名将言行録 / 『名将言行録』山中幸盛 賞罰と七難八苦
○隱岐爲清、勝久に反く。幸盛立原、横道、松田等と之を攻む。幸盛立原と初度の戰に打負け、散々に打成されしが、横道、松田二度目の戰に打勝て、爲清を打散れり。勝久戰の始末を聞き、横道、松田が働を大に感ぜしが感狀を出さず。是は幸盛、久綱が面恥ケ敷あるべしと二人が心中を押計りしに依てなり。幸盛之を傳へ聞き、勝久の前に出で斯々の仔細に依て、横道、松田等に感狀を出されずと承はり候、是は御計ひとも存ぜず候、賞罰不レ明則兵不レ勇、兵不レ勇則軍無レ利、軍無レ利則國亡、と申し候はずや、早々彼等へ感狀を出され候へ、又立原、某等初度の戰に打負け、辛き命助かり山中へ逃れ入り候も、全く瑕瑾にあらず、勝も負るも軍の習ひにて候はずやと言ひ、自ら感狀を持來て横道、松田等に與へける。聞く者幸盛が己に勝るを忌まざるを讚美せり。 ○幸盛、勇力群を絶し、才智兼備せり。晴久、部下四萬餘人の中勇力を撰みて十人を得たり。是を尼子の十勇士と呼びたり。其中にては幸盛を第一とせり。時人幸盛を稱して、楠木正成にも勝りしなんと言へり。去ればにや、七重八重取圍みたる敵も、幸盛の印を出だせば、皆悉退去れり。幸盛だに籠れば、和談して無事を爲すと云ふ。 ○幸盛常に神に祈るに、七難八苦を合はせて賜はり候へとぞ。或人其故を尋ねけるに、幸盛我心ながら事に逢ふて樣さざれば、器量の程も知れざれば、事に逢ふて心の程をも樣し度存ずる故なりと答へけり。
新字:○隠岐為清、勝久に反く。幸盛立原、横道、松田等と之を攻む。幸盛立原と初度の戦に打負け、散々に打成されしが、横道、松田二度目の戦に打勝て、為清を打散れり。勝久戦の始末を聞き、横道、松田が働を大に感ぜしが感状を出さず。是は幸盛、久綱が面恥ケ敷あるべしと二人が心中を押計りしに依てなり。幸盛之を伝へ聞き、勝久の前に出で斯々の仔細に依て、横道、松田等に感状を出されずと承はり候、是は御計ひとも存ぜず候、賞罰不レ明則兵不レ勇、兵不レ勇則軍無レ利、軍無レ利則国亡、と申し候はずや、早々彼等へ感状を出され候へ、又立原、某等初度の戦に打負け、辛き命助かり山中へ逃れ入り候も、全く瑕瑾にあらず、勝も負るも軍の習ひにて候はずやと言ひ、自ら感状を持来て横道、松田等に与へける。聞く者幸盛が己に勝るを忌まざるを讃美せり。 ○幸盛、勇力群を絶し、才智兼備せり。晴久、部下四万余人の中勇力を撰みて十人を得たり。是を尼子の十勇士と呼びたり。其中にては幸盛を第一とせり。時人幸盛を称して、楠木正成にも勝りしなんと言へり。去ればにや、七重八重取囲みたる敵も、幸盛の印を出だせば、皆悉退去れり。幸盛だに籠れば、和談して無事を為すと云ふ。 ○幸盛常に神に祈るに、七難八苦を合はせて賜はり候へとぞ。或人其故を尋ねけるに、幸盛我心ながら事に逢ふて様さざれば、器量の程も知れざれば、事に逢ふて心の程をも様し度存ずる故なりと答へけり。
書き下し
