明君家訓 / 第9条
當代士の寄會を聞及候に、おほくは賓主ともに禮儀正しからず、わけもなき事どもにまかせ、聲高にわらひのゝしり、又は人の嗜好色ばなし、或醉狂をし、或小歌三味線坐上にとりはやすやからも有之由、是等は一として士の作法にて無之候、偏に下臈の寄會にて候、士のまじはりは、禮法正しく、一言申出し候も、跡先をふまへ、おほくは古書の穿鑿、義理の物語などを好み、假初にもそゝけたる體をいたさゞるこそ本意にて候、しかればとて別而心安き友とは、たがひにくつろぎ打解て語儀は各別にて候、其内にも無行儀なると、作法よきとは差別有べき事に候、家中の士ども寄會候節は右の心得有べく候、
新字:当代士の寄会を聞及候に、おほくは賓主ともに礼儀正しからず、わけもなき事どもにまかせ、声高にわらひのゝしり、又は人の嗜好色ばなし、或酔狂をし、或小歌三味線坐上にとりはやすやからも有之由、是等は一として士の作法にて無之候、偏に下臈の寄会にて候、士のまじはりは、礼法正しく、一言申出し候も、跡先をふまへ、おほくは古書の穿鑿、義理の物語などを好み、仮初にもそゝけたる体をいたさゞるこそ本意にて候、しかればとて別而心安き友とは、たがひにくつろぎ打解て語儀は各別にて候、其内にも無行儀なると、作法よきとは差別有べき事に候、家中の士ども寄会候節は右の心得有べく候、
書き下し
當代士の寄會を聞及候に、おほくは賓主ともに禮儀正しからず、わけもなき事どもにまかせ、聲高にわらひのゝしり、又は人の嗜好色ばなし、或醉狂をし、或小歌三味線坐上にとりはやすやからも有之由、是等は一として士の作法にて無之候、偏に下臈の寄會にて候、士のまじはりは、禮法正しく、一言申出し候も、跡先をふまへ、おほくは古書の穿鑿、義理の物語などを好み、假初にもそゝけたる體をいたさゞるこそ本意にて候、しかればとて別而心安き友とは、たがひにくつろぎ打解て語儀は各別にて候、其内にも無行儀なると、作法よきとは差別有べき事に候、家中の士ども寄會候節は右の心得有べく候、
現代語訳
今の世の士の寄合の様子を聞き及ぶと、多くは客も主人も礼儀が正しくなく、わけもないことにまかせて声高に笑い罵り、あるいは人の嗜好や色話をし、あるいは酔狂し、あるいは小歌や三味線を座上で囃す者もいるという。これらは一つとして士の作法ではなく、ひとえに下臈の寄合である。士の交わりは礼法が正しく、一言を言い出すにも前後をわきまえ、多くは古書の穿鑿や義理の物語などを好み、かりそめにもそそけた様子をしないのが本意である。だからといって、特に心安い友とは、互いにくつろぎ打ち解けて語るのは別のことである。その中にも、無行儀なのと作法のよいのとでは、区別があるべきである。家中の士どもが寄り合うときは、この心得でいよ。
解説
この章句が説くこと
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