明訓一班抄抄録 / 夷狄を近付べからざる事・災害と防備は平時の備えが決める
又ゝ是を止め給ふ事、如何成御懷合かは知らざれ共、殘念至極なる御事也、たとへ蠻夷の船艦不渡來にもせよ、大城に近付海岸御備ゑ無と申は如何也、且出火と兵亂はいつ何時有候や、前日より分たる事計は有之間敷、何れもなき靜謐なる時に御備有りてこそ御用心とは申べけれ、前日より分りたる事ならば如何樣にも所置の術有べけれども、常ゝの備無之時は火急に臨て何程心のみ御爲を思ひたりともその甲斐有間敷、萬一出火あらば箇樣々々の張紙帳面等には一より十までさしつかへ無樣に掟を定め置給ひても、火急の場合に臨みぬれば掟通りには屆ざる故、大城御火災とても一夜に數百人死亡せしと、増て出火は折ゝ有候事にて、殊に時ゝ御世話もありて、人に心を用ゆる事にてさへ如此、況や其節に臨み水籠はしご等造らむには、不殘燒失ぬる迄も、階子等は出來がたかるべし、蠻夷の船浦賀にて何程に防たりとも、或は汐或は霧深く或は夜中抔順風にて乘込たらば、迚も浦賀の防禦計にては覺束なし、されば浦賀は勿論、先年追ゝ被仰付たりし御臺塲手厚く備ひ給ひて、其上にも濱御殿をはじめ、左右の大名屋敷々々へも夫ゝ臺塲被仰付、濱御殿へ大筒方に彼屋にても御設け、常ゝ守護被仰付、大小名御屋敷々々に臺塲を設け自分〱の筒指へはりしならば、萬々一不慮に異船來、浦賀等にて禦かね乘入せたりとも、御濱を初羽田其外左右の大小名にて打拂ひたらば、禽獸にひとしき夷人等に府下の地は踏せまじき也、たとへ異船來らざるにもせよ、常ゝ海上より見渡せる處の浦々嚴重に見ゆる時は、自御備の有無は夷人の膽にも響き、
新字:又ゝ是を止め給ふ事、如何成御懐合かは知らざれ共、残念至極なる御事也、たとへ蠻夷の船艦不渡来にもせよ、大城に近付海岸御備ゑ無と申は如何也、且出火と兵乱はいつ何時有候や、前日より分たる事計は有之間敷、何れもなき静謐なる時に御備有りてこそ御用心とは申べけれ、前日より分りたる事ならば如何様にも所置の術有べけれども、常ゝの備無之時は火急に臨て何程心のみ御為を思ひたりともその甲斐有間敷、万一出火あらば箇様々々の張紙帳面等には一より十までさしつかへ無様に掟を定め置給ひても、火急の場合に臨みぬれば掟通りには届ざる故、大城御火災とても一夜に数百人死亡せしと、増て出火は折ゝ有候事にて、殊に時ゝ御世話もありて、人に心を用ゆる事にてさへ如此、況や其節に臨み水籠はしご等造らむには、不残焼失ぬる迄も、階子等は出来がたかるべし、蠻夷の船浦賀にて何程に防たりとも、或は汐或は霧深く或は夜中抔順風にて乗込たらば、迚も浦賀の防禦計にては覚束なし、されば浦賀は勿論、先年追ゝ被仰付たりし御台塲手厚く備ひ給ひて、其上にも浜御殿をはじめ、左右の大名屋敷々々へも夫ゝ台塲被仰付、浜御殿へ大筒方に彼屋にても御設け、常ゝ守護被仰付、大小名御屋敷々々に台塲を設け自分〱の筒指へはりしならば、万々一不慮に異船来、浦賀等にて禦かね乗入せたりとも、御浜を初羽田其外左右の大小名にて打払ひたらば、禽獣にひとしき夷人等に府下の地は踏せまじき也、たとへ異船来らざるにもせよ、常ゝ海上より見渡せる処の浦々厳重に見ゆる時は、自御備の有無は夷人の胆にも響き、
書き下し
