甲陽軍鑑 / 品第四十
四番に武者雜談の時、其座をたつわらんべは後に十人の中八人·九人は臆病者なり、縱へ一二人未練になくとも、人の跡につき合戰·せりあひの時、追頸の人なみに逃る敵をうちても鑓下の本の高名と存知、異見をいひまはり、よき武士本の手抦を仕る儀あれば、をのれが心にあてがふて是も我ごとくにうち、よき人をうちてこそ人のこりなるをもつて、大剛にいはれぞするらんと思て、人間にあまりちがふたる人は、世の中にあるまじきと能武士をそねみ、口にまかせて申事、右のおさなき時、武篇雜談の座敷を立つ童べ、おとなに成ての仕形如此と信玄公宣ふ也、
新字:四番に武者雑談の時、其座をたつわらんべは後に十人の中八人·九人は臆病者なり、縦へ一二人未練になくとも、人の跡につき合戦·せりあひの時、追頸の人なみに逃る敵をうちても鑓下の本の高名と存知、異見をいひまはり、よき武士本の手抦を仕る儀あれば、をのれが心にあてがふて是も我ごとくにうち、よき人をうちてこそ人のこりなるをもつて、大剛にいはれぞするらんと思て、人間にあまりちがふたる人は、世の中にあるまじきと能武士をそねみ、口にまかせて申事、右のおさなき時、武篇雑談の座敷を立つ童べ、おとなに成ての仕形如此と信玄公宣ふ也、
書き下し
四番に武者雑談の時、其座をたつわらんべは後に十人の中八人·九人は臆病者なり、縦へ一二人未練になくとも、人の跡につき合戦·せりあひの時、追頸の人なみに逃る敵をうちても鑓下の本の高名と存知、異見をいひまはり、よき武士本の手抦を仕る儀あれば、をのれが心にあてがふて是も我ごとくにうち、よき人をうちてこそ人のこりなるをもつて、大剛にいはれぞするらんと思て、人間にあまりちがふたる人は、世の中にあるまじきと能武士をそねみ、口にまかせて申事、右のおさなき時、武篇雑談の座敷を立つ童べ、おとなに成ての仕形如此と信玄公宣ふ也、
現代語訳
四番めに武者の雑談の時、その座を立つ童は、後に十人のうち八人・九人は臆病者である。たとえ一人二人が未練でなくとも、人の後について合戦や競り合いの時、追い首の人並みに逃げる敵を討っても、槍下の本当の高名だと存じて異見を言い回り、よい武士が本当の手柄をいたす儀があれば、自分の心に当てがって、これも我と同じように討ち、よい人を討ってこそ人の残りであるといって、大剛に言われようと思って、人間にあまり違った人は世の中にいるまいと、よい武士を嫉み、口に任せて申す事。右の幼い時、武辺の雑談の座敷を立つ童は、大人になってのやり方がこのとおりであると、信玄公が宣われるのである。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十侍をわらんべの時めしつかふに、見知様子大方四ツあり、一人武士道におぼへの者、二人かひ〳〵しき者、三人はしりめぐり一かど仕べき利口者、三人寄合武者雑談いたす所にて童らべ四人其座敷にあり、一人は口をあき、かたる者のかほばかりみてきく、二人めは耳をすまし、ちとうつふきて是を聞、三人めは、かたる人の顏をみて少しづゝ笑ひ、ゑみがほし退く、かやうに色々有、先始のうか〳〵と聞童べ後迄も其心とをり、いかわねばに武篇·塲数ありても、跡さきのわきまへもなく形義取ひろけ、つゞかぬ作法なれば、似あはしき内の者の然るべきをももたず、よき友·傍輩の異見うくる近づきもなきもの也、
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『甲陽軍鑑』品第四十子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
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『甲陽軍鑑』品第四十さやうの誉れ人、合戦·せりあひの時、人なみにいたせば臆病と申、又主の前にて出頭する者をば、たゞの時はあしう申かね、合戦·せり合の刻、諸傍輩出頭人の頭を此時おさんと思ひ出頭いたす者、人なみにすれば臆病をしたるとさた申事如此二ヶ条は畳の上の公事さたに出頭人理をもちても非ならんとさばくように、軍の時名和無理之介が事也、扨は某前近き者のうはさは、ちと余分をきく儀信玄が仕形是なりと各々宿老衆へ信玄公仰せきかせらるゝなり、
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『甲陽軍鑑』品第四十奉公人の上に大身·小身の侍は申に及ばず、下々の者迄相手におそろしき人有、是は何人ぞ、見いだし候へと御諚なり、各不叶、そこにて信玄公仰らるゝ、無分別の人の事也、子細は彼無分別人、跡先をふまず、口にまかせ、手に任せ法外の仕形あり、左様の人はかならずつばぎはにてをくることいへども、よき分別有人は、かね〳〵せんさくをよくいたすにより、無分別者のがれたがる共、申いだしてからはのがさず、勝負を付るよき分別者が、あしき無分別の者と相手になり、いたづらに身を果すなれば、是を思案してみられよ、
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『甲陽軍鑑』品第四十二番に耳をすまして武士雑談きくわらんべは後に別はなきぞ、信虎より我等まで二代へかけはしり廻る、横田備中·原美濃守·小幡山城·多田淡路·我代に尋得たる山本勘介·北条氏康のため大藤金谷、かよう武篇おぼへの者になるなり、三番に此雑談を聞候て、にこ〳〵とわらひておもしろがる童は、後に武辺ほまれの者にかならずなるといへども、あまりすぎて権だかうして人にこくみをうる者なり、
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『甲陽軍鑑』品第四十就中よき武士他国より来る類親なき者、手がらの儀ひいき〳〵に申につき、信玄公度々御諚に、おのれがぬき出たる手がらをして、大略にいはるゝは、何程口惜からんと分別してみよ、そこの程をかんがうる者は、かならず中悪き人の事をも、ありように云ふを、其手抦をそしらぬ侍の我身にかけて大きなる武篇をいたす儀と、又よし贔負おほうして種々作ことをいひ、