爲し、一方の固めにもと思ふぞかし。然らば汝が四女十四歳になるを、信澄に妻はせ、向後萬づ光秀指南に於ては、祝着たるべしと言はれければ、光秀重々有り難き上意を蒙りし、と言て感涙をぞ流しける。
新字:○信長、安土に城を築きし時、光秀の意見を問ふ。光秀、里見義弘、大内義興、等の天守の事を申し、当御城の義は天下を知召すべき御城なれば、五常五行を表し、五重の天守を建られ然るべしと、古賢共委細に申ければ、信長大に喜び、光秀をして奉行と為し、天守を建られたり。 ○七年正月、信長、光秀及び、細川藤孝を召し、林通勝をして、去年丹後を平げし武功を称し、光秀の三女十六歳になりしを、藤孝の長男与市郎忠興に嫁すべき旨命ぜらる。其夜両人を召し、汝等縁辺申し談ずること満足せり、此上は常に定め置く通り、山陰道を残らず伐平げ申べきなり、左あらば天下も終に静謐せんこと掌の中なれば、先づ其印にと杯を賜はりける。偖又光秀に、某甥織田七兵衛信澄若輩と云、彼是此頃までは黙止ぬれども、今程は器量人に勝れ志も穏和の者と相見ゆれば、近年に然るべき城主と為し、一方の固めにもと思ふぞかし。然らば汝が四女十四歳になるを、信澄に妻はせ、向後万づ光秀指南に於ては、祝着たるべしと言はれければ、光秀重々有り難き上意を蒙りし、と言て感涙をぞ流しける。
書き下し
○信長、安土に城を築きし時、光秀の意見を問ふ。光秀、里見義弘、大內義興、等の天守の事を申し、當御城の義は天下を知召すべき御城なれば、五常五行を表し、五重の天守を建られ然るべしと、古賢共委細に申ければ、信長大に喜び、光秀をして奉行と爲し、天守を建られたり。 ○七年正月、信長、光秀及び、細川藤孝を召し、林通勝をして、去年丹後を平げし武功を稱し、光秀の三女十六歳になりしを、藤孝の長男與市郎忠興に嫁すべき旨命ぜらる。其夜兩人を召し、汝等緣邊申し談ずること滿足せり、此上は常に定め置く通り、山陰道を殘らず伐平げ申べきなり、左あらば天下も終に靜謐せんこと掌の中なれば、先づ其印にと杯を賜はりける。偖又光秀に、某甥織田七兵衞信澄若輩と云、彼是此頃までは默止ぬれども、今程は器量人に勝れ志も穩和の者と相見ゆれば、近年に然るべき城主と爲し、一方の固めにもと思ふぞかし。然らば汝が四女十四歳になるを、信澄に妻はせ、向後萬づ光秀指南に於ては、祝着たるべしと言はれければ、光秀重々有り難き上意を蒙りし、と言て感涙をぞ流しける。
現代語訳
信長が安土に城を築いたとき、光秀の意見を問いました。光秀は、里見義弘や大内義興などの天守のことを述べ、このたびの御城は天下を治められる城なので、五常・五行を表す五重の天守を建てるのがよいでしょう、と古い賢人たちの例を詳しく申しました。信長は大いに喜び、光秀を奉行として天守を建てさせました。 七年正月、信長は光秀と細川藤孝を呼び、林通勝に、去年丹後を平らげた武功を称えさせ、光秀の三女で十六歳になる娘を、藤孝の長男与市郎忠興に嫁がせる旨を命じました。その夜、両人を呼んで、お前たちの縁組を相談して決まり、満足である、この上はいつも定めている通り山陰道をすべて討ち平らげなさい、そうなれば天下もついに静まることは手の中だ、まずその印にと杯を賜りました。さらに光秀に、私の甥の織田七兵衛信澄は若輩だが、これまでは黙っていたものの、今は器量が人に優れ志も穏和な者と見えるので、近年にしかるべき城主として、一方の固めにもしたいと思う。そこで、お前の四女で十四歳になる娘を信澄の妻にして、今後万事光秀が指南してくれれば喜ばしいと言ったので、光秀は重ね重ねありがたい上意を受けたと言って、感涙を流しました。
解説

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