甲陽軍鑑 / 品第四十
奉公人の上に大身·小身の侍は申に及ばず、下々の者迄相手におそろしき人有、是は何人ぞ、見いだし候へと御諚なり、各不叶、そこにて信玄公仰らるゝ、無分別の人の事也、子細は彼無分別人、跡先をふまず、口にまかせ、手に任せ法外の仕形あり、左樣の人はかならずつばぎはにてをくることいへども、よき分別有人は、かね〳〵せんさくをよくいたすにより、無分別者のがれたがる共、申いだしてからはのがさず、勝負を付るよき分別者が、あしき無分別の者と相手になり、いたづらに身を果すなれば、是を思案してみられよ、
新字:奉公人の上に大身·小身の侍は申に及ばず、下々の者迄相手におそろしき人有、是は何人ぞ、見いだし候へと御諚なり、各不叶、そこにて信玄公仰らるゝ、無分別の人の事也、子細は彼無分別人、跡先をふまず、口にまかせ、手に任せ法外の仕形あり、左様の人はかならずつばぎはにてをくることいへども、よき分別有人は、かね〳〵せんさくをよくいたすにより、無分別者のがれたがる共、申いだしてからはのがさず、勝負を付るよき分別者が、あしき無分別の者と相手になり、いたづらに身を果すなれば、是を思案してみられよ、
書き下し
奉公人の上に大身·小身の侍は申に及ばず、下々の者迄相手におそろしき人有、是は何人ぞ、見いだし候へと御諚なり、各不叶、そこにて信玄公仰らるゝ、無分別の人の事也、子細は彼無分別人、跡先をふまず、口にまかせ、手に任せ法外の仕形あり、左様の人はかならずつばぎはにてをくることいへども、よき分別有人は、かね〳〵せんさくをよくいたすにより、無分別者のがれたがる共、申いだしてからはのがさず、勝負を付るよき分別者が、あしき無分別の者と相手になり、いたづらに身を果すなれば、是を思案してみられよ、
現代語訳
奉公人の上で、大身・小身の侍は申すに及ばず、下々の者まで、相手にして恐ろしい人がある。これは何人であるか、見出されよとの御諚である。それぞれかなわなかった。そこで信玄公が仰せられる。無分別の人の事である。子細は、かの無分別の人は後先を踏まず、口に任せ手に任せて法外の仕形がある。そのような人は必ず刃の際で命を落とすとはいっても、よい分別のある人は、かねがね詮索をよくいたすので、無分別な者が逃れたがっても、申し出してからは逃さず勝負をつける。よい分別者が悪い無分別の者と相手になり、いたずらに身を果たすのだから、これを思案してみられよ。分別のない者は恐ろしい人ではないかと宣われたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第六信長公の手にたつべき丹波の赤井悪右衛門も三ヶ年以前頸きれ疔と云ふ腫物にて逝去し、大方生れ替りになり、松永一人残居終に己が身に計策かかり、信長に敵をして不慮のけいさくに、松永も信長のためにうち死す、其年の七月より全く信長天下の主として、都の諸司代をも信長より知り給ふ、三善家の滅却は松永欲心を発し天下を望み、傍輩共不和になりし故也雖然修理太夫殿信心深く智恵才覚無双の人なる故、天下を二代知り給ふ、
-
『韓非子』說林上二十二將に之を敗らん欲せば、必ず姑く之を輔けよ。將に之を取らんと欲せば、必ず姑く之に予えよ。
-