又ゝ是を止め給ふ事、如何成御懷合かは知らざれ共、殘念至極なる御事也、たとへ蠻夷の船艦不渡來にもせよ、大城に近付海岸御備ゑ無と申は如何也、且出火と兵亂はいつ何時有候や、前日より分たる事計は有之間敷、何れもなき靜謐なる時に御備有りてこそ御用心とは申べけれ、前日より分りたる事ならば如何樣にも所置の術有べけれども、常ゝの備無之時は火急に臨て何程心のみ御爲を思ひたりともその甲斐有間敷、萬一出火あらば箇樣々々の張紙帳面等には一より十までさしつかへ無樣に掟を定め置給ひても、火急の場合に臨みぬれば掟通りには屆ざる故、大城御火災とても一夜に數百人死亡せしと、増て出火は折ゝ有候事にて、殊に時ゝ御世話もありて、人に心を用ゆる事にてさへ如此、況や其節に臨み水籠はしご等造らむには、不殘燒失ぬる迄も、階子等は出來がたかるべし、蠻夷の船浦賀にて何程に防たりとも、或は汐或は霧深く或は夜中抔順風にて乘込たらば、迚も浦賀の防禦計にては覺束なし、されば浦賀は勿論、先年追ゝ被仰付たりし御臺塲手厚く備ひ給ひて、其上にも濱御殿をはじめ、左右の大名屋敷々々へも夫ゝ臺塲被仰付、濱御殿へ大筒方に彼屋にても御設け、常ゝ守護被仰付、大小名御屋敷々々に臺塲を設け自分〱の筒指へはりしならば、萬々一不慮に異船來、浦賀等にて禦かね乘入せたりとも、御濱を初羽田其外左右の大小名にて打拂ひたらば、禽獸にひとしき夷人等に府下の地は踏せまじき也、たとへ異船來らざるにもせよ、常ゝ海上より見渡せる處の浦々嚴重に見ゆる時は、自御備の有無は夷人の膽にも響き、
現代語訳
また、これを止められたことは、どのようなご事情かは分かりませんが、残念至極のことです。たとえ蛮夷の船艦が渡来しないにしても、大城に近い海岸に御備えがないというのはどうでしょうか。また、出火と兵乱はいつ何時あるか、前日から分かることはないでしょう。いずれも何もない静謐なときに御備えがあってこそ御用心というべきです。前日から分かることであれば、どのようにも処置の術はあるでしょうが、常々の備えがないときは、火急に臨んでどれほど心の中で御為を思ったとしても、その甲斐はないでしょう。万一出火があれば、かくかくしかじかの張り紙や帳面などには、一から十まで差し支えのないよう掟を定めておかれても、火急の場合に臨めば掟通りには届かないので、大城の御火災でも一夜に数百人が死亡したということです。まして出火はときどきあることで、ことに時々ご配慮もあって、人に心を用いることでさえこのようであるのに、況や、その節に臨んで水籠やはしごなどを造ろうとしても、残らず焼失するまで、はしごなどはできないでしょう。蛮夷の船は浦賀でどれほど防いだとしても、あるいは潮、あるいは霧が深く、あるいは夜中などに順風で乗り込まれたら、とても浦賀の防禦だけではおぼつかないでしょう。そうであれば、浦賀はもちろん、先年追々仰せつけられた御台場を手厚く備えられ、そのうえ濱御殿をはじめ、左右の大名屋敷にも台場を仰せつけられ、濱御殿へ大筒方にあの屋でも設け、常々守護を仰せつけられ、大小名の屋敷に台場を設け、自分たちの筒をそれぞれ指しはさめば、万一不慮に異船が来て、浦賀などで防ぎかねて乗り入れたとしても、御濱をはじめ羽田その他左右の大小名で打ち払えば、禽獣にひとしい夷人らに府下の地を踏ませることはないでしょう。たとえ異船が来ないにしても、常々海上から見渡せるところの浦々が厳重に見えるときは、自然と御備えの有無は夷人の肝にも響き、
解説
この章句が説くこと
