匡正論 / 流派の固さと三木流の教え
是も勿論聞もの多は俗士文盲なれば聞取も惡しくむつかしきことの樣に思へば、成ほど其先師よりも幾度など云樣の定もあるべし、元來其師も其如くにしてやう〱と會得して、月日を費し傳授したる稈の先生なれば、師の短を捨ると云樣なる事は勿論也、唯傳來の說を一字も違ては其流に非ずと心得る樣なる軍者故にさもある可き筈の事也、畢竟文盲の然らしむる所にして、萬藝如此類多し、總て藝者の餘り正直すぎて吾成す所は此上もなき事也と思ひ、事の實否も分別せず、固く守りつむるは氣の毒なる事こそ多けれ、阿波侯藩士(姓名失記)三木流と云兵法を傳て諸士に敎るあるよし、初學に授くるに先軍騎の事を專らとし、夫より段々役筋それ〱の事を敎、將軍に至て傳授すむよし、平生治國の事は、儒道にしく事なければ、是にて辨へ知るべし、只軍中の事理を示すよし、一躰理少く事がちにて傳授も早く濟むよし、阿藩の士岡田氏なる人話にて嘗て是を聞く、世の常の敎方とは違ひて味ある樣に思るゝ也、つであらば聞度者也、儲肥後侯の士に何某なる者平日如何したるやらん、鎗術なども稽古せざりし人ありしが天草の時の軍役に當りければ、俄かに鎗術の師家に至り、或は耻て、或は悔て、先鎗の表抔やふに習て從軍しけるが、幸にして相應の勝負をもして功を立て無難に歸陣しけるが、夫より師家に至りて一禮を述べ是までの罪を謝し猶修行したきよし申ければ、其師の云、兼ゝ修行御出精なきこそくせものなれ、畢竟其所作をとての稽古なれば、今度それほどの覺あらば何流の差別入るべきに非ず、即ち印可する也とて許しけるよし、
新字:是も勿論聞もの多は俗士文盲なれば聞取も悪しくむつかしきことの様に思へば、成ほど其先師よりも幾度など云様の定もあるべし、元来其師も其如くにしてやう〱と会得して、月日を費し伝授したる稈の先生なれば、師の短を捨ると云様なる事は勿論也、唯伝来の説を一字も違ては其流に非ずと心得る様なる軍者故にさもある可き筈の事也、畢竟文盲の然らしむる所にして、万芸如此類多し、総て芸者の余り正直すぎて吾成す所は此上もなき事也と思ひ、事の実否も分別せず、固く守りつむるは気の毒なる事こそ多けれ、阿波侯藩士(姓名失記)三木流と云兵法を伝て諸士に教るあるよし、初学に授くるに先軍騎の事を専らとし、夫より段々役筋それ〱の事を教、将軍に至て伝授すむよし、平生治国の事は、儒道にしく事なければ、是にて弁へ知るべし、只軍中の事理を示すよし、一体理少く事がちにて伝授も早く済むよし、阿藩の士岡田氏なる人話にて嘗て是を聞く、世の常の教方とは違ひて味ある様に思るゝ也、つであらば聞度者也、儲肥後侯の士に何某なる者平日如何したるやらん、鎗術なども稽古せざりし人ありしが天草の時の軍役に当りければ、俄かに鎗術の師家に至り、或は耻て、或は悔て、先鎗の表抔やふに習て従軍しけるが、幸にして相応の勝負をもして功を立て無難に帰陣しけるが、夫より師家に至りて一礼を述べ是までの罪を謝し猶修行したきよし申ければ、其師の云、兼ゝ修行御出精なきこそくせものなれ、畢竟其所作をとての稽古なれば、今度それほどの覚あらば何流の差別入るべきに非ず、即ち印可する也とて許しけるよし、
書き下し
是も勿論聞もの多は俗士文盲なれば聞取も惡しくむつかしきことの樣に思へば、成ほど其先師よりも幾度など云樣の定もあるべし、元來其師も其如くにしてやう〱と會得して、月日を費し傳授したる稈の先生なれば、師の短を捨ると云樣なる事は勿論也、唯傳來の說を一字も違ては其流に非ずと心得る樣なる軍者故にさもある可き筈の事也、畢竟文盲の然らしむる所にして、萬藝如此類多し、總て藝者の餘り正直すぎて吾成す所は此上もなき事也と思ひ、事の實否も分別せず、固く守りつむるは氣の毒なる事こそ多けれ、阿波侯藩士(姓名失記)三木流と云兵法を傳て諸士に敎るあるよし、初學に授くるに先軍騎の事を專らとし、夫より段々役筋それ〱の事を敎、將軍に至て傳授すむよし、平生治國の事は、儒道にしく事なければ、是にて辨へ知るべし、只軍中の事理を示すよし、一躰理少く事がちにて傳授も早く濟むよし、阿藩の士岡田氏なる人話にて嘗て是を聞く、世の常の敎方とは違ひて味ある樣に思るゝ也、つであらば聞度者也、儲肥後侯の士に何某なる者平日如何したるやらん、鎗術なども稽古せざりし人ありしが天草の時の軍役に當りければ、俄かに鎗術の師家に至り、或は耻て、或は悔て、先鎗の表抔やふに習て從軍しけるが、幸にして相應の勝負をもして功を立て無難に歸陣しけるが、夫より師家に至りて一禮を述べ是までの罪を謝し猶修行したきよし申ければ、其師の云、兼ゝ修行御出精なきこそくせものなれ、畢竟其所作をとての稽古なれば、今度それほどの覺あらば何流の差別入るべきに非ず、即ち印可する也とて許しけるよし、