呂氏春秋・愼行②荊の平王に臣有り、費無忌と曰う。太子建を害み、之を去らんと欲す。王、建の為に妻を秦より取るに美なり。無忌、王に勸めて奪う。王已に之を奪いて、太子を疏ず。無忌、王に說きて曰く、「晉の霸たるや、諸夏に近ければなり。而るに荊は僻なり。故に與に爭うこと能わず。大いに城父に城きて、太子を置き、以て北方を求めしめ、王は南方を収むるに若かず。是れ天下を得るなり。」王說び、太子をして城父に居らしむ。居ること一年、乃ち之を惡りて曰く、「建、連尹と將に方城の外を以て反せんとす。」王曰く、「已に我が子為り。又尚ほ奚をか求めん。」對えて曰く、「妻の事を以て怨む。且つ自ら以為えらく、猶ほ宋のごとし、と。齊・晉又之を輔け、將に以て荊を害せんとす。其の事已に集れり。」王之を信じ、連尹を執らえしむ。太子建は出奔す。左尹郤宛は、國人之を說ぶ。無忌又之を殺さんと欲し、令尹子常に謂いて曰く、「郤宛は令尹に酒を飲ましめんと欲す。」又郤宛に謂いて曰く、「令尹、酒を子の家に飲まんと欲す。」郤宛曰く、「我賤人なり。以て令尹を辱くするに足らず。令尹必ず來たりて辱くせば、我且に何を以てか之を給待せん。」無忌曰く、「令尹は甲兵を好む。子出だして之を門に寘き、令尹至りなば、必ず之を觀ん。已にして因りて以て酬と為せ。」饗日に及び、門の左右に惟して甲兵を寘く。無忌因りて令尹に謂いて曰く、「吾幾んど令尹に禍いせんとす。郤宛將に令尹を殺さんとす。甲門に在り。」令尹、人をして之を視しむるに、信なり。遂に郤宛を攻めて、之を殺す。國人大いに怨み、胙を進むる者、令尹を非らざるもの莫し。沈尹戍、令尹に謂いて曰く、「夫の無忌は、荊の讒人なり。太子建を亡せしめ、連尹奢を殺し、王の耳目を屏う。今令尹又之を用い、衆く不辜を殺し、以て大謗を興し、患い幾んど令尹に及ばんとす。」令尹子常曰く、「是れ吾が罪なり。敢て良く圖らざらんや。」乃ち費無忌を殺し、盡く其の族を滅ぼし、以て其の國を說ばす。動くに其の義を論ぜず、人を害するを知るも、人の己を害するを知らず、以て其の族を滅ぼすは、費無忌の謂か。
-
『甲陽軍鑑』品第四十四番に武者雑談の時、其座をたつわらんべは後に十人の中八人·九人は臆病者なり、縦へ一二人未練になくとも、人の跡につき合戦·せりあひの時、追頸の人なみに逃る敵をうちても鑓下の本の高名と存知、異見をいひまはり、よき武士本の手抦を仕る儀あれば、をのれが心にあてがふて是も我ごとくにうち、よき人をうちてこそ人のこりなるをもつて、大剛にいはれぞするらんと思て、人間にあまりちがふたる人は、世の中にあるまじきと能武士をそねみ、口にまかせて申事、右のおさなき時、武篇雑談の座敷を立つ童べ、おとなに成ての仕形如此と信玄公宣ふ也、
-
『甲陽軍鑑』品第四十一信玄公宣ふ、右がさつ者は分別も遠慮なき故、恥をもあまりしらずして、縦ひ親兄弟不慮に殺害にて死し、敵きあり共、其敵きをうたんと思ふ事もなく常のかさつにちがふて、合戦·せりあひの時もかならずかさつ者は人なみより結句内にして、しかも又それに付ても種々の理はりをいひたがる事、偏に分別なくして遠慮なきゆへなり、
-
『甲陽軍鑑』品第四十如件一或る時信玄公宣ふ、世中の人は色々あり、旣に分別ありて才覚なき人もあり、才覚ありて慈悲のなき人もあり慈悲ありて人をみしらぬも有、人をみしらぬ者は大身は崇敬する者共十人の内八人役にたゝぬ者多し、小身は其熟根する傍輩のあしきつれに近付なり、如此色々様々かわりてみゆれども、それはたと分別のいたらぬ心なり、分別さへ能々すぐれてある人は、才覚にも遠慮にも、人をしるにも功をなすにも、何事に付てもよからん、さる程に、人間は分別の二字諸色のもとゝ存知、朝に心ざし、