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・蝦夷地の備えと平時の防備の必要性大猷公以來長崎の方は黑田鍋島へ防禦の事永續被仰付たる上にも、事有候時は其節に臨み能武將を撰び被遣事見へたれども、裏門の蝦夷に於ては實に御手薄き事とて、非常の節良將を被遣迄持こたへ、何も安心守らざる事也、昔は蝦夷の北は無人なりしが、今は昔と違ひ、魯西亞も廣大に成り、且はカンサツカへも能湊出來、ラツコ島まで奪れたれば、昔の御見通しにては大に異なるべし、されば文化の明斷を繼給ひて、蝦夷の地は公邊にて處置し給ひて、蝦夷地中便宜の土地を撰びて本城を御出來、郡村迄も追ゝに御おき、何事も無之內に人數も繁衍すべきやう御仕向け、海岸平路の地へは出城にても所々へ出來、大筒人數共常ゝ夫ゝ備え給ひて、萬々一の時も此方より御人數出し給ふまでもなく、小事は防ぎ留べく、又大事に成候ても御人數着至迄の持こたへ位は成るべき也、北狄の模樣昔と違ひ强大に成りて、且又、蝦夷の離島も追ゝ奪れたる上は、大猷公にて、黑船よりも明は近きに寄て御油斷不相成との尊意を以考ふれば、今は明よりも魯西亞の方はるかに近ければ、長崎よりは蝦夷の方御油斷なりがたき事に思ひ侍るなり、上意に、異國みだると聞ば云々との御諚乍憚御尤至極の御事にて、異國亂るゝよし聞たらば嚴重御備被遊べきは勿論なり、扨又日本は海國故、いつ何時夷狄押寄來らんも難計ければ、常ゝ浦々津々油斷すべからざれども、別て北狄の戰爭無之靜謐の時も防禦の備へ怠るべからず、是昔と今と敵國の模樣替りたる故也、扨近來浦賀等の海岸夫ゝ御手厚に備へ給ひしが、愚考にては未御十分には不奉存を、何れよりの建呈にて二ヶ年も不立內に、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・島々を奪われた場合の悪循環を想像する萬一佐渡隱岐對馬大島八丈松前蝦夷琉球は彼が手に入て津々浦々に寄來りなば、堅牢の船艦有りたりとも六ヶ敷可有之、況船艦なくしては如何にして是を取返し給ふべきや、海上より來れる異船を陸より防禦するさへ不容易に、ましてや彼島々を奪て、彼を陸より手薄く船にて攻入取返さん事甚難からずや、嚴命だにあらば武士の持前故如何樣の船にても出船はすべけれども惜き勇士を莫太死凶せしめむ事、御卓見無之事とて永世議し奉るべきのみならず、其後に至りては國なくては叶はぬ事とて、御船を初、いづれの國々にも出來ぬる勢、今より鏡を掛たるが如くなれば、一日も早く見拔給ん事至願に堪ざる也、其筋の職に廣く議し給ひ、自分〱只今蒙命、彼が奪ひし島々を取かえさん爲に出船するも、實意に考へ、其上にても堅牢の船不宜との事ならば、又右樣の節の良策をも難問し給ひ、衆評其儀尤と申事も候はゞ、右樣の節は箇樣ゝゝと定置給ひて、三家は勿論、大小名迄に其心得を知らせ給ふべし、又何れの道大小の艦船無之て不相成とのことならむには(掛りの御役人出時の舟にて大島なりとも又は我部河湊邊にて成りとも乘掛ておもひやるべし外海は壘の上の了簡とは又相違することなり)公邊にても御手繰次第多く製造し給ひ、海岸の大小名へも製造をゆるし給ふべき也、每度申事なれども、府下の人は諸國の米穀を賴みて命を續く事なる事前文のごとし、島々の中何れか異人出張をかまへ所々の海洋にて運送を妨げ、時々浦賀等へ帆影を見せ大筒にてもならしたらんには、府下の人民鼎沸し、米穀は不足、如何にも手を下しやうあるまじき也、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・制度の見直しと許容の限度を考える御深意有之儀とは恐察し侍れ共、貳百餘年の御恩澤にて、三家、御普代大名は勿論、