導師導古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

匡正論 / 才に応じた学び方と流派の弊

徠翁の徠翁たる所は經學復古の業を以て盛なりとする事にて、實學の大才なれども、初學に敎ふるに詩文を以て敎らるゝ事故に、後世是を學者の罪にはあれども、遂に詩文の虛學者出來る事也、大に徠翁の心に非る可し、且つ徠翁は大才の豪傑なれば、詩文は勿論何も角も出來たる事也、人の知る所也、是を學者其才の餘りなき故に有することあたはず、諺に云ふまねする烏とやらん云樣にて、遂に虛學に陷る也、故に人々其才に從て、學び方敎へ方心得あり度事也、儲又武藝兵法を學にも其心得有度事也、大抵は徂翁の著書中にも處々あるが如く、詩文は武藝の中にても古は專らとして用ひ今はさまでの專用にあらざるもあるべく、又古の敎方と今の敎方と異もあるべく、無益の事に氣をつけずして、あたら月日を送るもあるべければ、徂徠の鈴錄抔に論ぜる所を工夫して、修行ありたき事也、兵法抔にて云へば、兵家諸流の輩、謙信の傳る所の武道は、日本武尊より傳來る和國正統の武道にて、治國修身の外他の道を假らずと云、孫吳をも異國の兵書なれば見るに及ばずなど云ふ、甚しきは六經論語をも見る事をふせぐに似たるもあり、文盲なる士は誠に此上もなきやうに思ひ、且つ其妄說により文學をもなさで濟む事と心得、得手勝手を云類もあり、大に害ある事ども也、又軍法と云へば城取など第一義として、繪圖或は小手三昧にて日月を費し精力を勞するもあり、又兵法の理などは少し文才ある者は一覽にてさらりと會得する事なども、師家よりの傳來なりとて聞かで叶ざることをばさしをき、幾度の講釋三度の返講など濟ざれば言聞かさざる類もあり、

新字:徠翁の徠翁たる所は経学復古の業を以て盛なりとする事にて、実学の大才なれども、初学に教ふるに詩文を以て教らるゝ事故に、後世是を学者の罪にはあれども、遂に詩文の虚学者出来る事也、大に徠翁の心に非る可し、且つ徠翁は大才の豪傑なれば、詩文は勿論何も角も出来たる事也、人の知る所也、是を学者其才の余りなき故に有することあたはず、諺に云ふまねする烏とやらん云様にて、遂に虚学に陥る也、故に人々其才に従て、学び方教へ方心得あり度事也、儲又武芸兵法を学にも其心得有度事也、大抵は徂翁の著書中にも処々あるが如く、詩文は武芸の中にても古は専らとして用ひ今はさまでの専用にあらざるもあるべく、又古の教方と今の教方と異もあるべく、無益の事に気をつけずして、あたら月日を送るもあるべければ、徂徠の鈴録抔に論ぜる所を工夫して、修行ありたき事也、兵法抔にて云へば、兵家諸流の輩、謙信の伝る所の武道は、日本武尊より伝来る和国正統の武道にて、治国修身の外他の道を仮らずと云、孫呉をも異国の兵書なれば見るに及ばずなど云ふ、甚しきは六経論語をも見る事をふせぐに似たるもあり、文盲なる士は誠に此上もなきやうに思ひ、且つ其妄説により文学をもなさで済む事と心得、得手勝手を云類もあり、大に害ある事ども也、又軍法と云へば城取など第一義として、絵図或は小手三昧にて日月を費し精力を労するもあり、又兵法の理などは少し文才ある者は一覧にてさらりと会得する事なども、師家よりの伝来なりとて聞かで叶ざることをばさしをき、幾度の講釈三度の返講など済ざれば言聞かさざる類もあり、