○隱岐爲清、勝久に反く。幸盛立原、横道、松田等と之を攻む。幸盛立原と初度の戰に打負け、散々に打成されしが、横道、松田二度目の戰に打勝て、爲清を打散れり。勝久戰の始末を聞き、横道、松田が働を大に感ぜしが感狀を出さず。是は幸盛、久綱が面恥ケ敷あるべしと二人が心中を押計りしに依てなり。幸盛之を傳へ聞き、勝久の前に出で斯々の仔細に依て、横道、松田等に感狀を出されずと承はり候、是は御計ひとも存ぜず候、賞罰不レ明則兵不レ勇、兵不レ勇則軍無レ利、軍無レ利則國亡、と申し候はずや、早々彼等へ感狀を出され候へ、又立原、某等初度の戰に打負け、辛き命助かり山中へ逃れ入り候も、全く瑕瑾にあらず、勝も負るも軍の習ひにて候はずやと言ひ、自ら感狀を持來て横道、松田等に與へける。聞く者幸盛が己に勝るを忌まざるを讚美せり。 ○幸盛、勇力群を絶し、才智兼備せり。晴久、部下四萬餘人の中勇力を撰みて十人を得たり。是を尼子の十勇士と呼びたり。其中にては幸盛を第一とせり。時人幸盛を稱して、楠木正成にも勝りしなんと言へり。去ればにや、七重八重取圍みたる敵も、幸盛の印を出だせば、皆悉退去れり。幸盛だに籠れば、和談して無事を爲すと云ふ。 ○幸盛常に神に祈るに、七難八苦を合はせて賜はり候へとぞ。或人其故を尋ねけるに、幸盛我心ながら事に逢ふて樣さざれば、器量の程も知れざれば、事に逢ふて心の程をも樣し度存ずる故なりと答へけり。
現代語訳
隠岐為清が勝久に背いた。幸盛は立原、横道、松田らとこれを攻めた。幸盛は立原と初度の戦で敗れ、さんざんに打ちのめされたが、横道、松田は二度目の戦で勝って、為清を打ち散らした。勝久は戦の始末を聞いて、横道、松田の働きを大いに感じたが、感状を出さなかった。これは、幸盛と久綱が面目なく思うだろうと二人の心中を推し量ったからである。幸盛はこれを伝え聞き、勝久の前に出て、「かくかくの事情で、横道、松田らに感状を出されないと承りました。これは御計らいとも存じません。『賞罰が明らかでなければ兵は勇まず、兵が勇まなければ軍に利がなく、軍に利がなければ国は亡ぶ』と申すではありませんか。早々に彼らへ感状をお出しください。また立原や私どもが初度の戦に負け、辛くも命を助かって山中へ逃げ入りましたのも、まったく瑕疵ではありません。勝つも負けるも軍の習いではありませんか」と言い、自ら感状を持って来て横道、松田らに与えた。聞く者は、幸盛が自分より勝る者を妬まないことを称賛した。 幸盛は勇力が群を絶し、才智を兼ね備えていた。晴久は、部下四万余人の中から勇力のある者を選んで十人を得た。これを尼子の十勇士と呼んだ。その中では幸盛を第一とした。当時の人は幸盛を称して、楠木正成にも勝るだろうと言った。そのためか、七重八重に取り囲んだ敵も、幸盛の印を出せばみな退き去ったという。幸盛さえ籠もれば、和談して無事に収まるとも言う。 幸盛はいつも神に祈り、「七難八苦をあわせて賜りますように」と言った。ある人がその訳を尋ねると、幸盛は「自分の心ながら、事に遭って試さなければ、器量の程も分からない。事に遭って心の程を試したいと思うからだ」と答えた。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『政談』御徒士衆與力を頭の心儘に入るゝ事並に御旗本諸役人に召出さるゝ事此等も皆家筋の極まる所より自然と斯くの如く、自然と風俗に仕度と云ふも下はいにをしくたすことにはあらす、只家筋の極まりたる風俗を破り、肝心の所は此の中より才智もあり器量も有るものを御とり立てありて、賞罰を以て人を御使ひ遊はさるゝやうに仕りたきことなり、少々は御取立て損ひありとも夫には御搆ひなく、何ものにても器量次第高官大禄にもなることゝ云ふ心に世界を仕りたきことなり、当時のことは家筋極まりたることに成り、斯くなりては中より下の人は立身の望みはなし、上へは遠し唯々下は軽薄と身もちかたきことに成りて、下たるものゝ才智は皆用に立たぬことに成るへし、