外樣迄も異議有之間敷、たとへ萬々一心得違の者有たり共、此方大名の船位を御防ぎ不相成程にては、とても異船千萬艘押來りたるをば、如何にして防禦し給ふべきや、されば公邊は格別、三家共初は本船の分數を以定りて成りとも製造をゆるし給ひ、常ゝは其領主自分船の事故(三家は本船三十艘位其外大名右に順て夫ゝ御濟を可然、小舟之儀は數の定りなくて可然)公邊御船の外、御失費も無是、非常の節は大小名に命じ給はゞ、直に御用に立べき也、其上公邊にも大名にも戰艦なきは、双方有之も同樣にて、萬々一只今にも心得違の人有之浦賀より乘込むとする日に至ては、やはり是迄の船にても乘込べし、大名を御氣遣ひの爲海防迄麁にし、船の製造御免無之、遺憾といふべし、異國船の患薄き時は兎もあれ、近頃の勢にては右船の制度變通し給はずんばあるべからず、くれ〱も堅事は船双方に無之双方有之と同樣にて、大名へ掛念し給ふ所にも當らずして、唯異國船防禦御手薄にのみ當れるは國家の長策にあらず、何分にも明君の明斷を奉仰所也、扨又近頃紅毛本國より便船差こせしより、戰爭の仕組と見へざれば、定て難題申上たるべけれど、一切許容し給はざるにしかざるべし、先年打拂の御止め命令有し時、本異國渡來の患みへきよし乍不及建白せしが、如案日本國武勇衰へたるを見拔て來りし事と見へたり、(打拂止めてより漂流人お前にて受ず又浦賀にて受ず)たとへ此の度も來り種々願出るとも、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・船艦の制度を時勢に応じて変える必要嚴重の所へは先づは近づくまじき也、たとへば盜賊にても堅固なる處よりは入ざる道理なれば、大城に近き海岸はいづれも嚴重御備有りて可然事と存侍る也、凡夷狄を防禦するは大銃大船を第一とすべし、船艦の事は齊昭每度建白せしが、御法度に荷船の外大船無事に有候故製作不相成よし御沙汰ありけれども、公邊御船にては天地丸とか唱(御關船とも云)を第一の御大船とする由なれども、寬政年中(蝦夷騷動の時なり)故越中守老中の時御試として伊豆の邊まで遣されしに、引船三十艘計に引せ(櫓三十挺程打損じ)漸ふからき目をして往來せしよし、かゝる造作にては御用には迚も難叶ければ、(海船にて海乘すは御手入のみも無益の費なり)大小有、是の船艦兎角丈夫に出來、大銃を打ても敗れ沈む患なく、帆にて自由に取廻すべき樣に製造あらまほしき事也、たとへ所々運送はゆるし給はずとも、上の御船は浦賀より御川內をかぎり、海岸有之大名共は自分領分の海上にて漁獵等に事寄せ乘馴したらば、非常の備へにも成りぬべき事にて、是皆天下の御爲なり、(建政五丑三月の達しにて可恐)乍憚東照宮上意にも、指したるかはりもなきに本よりの法を替ることは不宜よしの御意にて考るに、敵國の模樣三代將軍家の御代とかはりたるにも御かまひなく、昔のまゝの御法を用ひ給はんより、敵の國の事情をも斟酌し給ひて、末長く天下を守るべき御事ならずや、執法の役々御法度を守るは其役目にて尤至極の事なれども、御舊法さへかへざれば戰爭に負ても宜敷といふ程は有間敷ければ、乍憚將軍家の御卓見にて變通の御決斷を希ふ所也、
