甲陽軍鑑 / 品第十四
さ云ふ猿侍は、三十にあまり四十に及べどもよろしくはなし、討の成敗、物を一度仕りたることなし、それを耻敷とも存ぜず、口斗り聞く人は何もせず、終には其者六十·七十までもうきことなくてはつるを世間に申なす、臆病武者此人なり、ケ樣の者をば信玄公おほきに嫌い給ひ、信州上田原合戰ありて後、外樣近習たゝらひ五左衛門と申す者、三十七八迄我は何もせずして人の褒貶を申すとて、信玄公立腹まし〳〵日向大和·内藤修理兩人を以て七ど使を立てられ、七度目に書付をさしくだし給ふ、
新字:さ云ふ猿侍は、三十にあまり四十に及べどもよろしくはなし、討の成敗、物を一度仕りたることなし、それを耻敷とも存ぜず、口斗り聞く人は何もせず、終には其者六十·七十までもうきことなくてはつるを世間に申なす、臆病武者此人なり、ケ様の者をば信玄公おほきに嫌い給ひ、信州上田原合戦ありて後、外様近習たゝらひ五左衛門と申す者、三十七八迄我は何もせずして人の褒貶を申すとて、信玄公立腹まし〳〵日向大和·内藤修理両人を以て七ど使を立てられ、七度目に書付をさしくだし給ふ、
書き下し
さ云ふ猿侍は、三十にあまり四十に及べどもよろしくはなし、討の成敗、物を一度仕りたることなし、それを耻敷とも存ぜず、口斗り聞く人は何もせず、終には其者六十·七十までもうきことなくてはつるを世間に申なす、臆病武者此人なり、ケ様の者をば信玄公おほきに嫌い給ひ、信州上田原合戦ありて後、外様近習たゝらひ五左衛門と申す者、三十七八迄我は何もせずして人の褒貶を申すとて、信玄公立腹まし〳〵日向大和·内藤修理両人を以て七ど使を立てられ、七度目に書付をさしくだし給ふ、
現代語訳
そう言う猿侍は、三十を過ぎ四十に及んでもよいことはなく、討ち取りや成敗も一度もしたことがない。それを恥ずかしいとも思わず、口ばかりで、聞く人は何もしていない。ついにはその者が六十・七十まで憂き目にもあわずに果てるのを、世間では臆病武者とはこの人のことだと言う。このような者を信玄公は大いに嫌われ、信州上田原の合戦の後、外様の近習たたらい五左衛門という者が、三十七、八まで自分は何もせずに人の褒貶を申すというので、信玄公は立腹なさって、日向大和・内藤修理の二人を使いに七度立てられ、七度目に書付を下された。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十四其趣は其方ことすどのせりあひ合戦に、何にても終に然るべきこと覚へず、十度事に逢ふて九度はづるゝとも、せめては一ど心操あれば人の褒貶も尤もなり、侍の褒貶なければ一段ぶせんさくなる物にて候へば、各傍輩中の褒貶は侍衆嗜みのも本一となれば、行々予が戈さきの强くなる道理にて、某も底意は悅ぶといへども、此たゝらひ五左衛門は旗本に於て我代に今迄幾度のせりあひ大合戦、或は城を責取とき一度の手抦もなくして、諸傍輩の取り沙汰仕り、人に腹をたゝするは大悪党人なりとあそばして、二十人衆に仰せ付られ、則ちからめ取り、あひ川のはたにて縛頸をきられ申す、長坂長閑は能く覚へ給ふべし、
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『甲陽軍鑑』品第十四扨て右に申猿のごとく成、人なみの侍身にあまりたる欲を思ひ、あがき廻るを天道のにくみ給へば、もとより强過たる大将聞出し給ひてから、猿のごとくなる侍を、こと〳〵く方薬払と云者になさるれば、よき衆は打死し、残る久しき者ははらはれ人にことかき給ふにより、結句右のさる侍におとりの地下人共をよび出し、近習と名付置給へど終に公界をいたさねば、心は猿の様にて始の衆より作法をしらず、其しらぬ分がおとりにて、散々あしき家中ぶりとなるは、偏に大将のつよみ過て十の儀を十ながら勝様にし給ふ故也、信玄公御在世のとき宣ふは、十の物六ツ七ツの勝は十分也、十分にかてばけがありて、後は一分もかちはならぬと我等ばかりになし、各家老衆へ度々仰られ候、
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『甲陽軍鑑』品第十四御出語は定めて長坂長閑·跡部大炊助少しも失念あるまじき所に、若屋形の然も心の剛强にましますを、前代より强くと諫め申す、信玄公よりつよくし給へば、それがはや强み過たると云ふことなり、過れば必ずけがありといふ、けがあればそれを名付けて負けたると申す、負くれば能き物を皆失はれて、猿の様なる男斗り多く残り居て、よき侍の不思儀に命助りて、大勢の中に五人·十人有るを、人なみの猿男どもよき人を猜み、討死したる侍衆の手抦をいひ出し、今爰に残る衆はまへの衆の足もとほどもなきと取りさたすれど、
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『甲陽軍鑑』品第四十さやうの誉れ人、合戦·せりあひの時、人なみにいたせば臆病と申、又主の前にて出頭する者をば、たゞの時はあしう申かね、合戦·せり合の刻、諸傍輩出頭人の頭を此時おさんと思ひ出頭いたす者、人なみにすれば臆病をしたるとさた申事如此二ヶ条は畳の上の公事さたに出頭人理をもちても非ならんとさばくように、軍の時名和無理之介が事也、扨は某前近き者のうはさは、ちと余分をきく儀信玄が仕形是なりと各々宿老衆へ信玄公仰せきかせらるゝなり、
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『甲陽軍鑑』品第四十奉公人の上に大身·小身の侍は申に及ばず、下々の者迄相手におそろしき人有、是は何人ぞ、見いだし候へと御諚なり、各不叶、そこにて信玄公仰らるゝ、無分別の人の事也、子細は彼無分別人、跡先をふまず、口にまかせ、手に任せ法外の仕形あり、左様の人はかならずつばぎはにてをくることいへども、よき分別有人は、かね〳〵せんさくをよくいたすにより、無分別者のがれたがる共、申いだしてからはのがさず、勝負を付るよき分別者が、あしき無分別の者と相手になり、いたづらに身を果すなれば、是を思案してみられよ、
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『甲陽軍鑑』品第四十四番に武者雑談の時、其座をたつわらんべは後に十人の中八人·九人は臆病者なり、縦へ一二人未練になくとも、人の跡につき合戦·せりあひの時、追頸の人なみに逃る敵をうちても鑓下の本の高名と存知、異見をいひまはり、よき武士本の手抦を仕る儀あれば、をのれが心にあてがふて是も我ごとくにうち、よき人をうちてこそ人のこりなるをもつて、大剛にいはれぞするらんと思て、人間にあまりちがふたる人は、世の中にあるまじきと能武士をそねみ、口にまかせて申事、右のおさなき時、武篇雑談の座敷を立つ童べ、おとなに成ての仕形如此と信玄公宣ふ也、
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