明君家訓 / 第20条二
或は馬を好み、或は道具を數寄候體にもてなし、時の利を心がけ候ものは、さながらとり賣伯樂の仕かたにて、これはとかふの僉議に及ばず候、又其程にこそなく候へども、大樣をのれが勝手をもつぱらにして、人にそこなひ有事をしらず、諸事につきて身がちにふるまふものをほく候、かやうの人つねに利害をのみ簡辨いたし候ゆへ、義理の方にはかならずうときものにて候、利にても害にても、そこに心をおかずして、一筋にこゝろざすまゝにおこなひ申にてこそ義理は立申候、されば義理にさときものは利欲にうとく、利欲にさときものは義理にうとく、義理にさときを以て士とし、利欲にさときをもて町人とす、士として利欲にさときは、一向うけられぬ事にて候、さてこそ義理にうとかるべきとをしはかり候、もとより利欲の事をいろはせずして、いさぎよく振舞せんためにこそ、君よりもつねの祿を給はるにてはなく候や、さらば又名字を捨て弓箭を折て、秤錘を腰にもせず、其儘士のさまにて有ながら、町人の行は心得がたく候、むかし公儀休と申もの魯につかへしとき、其家の榮園にあるあふひをくひて、むまく覺ければ、即時にうへしあふひをぬきてすて候、又家にて織し布のよきを見て、はたをりし女を追出し、其機を燔申候、
新字:或は馬を好み、或は道具を数寄候体にもてなし、時の利を心がけ候ものは、さながらとり売伯楽の仕かたにて、これはとかふの僉議に及ばず候、又其程にこそなく候へども、大様をのれが勝手をもつぱらにして、人にそこなひ有事をしらず、諸事につきて身がちにふるまふものをほく候、かやうの人つねに利害をのみ簡弁いたし候ゆへ、義理の方にはかならずうときものにて候、利にても害にても、そこに心をおかずして、一筋にこゝろざすまゝにおこなひ申にてこそ義理は立申候、されば義理にさときものは利欲にうとく、利欲にさときものは義理にうとく、義理にさときを以て士とし、利欲にさときをもて町人とす、士として利欲にさときは、一向うけられぬ事にて候、さてこそ義理にうとかるべきとをしはかり候、もとより利欲の事をいろはせずして、いさぎよく振舞せんためにこそ、君よりもつねの禄を給はるにてはなく候や、さらば又名字を捨て弓箭を折て、秤錘を腰にもせず、其儘士のさまにて有ながら、町人の行は心得がたく候、むかし公儀休と申もの魯につかへしとき、其家の栄園にあるあふひをくひて、むまく覚ければ、即時にうへしあふひをぬきてすて候、又家にて織し布のよきを見て、はたをりし女を追出し、其機を燔申候、
書き下し
或は馬を好み、或は道具を數寄候體にもてなし、時の利を心がけ候ものは、さながらとり賣伯樂の仕かたにて、これはとかふの僉議に及ばず候、又其程にこそなく候へども、大樣をのれが勝手をもつぱらにして、人にそこなひ有事をしらず、諸事につきて身がちにふるまふものをほく候、かやうの人つねに利害をのみ簡辨いたし候ゆへ、義理の方にはかならずうときものにて候、利にても害にても、そこに心をおかずして、一筋にこゝろざすまゝにおこなひ申にてこそ義理は立申候、されば義理にさときものは利欲にうとく、利欲にさときものは義理にうとく、義理にさときを以て士とし、利欲にさときをもて町人とす、士として利欲にさときは、一向うけられぬ事にて候、さてこそ義理にうとかるべきとをしはかり候、もとより利欲の事をいろはせずして、いさぎよく振舞せんためにこそ、君よりもつねの祿を給はるにてはなく候や、さらば又名字を捨て弓箭を折て、秤錘を腰にもせず、其儘士のさまにて有ながら、町人の行は心得がたく候、むかし公儀休と申もの魯につかへしとき、其家の榮園にあるあふひをくひて、むまく覺ければ、即時にうへしあふひをぬきてすて候、又家にて織し布のよきを見て、はたをりし女を追出し、其機を燔申候、
現代語訳
