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君子訓 / 巻之中

舜の時、敢諫の鼓あり。君を諫めんと思ふ者、其鼓を打てば、官人出合ひて是を聞きて、帝に奏聞す。此事大戴禮に見えたり。殷の湯王は聖人なり。然るに其賢臣仲虺と言ひし人、湯王の德を譽めて、過を改めて吝ならずといへり。仲虺湯王を戒めて、自ら用ふれば小しきなりといへり。自ら用ふるとは、我が才を自慢して、人の言を用ひざるをいふ。古の聖王すら、過を改め人の諫を聞き用ひ給ふ事かくの如し。況や聖人ならざる人、諫を受けて過を改めずんばあるべからず。諫を聞くに、たとひ人我が過を告げたるは、其言當らずとも、皆受入るべし。如斯なれば、人諫を言ひ易くして、我が過を聞くこと多し。もし我が過なきを言立て、逆らひ爭へば、重ねて告げ聞する人なし。

新字:舜の時、敢諫の鼓あり。君を諫めんと思ふ者、其鼓を打てば、官人出合ひて是を聞きて、帝に奏聞す。此事大戴礼に見えたり。殷の湯王は聖人なり。然るに其賢臣仲虺と言ひし人、湯王の徳を誉めて、過を改めて吝ならずといへり。仲虺湯王を戒めて、自ら用ふれば小しきなりといへり。自ら用ふるとは、我が才を自慢して、人の言を用ひざるをいふ。古の聖王すら、過を改め人の諫を聞き用ひ給ふ事かくの如し。況や聖人ならざる人、諫を受けて過を改めずんばあるべからず。諫を聞くに、たとひ人我が過を告げたるは、其言当らずとも、皆受入るべし。如斯なれば、人諫を言ひ易くして、我が過を聞くこと多し。もし我が過なきを言立て、逆らひ争へば、重ねて告げ聞する人なし。

書き下し

舜の時、敢諫の鼓あり。君を諫めんと思ふ者、其鼓を打てば、官人出合ひて是を聞きて、帝に奏聞す。此事大戴礼に見えたり。殷の湯王は聖人なり。然るに其賢臣仲虺と言ひし人、湯王の徳を誉めて、過を改めて吝ならずといへり。仲虺湯王を戒めて、自ら用ふれば小しきなりといへり。自ら用ふるとは、我が才を自慢して、人の言を用ひざるをいふ。古の聖王すら、過を改め人の諫を聞き用ひ給ふ事かくの如し。況や聖人ならざる人、諫を受けて過を改めずんばあるべからず。諫を聞くに、たとひ人我が過を告げたるは、其言当らずとも、皆受入るべし。如斯なれば、人諫を言ひ易くして、我が過を聞くこと多し。もし我が過なきを言立て、逆らひ争へば、重ねて告げ聞する人なし。

現代語訳

舜の時代には敢諫の鼓がありました。君を諫めようと思う者がその鼓を打てば、役人が出てきてこれを聞き、帝に申し上げました。このことは大戴礼に見えます。殷の湯王は聖人です。それなのに、その賢臣の仲虺という人は、湯王の徳をほめて「過ちを改めることを惜しまない」と言いました。また仲虺は湯王を戒めて「自分だけを用いれば小さくなる」と言いました。自分だけを用いるとは、自分の才を自慢して、人の言葉を用いないことをいいます。昔の聖王でさえ、過ちを改め人の諫めを聞いて用いられたことはこのとおりです。まして聖人でない人は、諫めを受けて過ちを改めなければなりません。諫めを聞くときは、たとえ人が自分の過ちを告げたことが当たっていなくても、皆受け入れるべきです。そうすれば、人は諫めを言いやすくなって、自分の過ちを聞くことが多くなります。もし自分に過ちはないと言い立てて逆らい争えば、重ねて告げ聞かせる人はいなくなります。

解説

舜の敢諫の鼓や、殷の湯王の臣仲虺の言葉を引いて、聖王でさえ諫めを聞いて過ちを改めたと説いています。仲虺の「過ちを改めて吝かならず」「自ら用うれば小なり」は尚書の仲虺之誥に見える言葉です。とくに大切なのは、指摘が的外れでもまず受け入れよ、という助言です。反論すれば二度と言ってもらえなくなる、というのは経験的に誰もがうなずける真理でしょう。フィードバックを受けたときにまず感謝して受け止める姿勢は、今の職場でも信頼を築く基本です。

この章句が説くこと

諫め過ち聖王謙虚傾聴

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