書き下し

徠翁の徠翁たる所は經學復古の業を以て盛なりとする事にて、實學の大才なれども、初學に敎ふるに詩文を以て敎らるゝ事故に、後世是を學者の罪にはあれども、遂に詩文の虛學者出來る事也、大に徠翁の心に非る可し、且つ徠翁は大才の豪傑なれば、詩文は勿論何も角も出來たる事也、人の知る所也、是を學者其才の餘りなき故に有することあたはず、諺に云ふまねする烏とやらん云樣にて、遂に虛學に陷る也、故に人々其才に從て、學び方敎へ方心得あり度事也、儲又武藝兵法を學にも其心得有度事也、大抵は徂翁の著書中にも處々あるが如く、詩文は武藝の中にても古は專らとして用ひ今はさまでの專用にあらざるもあるべく、又古の敎方と今の敎方と異もあるべく、無益の事に氣をつけずして、あたら月日を送るもあるべければ、徂徠の鈴錄抔に論ぜる所を工夫して、修行ありたき事也、兵法抔にて云へば、兵家諸流の輩、謙信の傳る所の武道は、日本武尊より傳來る和國正統の武道にて、治國修身の外他の道を假らずと云、孫吳をも異國の兵書なれば見るに及ばずなど云ふ、甚しきは六經論語をも見る事をふせぐに似たるもあり、文盲なる士は誠に此上もなきやうに思ひ、且つ其妄說により文學をもなさで濟む事と心得、得手勝手を云類もあり、大に害ある事ども也、又軍法と云へば城取など第一義として、繪圖或は小手三昧にて日月を費し精力を勞するもあり、又兵法の理などは少し文才ある者は一覽にてさらりと會得する事なども、師家よりの傳來なりとて聞かで叶ざることをばさしをき、幾度の講釋三度の返講など濟ざれば言聞かさざる類もあり、

現代語訳

徂徠翁が徂徠翁たる所以は、経学復古の業で盛んであることで、実学の大才ですが、初学に教えるのに詩文をもって教えられたために、後世これを学者の罪とはいえ、ついに詩文の虚学者が出来るのです。大いに徂徠翁の心に反することでしょう。また徂徠翁は大才の豪傑なので、詩文はもちろん何もかもできたことは、人の知るところです。これを学者がその才の余りないために持つことができず、諺にいう「真似する烏」とかいうようで、ついに虚学に陥るのです。ですから人々は、その才に従って、学び方・教え方に心得があってほしいものです。また武芸・兵法を学ぶにもその心得があってほしいことです。大抵は徂徠の著書の中にも処々にあるように、詩文は武芸の中でも古は専らとして用い今はさほどの専用ではないものもあり、また古の教え方と今の教え方に違いもあり、無益なことに気をつけずに惜しい月日を送るものもありましょうから、徂徠の『鈐録』などに論じているところを工夫して、修行してほしいものです。兵法などで言えば、兵家の諸流の輩が、「謙信の伝える武道は、日本武尊より伝わった和国正統の武道で、治国修身のほか他の道を借りない」と言い、孫呉をも異国の兵書だから見るに及ばないなどと言い、甚だしきは六経論語を見ることをも防ぐようなものもあり、文盲の士はまことにこの上ないものと思い、またその妄説によって文学をしなくても済むことと心得て、得手勝手を言う類もあり、大いに害のあることです。また軍法といえば城取りなどを第一義として、絵図や小手三昧で日月を費やし精力を労するものもあり、また兵法の理などは少し文才のある者は一覧でさらりと会得することなども、師家よりの伝来だといって聞かなくてはならないことは差し置いて、幾度の講釈・三度の返講などが済まなければ言い聞かせない類もあります。

解説

徂徠のような大才の方法をそのまま真似ると、才の足りない人は虚学に陥るという指摘から、学び方も教え方も人の才に応じるべきだと説く章句です。兵法の流派が自派の伝を絶対視し、他の書を見ることを遠ざける弊も挙げられています。現代でも、一つのメソッドや成功事例を万能と思い込み、他の知見を排除すると成長が止まります。手法を相対化し、状況に合わせて選ぶ柔軟さを持ちたいところです。

この章句が説くこと

『匡正論』本多忠籌兵法流派虚学荻生徂徠

関連する章句

『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る
本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る