-
『武治提要』賞罰・第3段武將三軍を帥て賞すべきもの三、罰すべきもの三。一に云く忠、二に云義、三に云く勇、これ賞すべきものなり。一に云く不忠、二に云不義、三に云く不勇、これ乃罰すべきものなり。而して三等各上中下の三等を具、賞罰の目併て一十八なり。たとへ上功といへども、下等なるときは、下功の上等に或は下るべきことあり、或は中等に配すべきものあり。詳に其情實を盡すにあり。一たびも功に的中せざるの賞あるときは、人これを恨、一たびも罪に的中せざるの刑あるときは、人これを怒る。人恨人怒ときは、大切に臨て其指揮に屬せず。これ大敗の本たり。夙夜に思にあらずんば、衆情を得ること叶べからず。凡君君たらずとも、臣以て臣たらずんばあるべからずと云ものは、聖人人を敎の道にして、澆薄の人情を說にあらず。君の臣を視ること土芥のごときは、臣の君を視ること冠讎のごとしと云は、孟軻戰國の情を說ところなり。武國の俗に於て尤も斟酌せずんばあるべからず。
-
『韓非子』定法第四十三商君の法に曰く、『一首を斬る者は爵一級、官と為らんと欲する者は五十石の官と為す。二首を斬る者は爵二級、官と為らんと欲する者は百石の官と為す』と。官爵の遷ること斬首の功と相称ふなり。
-
『韓非子』姦劫弒臣第十四人焉んぞ能く安利の道を去りて危害の処に就かんや。国を治むること此くの若く其れ過てり。而して上、下の姦無く、吏の法を奉ずることを欲するも、其の得べからざること亦明らかなり。故に左右、貞信の以て安利を得べからざるを知れば、必ず曰く、「我忠信を以て上に事へ、功労を積みて安きを求むるは、是れ猶盲にして黒白の情を知らんと欲するがごとし、必ず幾からず。若し道を以て化し正理を行ひ、富貴に趨かず、上に事へて安きを求むるは、是れ猶聾にして清濁の声を審らかにせんとするがごとし、愈幾からず。二者以て安きを得べからずんば、我安んぞ能く相比周し、主上を蔽ひ、姦私を為して以て重人に適すること無からんや」と。此れ必ず人主の義を顧みず。其の百官の吏も亦方正の以て安きを得べからざるを知れば、必ず曰く、「我清廉を以て上に事へて安きを求むるは、規矩無くして方円を為さんと欲するが若し、必ず幾からず。若し法を守り朋党せずして官を治めて安きを求むるは、是れ猶足を以て頂を搔くがごとし、愈幾からず。二者以て安きを得べからずんば、能く法を廃し私を行ひて以て重人に適すること無からんや」と。
-
『韓非子』初見秦第一今秦は号令を出だして賞罰を行ひ、功有ると功無きと相事とす。其の父母の懐衽の中より出でて、生まれて未だ嘗て寇を見ざるのみ。戦ひを聞けば、足を頓し徒裼し、白刃を犯し、鑪炭を踏み、死を前に断ずる者皆是れなり。夫れ死を断ずると生を断ずるとは同じからず、而るに民之を為す者は、是れ奮死を貴べばなり。
-
言志四録・言志録 第四十九条 賞罰に私を容れず天工を助くる者は、我従ひて之を賞す。天物を戕ふ者は、我従ひて之を罰す。人君は私を容るるに非ず。