あるいは馬を好み、あるいは道具に数寄のふりをして、時の利を心がける者は、まるで取り売りの馬商人のやり方で、これはとやかく詮議するまでもない。またそれほどではなくても、おおかた自分の勝手をもっぱらにして、人に損のあることを知らず、諸事につけて身勝手にふるまう者が多い。このような人は、常に利害ばかりを分別するので、義理の方にはかならず疎い者である。利にしても害にしても、そこに心を置かず、ただ一筋に志すままに行ってこそ、義理は立つのである。そのため、義理に聡い者は利欲に疎く、利欲に聡い者は義理に疎い。義理に聡いのを士とし、利欲に聡いのを町人とする。士として利欲に聡いのは、まったく受け入れられないことである。だからこそ義理に疎いにちがいないと推し量れる。もとより利欲のことをかかわらせず、潔くふるまわせるために、君主からふだんの禄を給わるのではないか。それなら、名字を捨てて弓矢を折り、秤の錘も腰にさげず、そのまま士の姿でありながら、町人の行いをするのは、納得しがたい。昔、公儀休という者が魯に仕えたとき、その家の庭園に生えている葵を食べて、旨く感じたので、即座に植えていた葵を抜き捨てた。また家で織った布の出来がよいのを見て、機織りをした女を追い出し、その機を焼いた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『明君家訓』第20条(三)さて申候、やうは、士たるもの、家に衣食をつくりなば、それを業とする人の、いかゞしてその利を得て、すぎはひとせんやといへり、その身魯國の執權をも仕けるが、惣じて祿を食むものは下民と利を爭ことをかたくいましめけるとなり、今某が家臣の面々、日來それ〱に相應の祿をあたへ置候て、國中の百姓町人等、かりそめにも慮外いたさゞるやうに申付候、しかるうへは、利欲のこゝろざしを捨て、廉耻の行をはげまし、百姓町人に對して、いさゝかはづかしきふるまひなく、公儀休がむかしをしたはるべく候、猶更くはしく穿鑿いたし候はゞ、惣じて利欲と申ときは、金銀にかぎらず、所詮をのれが手よりもとむるは皆利欲にて候、たとへば同樣の事をとり行ひ候ても、私の手よりを以てすると、おほやけの義理を見て行ふとは、一念の上にては毫釐のたがひにて候へども、畢竟君子、小人、王覇、治亂のさかひもこれよりわかれ候へば、末は千里の謬にも成申候、去によつて義利の辨とて、先賢もくはしく議論をあらはし、これを簡要の事に沙汰しおかれ候、をの〱其書をよみて其義をさとり、ゆだんなく工夫いたさるべく候、事ながく候間今度爰に令省略候、
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『明君家訓』第20条(一)古より四民とて、天下の人を士農工商の四色にわかちおき、それ〱に主どる所の職をつけ申事にて候、しかるに、農は耕作をつとめて米穀を出し、工はあるひは梓匠となりて室屋をかまへ、あるひは陶冶となりて器物をつくり、商は賣買をいとなみて有無を通じ、此三民にて天下の用をたし申候、扱、義理と申もの一つをば、士の職と定申事にて候、此義理と申もの、色もなく臭もなきものに候ゆへ、彼三民の所作とは事かはり候て、急度つかさどる人を定申さず候ても、其分の樣に候へ共、此義理の筋目、天下にほろび候ては人に廉恥の心なく成、互に相欺き、たがひに相掠め、をのづから畏憚る所もなく、終には子も父を父とせず、臣も君を君とせず、大亂にも及び申事にて候、それゆへ士と申ものをたてゝ、義理をまもらせ、彼三民の上に置申候、平生手をあそばしめてをりながら、百姓町人を思ふさまにをしさげ候へども、かれらもおそれうやまひ申事は、士は職とする所のたかきゆへにて候、しかるところに、當代士として飽迄利欲にふけり、深く金銀をむさぼり、町人等に對し權柄を以て物をしかすむるともがら有之候、
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『初学訓』巻之二一人に義理あり、利養あり。義理は、天道にしたがひて、仁義の心をたもち、五倫の道を行ふをいふ。利養は、四民ともに各其家業をつとめ、衣食居所を求むる営をなして、身を養ふをいふ。義理は心を養ひ、財利は身を養ふ。凡そ、人の日夜営むべきこと、此二の外にこれなし。然るに、義理の心を養ふは、至りておもく、利養の身を養ふは、義理にくらぶれば甚だかろし。此二の軽重を知りて、義をたつとび、利を賤むべし。義を貴び、利をいやしむは、君子の心なり。利を貴び、義を忘るるは、小人の心なり。君子小人の別は、義と利との間にあり。一およそ、人の好むこと多しといへども、其大なること三あり。一には、富貴を好む。二には、長生を好む。三には、義理をこのむ。此三の内、軽重あり。富貴をこのむより長生をこのむは重く、長生を好むより義理を好むはおもし。人の好む所、軽重おのづから此の如くなるのみならず、好むべき道理の軽重も、亦おのづからかくの如し。