現代語訳
これももちろん聞く者の多くは俗士で文盲なので、聞き取りも悪く難しいことのように思うから、なるほどその先師からも幾度などというような定めがあるのでしょう。元来その師もそのようにしてやっと会得し、月日を費やして伝授された程度の先生なので、師の短所を捨てるようなことはもちろんありません。ただ伝来の説を一字でも違えては、その流派ではないと心得るような軍者なので、そうあるのも当然のことです。結局、文盲がそうさせるのであって、万芸にこのような類は多いのです。総じて芸者があまり正直すぎて、自分のなすところはこの上ないことだと思い、事の実否も分別せず、固く守りつめているのは気の毒なことがたいへん多いのです。阿波侯の藩士(姓名は記憶にない)が三木流という兵法を伝えて諸士に教えているそうです。初学に授けるにはまず軍騎のことを専らとし、それから順に役筋それぞれのことを教え、将軍に至って伝授が済むそうです。平生の治国のことは儒道に及ぶものはないので、それで弁え知るべきで、ただ軍中の事理を示すそうです。全体に理が少なく事が多く、伝授も早く済むそうです。阿波藩の士の岡田氏という人の話でかつてこれを聞きました。世の常の教え方とは違って味わいがあるように思われます。機会があれば聞きたいものです。また肥後侯の士に何某という者が、平日どうしたのか、槍術なども稽古しなかった人がいましたが、天草の時の軍役に当たったので、にわかに槍術の師家に行き、あるいは恥じ、あるいは悔いて、まず槍の表(基本)などを急いで習って従軍したところ、幸いに相応の勝負もして功を立て無難に帰陣しました。それから師家に行って一礼を述べ、これまでの罪を謝してなお修行したいと申し出たところ、その師が言うには、「日頃修行に精を出されなかったことこそくせものです。結局その所作をとっての稽古なのですから、今度それほどの覚えがあるなら、何流の差別も要りません。すなわち印可します」と言って許したということです。
解説
この章句が説くこと
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『匡正論』・才に応じた学び方と流派の弊徠翁の徠翁たる所は經學復古の業を以て盛なりとする事にて、實學の大才なれども、初學に敎ふるに詩文を以て敎らるゝ事故に、後世是を學者の罪にはあれども、遂に詩文の虛學者出來る事也、大に徠翁の心に非る可し、且つ徠翁は大才の豪傑なれば、詩文は勿論何も角も出來たる事也、人の知る所也、是を學者其才の餘りなき故に有することあたはず、諺に云ふまねする烏とやらん云樣にて、遂に虛學に陷る也、故に人々其才に從て、學び方敎へ方心得あり度事也、儲又武藝兵法を學にも其心得有度事也、大抵は徂翁の著書中にも處々あるが如く、詩文は武藝の中にても古は專らとして用ひ今はさまでの專用にあらざるもあるべく、又古の敎方と今の敎方と異もあるべく、無益の事に氣をつけずして、あたら月日を送るもあるべければ、徂徠の鈴錄抔に論ぜる所を工夫して、修行ありたき事也、兵法抔にて云へば、兵家諸流の輩、謙信の傳る所の武道は、日本武尊より傳來る和國正統の武道にて、治國修身の外他の道を假らずと云、孫吳をも異國の兵書なれば見るに及ばずなど云ふ、甚しきは六經論語をも見る事をふせぐに似たるもあり、文盲なる士は誠に此上もなきやうに思ひ、且つ其妄說により文學をもなさで濟む事と心得、得手勝手を云類もあり、大に害ある事ども也、又軍法と云へば城取など第一義として、繪圖或は小手三昧にて日月を費し精力を勞するもあり、又兵法の理などは少し文才ある者は一覽にてさらりと會得する事なども、師家よりの傳來なりとて聞かで叶ざることをばさしをき、幾度の講釋三度の返講など濟ざれば言聞かさざる類もあり、