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『明訓一班抄抄録』・奢侈を禁ずべき事・非常に備え、姑息を避ける決断非常の節に臨み、御用を缺間敷策有べからず、惶多も三代將軍有德公は不及申、其他三親藩にて尾州の源敬、紀州の源南、祖宗の威儀を初、諸大名何れも名將の聞えたる者は、皆常々儉約して武備を勵し家中に空く祿を食む者なき樣にせしなり、遊女出家の遊民の外、君に祿を給る家中祿を空しくする事有べからず、非常の事あらんには、其家中には國主領主に附從ひ、國主領主は我先にと幕府の御用に立樣、常々心掛、幕府にては常々御旗本に武備を勵し給ふて、國主領主を賴みに不思召樣、双方折合時は、夷船何程渡來るとも、又は萬々一國持大名に異變有之とも、更に恐るゝに不足事なり、右樣武備の手當調たる上は人々相應の美はくるしくも有之間敷なれども、儉約を守り一生取かゝりてさへ行屆兼候はん、たとへば十分手當出來し上は十一分にも十二分にも手厚き樣心掛べき事故、いつとても奢りてよきと言時は有之間敷、且日本中の事と違ひ、異國より渡來の戰爭はいつ何時有之も難計、出火と戰爭は前日より分りたる事は有まじ、公邊を初奉り、三親藩は勿論、諸大名とも、生るゝより死る迄、我皇國の道を本とし、佛法の異端邪道を退け、常々異國船來りたり共手筈不違樣申合せ置、兼て覺悟第一たるべし、異端の道を惡きとは知ながら、苟安姑息して近付る事なかれ、苟安姑息と言事は見通しなきと不決斷より出る事にて黑白の見拔なき故なり、黑白の見拔なき時は、たとへ賢明有者の正論を聞一度尤と思ひ、又愚闇不當の邪論を聞ても成程と惑ひ、兩方の説を取用ひて黑ともならず白ともならずと言如く、中を取て中庸と思ひ誤る事の少なからず、是を色に譬れば鼠色の所を用ゆるにひとし、鼠色は白くは一切なる事なし、黑く成によりて姑息を用る人惡き方に成行、此理とくれ〱も非常の卓見をもて永世までも無用の奢を禁じ、文道武道を勵みぬるぞ、人君の急務なるべし、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・小回りの利く強い備えを実験で確かめる本文東照宮上意にも、萬里の海上一走りに成る間、油斷することなかれ、兼ての覺悟第一ぞとの仰を、兼て事は事なきやう用心し給ふ事にて、事出來てよりは迚も御間には合申間敷、先年齊昭領分にて鯨打の事願ひしにゆるし給ひぬれば、常の船にて度々相試みしに船板迄敗れたりき、(去る子年歸國以來、貫目の上の筒自分にても町打拭入とも度々打を試み、尙また或時湊にて座敷よりの四五十間計り先にて一貫目の筒目辻にして自分打試みたり、跡にて座敷に入り見るに、障子二三寸ぐらひに不殘くだけて、五間計りもあとへ飛なり、又陶物商抔は棚の上へ積置し品多分落くだけしなり、)左候へども存分響き強き物にて手薄の船にては迚も海防の用をなしがたし、(大船は多く有しに不及、本船のみにて中小にて丈夫の船多きのが便利なるべし、如何となれば、大船へは玉中り安く、小船へは中り惡し、此方より打出さんには、小船より打出したる玉とても同樣なれば、小船の丈夫なるを數多く乘出し、蠻狄の大船を取卷て打べし、其中元船にも玉藥入用あれば本船も勿論備べし、又外海を乘掛り候に貳拾間以下の船にては波摧けざる故、永く動きて働も不便利なり、波間は多分七ひろ計りのよしなれば、三七貳十一間以上ならては本船にはなしがたかるべし、)島島といへば人々遠所のやうにおもへども、萬里の波濤をさへ凌ぎ來る奴原なれば、萬一日本廻りの島々奪れし上は、常に容易に往來すべし、荷船の外大船御制禁の譯は外國へ渡り邪宗門へ引入らるゝを患給ふ計りにも無之、

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