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『明君家訓』第5条士は右申通、節義をたしなみ、人がら貞信にさへ候得者、世話のごとく立居振舞不調法にして、物言あしく候ても、士の瑕にて無之候、少しもくるしからざる儀に候、當代士多くは貞心に無之、憖に指當さかしく、世話賢く、立居振舞見ぐるしからず候故、をのれが才智に、あくまで自慢いたし、貞信なるものをば、かへつて初心なりと見下し、其有樣輕薄なる輩有之、其内剩老功にて樣子しづかにとりつくろひ、能人がらに化したるも有之、又不功にてうは氣に見ゆるも有之、其品色々かはり候へども、皆同類の人にて候、加樣の人才智有のみならず、血氣にてこそ候へ、似合に勇力もあるゆへに、或は己が役儀、或は傍輩の事につき、少々苦勞なる儀をも、をのれが名利の頼有之内は、身にひきうけて精を出すものにて候、其故たのもしき人がらの樣にも見え候へども、元來佞人にて一筋に義理を守るこゝろなく候故、大事にのぞみては、かならず時々摸樣を見合、眞實の志なきものに候、一命を捨候て、專度の用に立申儀などは存もよらず、某が家臣にもかくのごときの人有之候や、大に政敎の妨に候、周公の才、孟賁が勇候とも、少しも珍重に存ぜず候、又は世に結構人と稱へ申内に、生質柔弱にして才智もなく、禮法も不存、言行につき正しき事をば嫌ひて、酒宴遊興に日を送る輩有之候、是はさながらあしき人がらと顯れ候へば、前の佞人よりは憎からず候へども、某が政敎を破り申所は同事に候、此兩樣の人行に似候はぬ樣可被相嗜候、
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『山鹿語類』士道・辨義利其故は生死の塲此一刹那にありと云ふとき、君のため又は人のため其外重きものゝために害あらんに於ては、速に死して不可顧。我重きものゝために害なきにをいては、能く保ち能く養て命を全くするに在ぬべし。利害労逸各然り。万事にをいて如此究事物之理、則義理の行長じて、利害による所則消滅す。而利害の間宜く立て、利まことに利あり、害まことに害ある也。是聖人君子人に教ゆるにしゆる所なく、唯自体認せしめて不得止のゆゑんを推して万事に用ゆるのみ也。此惑弁じがたきを知て、古人さま〳〵の教を立たり。大丈夫として己れが利害によつて、天性に耻ぢ恐るゝ処明白なる義を棄ん事は、甚可嘆也。されば小利を得て傲り、功をとげてほこり、財に臨んで求め、難を見て遁れ、争て勝つことを求め、わかつては多からんことを欲し、欲をたんぬせず、志を満しめんことを思ひ、楽を尽さんことをねがふ。如此無量の情欲出来する時、軽重を弁ずる事あらざるが故に、重き方を忘れて軽きを重んじ、ついに君臣父子兄弟師友夫婦の義かけて、其事をねがひのまゝに致して、そのあとに快からぬ処生ず。是義のかくる処は、天則にそむく処あれば也。
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『初学訓』巻之四一士は、王公大人より下士にいたるまでをいふ。いにしへ、士を立てし本意は、農工商ををさめ養はしめんためなり、民に養はれんためには非ず。凡土地を多く領する人は、我が身ひとりに私せず、倹約にして、奢と私慾なく、民をやしなふを以て心とすれば、其家長く久しく、財宝みちみちて、身の利養ゆたかなり。いにしへ、からやまとの賢君、身に倹約を行ひ、おごりつひえをなし給はざりし故に、たびたび民の貢物をゆるし給へども、後には、倉にたから満ち満ちて、米腐り銭なは朽ちて断れたりとかや。又、公卿より下つかた、士庶人に至るまで、身ををさめて、君によく仕ふれば、君のやしなひを得、財禄をたもちて、利養は求めずして、おのづから其中にあり。しかれば、士たる人は、その官職を専らつとめて、利養は求むべからず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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