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『匡正論』・得手を磨き、仁によって芸を学ぶ肥後の人の物語りに是を聞く、此事いろ〱評も有可き事なれども、當時は此程の無我なる師は少くなからん、總じて君子の心は格別の者にて、徂徠先生の門弟へ殊に祕して見しめざりしは明律國字解なりしよし、其故は當時封建の治なれば、上下恩愛の厚き事、異國三代の如し、故に明律などを見れば、其まゝに用ひ度者なれば、其害を恐れて高弟に非ざれば妄りに見る事を許さゞりしと也、今世俗の人妄りに物をしめかすより見れば、仁者の心は格別なる者に非ずや、儲又弓馬鎗大刀の術は士たる者一通知らで叶はざる事なれども、其中にも人々の得手もあるべければ、吾は是にて實に働く可しと思ふ術を專に心がけ修行する類の取捨ある可き也、何も角も手を出して一つも修し得ざる勿論なるよし、皆免許目錄をとりても、其實の取捨もなく、只多藝者なりと云れ、面白と思へる、持操なきと云可し、士宦の藝を學は名聞に拘らず實に仁によるに非れば本意に非ず、仁とは天下國家を安治するの名なれば、何れ高も卑も國家の役に立可きと志さゞねば、吾身の爲になす事に成行、終には主君の御陰にて修行して上達すれば、是を以て立身にもなるべしと思ふあり、勿躰なき心底にて、人非人の大賊とは此等の事ならん、是又無學の然らしむる所也、儲士の文武を學と云うち人々性質により强力勇氣の人は文事にうとく、虛弱微力の質は武事に堪かねるものなれば、二つともに全き事もならざれども、强勇の人も先王の道を學びて大なる事は出來ずとも、道は大抵箇樣なる者にて、士の成て叶はざる者と云程の事を知り、儲其生質の勇强を忠義にも武事にも一ぱいに實の入る樣にし、
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『匡正論』・重職の人材に必要な治国の学重き職の士大夫も番組兵士の心ばへなる人こそ多けれ、是に依て賢主の士を撰も仁政を行はんとし玉へば、其器に當る人少くして空く憂へ玉ふ事也、つら〱考ふるに、異朝には文武行はると云ども、自然と文を好むの類多きに似たり、吾邦の當時は專ら將軍の政治なれば、所謂武を好める人多くて文を嗜事の少きに似たり、是自然の勢也、凡そ當時國郡を治るも武威々々とは云ひ習はせども、治まれる世の世事なれば、名目は違とも、自然と文官武職は無て叶はざる事なり、家老用人奉行などは文職の中にても重き職なり、然るを唯胡椒丸呑とやらん云類にて、吾は武士なりと心得て、戰場に臨まば、一番鎗を提て飛込みて、一歩も退くまじ、此所を志こそ本意なりとのみ思ひ、又僅かの讀書に志ある人も、學風の惡しき故に士宦の學文は只此心の戰場にて動ざらん爲とのみ心得たる類も多と見へたり、是皆文官の俗意と知るべし、此等の職の人は殊に學に達し、和漢古今の盛衰治亂存亡の事をも知り、治國安民の道に明かにして或は君の輔佐となり、民の望みともなるべき事を心に懸て叶ざる事なり、且當時は封建の治なれば、君臣恩愛の厚きこと異國三代の如し、大老家老は卿大夫に當れば、兵事ある時は則將となりて出づべきは勿論なり、故に武を講も弓馬鎗劍の技のみ專らにするは誤りなり、和漢の兵法に通曉し治世に其國武備の闕たるを補ひ士と民をなつくる事をこそ專要とすべし、又戰場に臨みても兵士ならば死すべき所も死せずして君を補し國を全ふする類もあるべければ、何の唯に死を輕じ武夫兵卒と志を同すべけんや、又諸士の輩弓馬鎗劍の術のみ志あれば戰場に功名仕らんとのみするは、
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『匡正論』・文武の実を失った武士の通念詩書は義の府なれば、卿大夫たる者、先王の義に達せざれば、武事のみ長じても、卿とはなさざるなり、古の道みな如此也、故に有文事者、必有武備とも云、仁者必有勇、勇者不必有仁とも云、又有勇而無義、爲亂とも云り、古の學士德成て仕へ、爵大夫に至るを至極とするなれば、敢る事也、後世學文の如き比ひに非ず、吾邦中古以後公家武家と別れてより、政治皆將軍に歸し、諸侯皆武家と稱して、其國の政令も多くは軍命を其まゝに用ひて治らるゝ事、大方は武威を以てひしつけ、何事も簡易徑直なるを貴び、士を敎るに一步も退かざるを以て本意とす、但當時の御條目に文武忠孝を勵む事あれば、何事もこの內にこもることとなれども、全躰に上下共多く文武の實を失ふに似たり、今士の武道なりと稱せる所は、俠客の氣ありて勇を尙び死を厭はず恥を知り信を重じ、むさくきたなびれず、弓馬鎗劍の術に達し、御馬前にて潔く一命を捨るなど云常言あり、是等のことを武道と心得たるなり、又其文道なりとする所は、總て書を讀み詩歌を作るなどの事なりと思ひ、甚しきは讀書は武士の知らずして濟むべき者なりとて、孝悌忠信の沙汰もなく、恥とする事を知らず、是世上文學の行れざる故にや、又小量なる學者の善惡邪正の心盤にして理屈めきたるを見る故にや、學文すれば諸士の交り妨となると思ふの類、皆學風のあしきと無學文官との然らしむる所にして、誠の道を知る人の憂ふる所也、然れども其武道とする一種の志氣は頼もしき所あり、害なしと云べし、只無學の輩多きより治國の才を成す人少く、
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『匡正論』・虚弱な者の備えと幼年の学びの仕方虛弱の者も武藝のうち、何ぞ一身の安堵なるほどには一つ二つは是非に心がけ、且兵法抔吟味し、戰場にてはせめては一計をも獻じ奉らん事を嗜をき、儲又文事は才力にまかせて、いかにも才知一ぱいに學び得て、治國の用に立べき實學をなしたきもの也、儲又年十四五より内の武藝は餘り益なき者にて、殊に幼年の時より荒き事業のみさせて靜なる學書讀書の事をなれさせざれば、動もすれば、野鳥を蓄ふやうになりて、文學にうつり難き者也、父母の心得あるべき事也、且幼年の讀書の仕樣は、白文の書を一日に一二章程づゝ敎て、幾百遍も諳誦させるほど讀すべし、退屈せずして却て面白く進みて讀者也、熊澤了海も云り、學書は華樣にても隨分達者に寫物など出來る樣になるを主意として敎ゆべし、生得書に器用にして殊に書を好まば、古法帖などを目當として法帖の習はるゝ樣に仕込、且其生得是は何の風を書せば性に近からんと思ふ風を示さば、其成功速ならん、少年の士の手習をするとて、當世祐筆此國の俗間能書なりと持はやす書を、あたら月日を費して習ひ、能く似せんと志ざすはさりとては氣の毒なる者也、見師に過て師には半德を減す、と云へば、夫ほどの書學得て、又限りの見えたる事にて、□たる者、夫を能習ひ得て又何かせん、夫よりは何ほども寫さて叶はざる書もあるべし、それとも生得筆を把ること好ならば、古今に名ある書を摸臨するこそ誠の好と云なる可し、あまり過細なることなれども爰に記す也、儲又武藝の師も文學を心がけて叶はざる事をかりそめにも敎え、讀書の師も武藝を勵す樣に成さば、
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『匡正論』・身分に甘んじず上を目指す学び成ほど番組の士などは武を專らとする事勿論の事ゆへ、さもあるべきなれども、治世今日の上にては、番組は一生番組の樣心得て、一向に番組より上のことを見ず、少き輩の武藝の外何の志もなく、宿衞などの間は暇に任せて種々の逸遊などしてあたら月日を過すは、あまり無欲すぎたる分別とや云はん、少は其場合より上を見て今日の御役に立ん事をも心がけ度事也、或人身士の列にも入ざらんほどの者なりしが、頗る武器を好て手自甲冑を繊し嗜みけるを、同藩の士列是を評して云けるは、其身士列にもあらずして入ざる嗜なり、兎角人は其場々々を守る事こそ宜しけれと云しとなり、予是を聞きつら〱思ふに、其小量にして志なきことを知るに足り、今士列に入ずとて、士以上の事を心がけまじきや、立身の志を何とか利欲の樣に思ふも宋學の弊風ならん、道を枉げて富貴を求め、阿諛賄賂等を成す事は、勿論士のあるまじきなれども、身を立て道を行ふは男子の志すべき事にして孝の終りなりともあり、其志は有たき事也、賢明の君は安民に御心を痛玉へる事ゆへに、一人にても一方の役に立べき人の出てん事を悅び玉へば、才を撰て段々に役に職し玉ふなれば、今日の事に無骨文盲にして不埒なるは不忠に非ずや、故に諸士皆文武の學道に達せん事を志し、孝悌忠臣の德を辨ぜずして、叶はざる事也、儲其諸士の學文の仕方段々に心得あるべき事也、凡士の學文と云は、佛老等の道に非ざるは勿論なり、中華先聖王治國修身の道、經書に載たるを讀て會得する事第一の義なれば、才も不才も先書の讀るを以て基とす、

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