金剛経 / 『金剛経』住する所なくして心を生ず
佛告須菩提:「於意云何?如來昔在燃燈佛所、於法有所得不?」 「不也、世尊!如來在燃燈佛所、於法實無所得。」 「須菩提!於意云何?菩薩莊嚴佛土不?」 「不也、世尊!何以故?莊嚴佛土者、即非莊嚴、是名莊嚴。」 「是故、須菩提!諸菩薩摩訶薩、應如是生清淨心、不應住色生心、不應住聲、香、味、觸、法生心、應無所住而生其心。」 「須菩提!譬如有人、身如須彌山王、於意云何?是身為大不?」 須菩提言:「甚大、世尊!何以故?佛說非身、是名大身。」
新字:仏告須菩提:「於意云何?如来昔在燃灯仏所、於法有所得不?」 「不也、世尊!如来在燃灯仏所、於法実無所得。」 「須菩提!於意云何?菩薩荘厳仏土不?」 「不也、世尊!何以故?荘厳仏土者、即非荘厳、是名荘厳。」 「是故、須菩提!諸菩薩摩訶薩、応如是生清浄心、不応住色生心、不応住声、香、味、触、法生心、応無所住而生其心。」 「須菩提!譬如有人、身如須弥山王、於意云何?是身為大不?」 須菩提言:「甚大、世尊!何以故?仏説非身、是名大身。」
書き下し
仏、須菩提に告げたもう、「意に於いて云何。如来は昔、燃灯仏の所に在りて、法に於いて得る所有りや不や。」 「不なり、世尊よ。如来は燃灯仏の所に在りて、法に於いて実に得る所無し。」 「須菩提よ、意に於いて云何。菩薩は仏土を荘厳するや不や。」 「不なり、世尊よ。何を以ての故に。仏土を荘厳すとは、即ち荘厳に非ず、是れを荘厳と名づく。」 「是の故に、須菩提よ、諸の菩薩摩訶薩は、応に是の如く清浄の心を生ずべし。応に色に住して心を生ずべからず、応に声、香、味、触、法に住して心を生ずべからず、応に住する所無くして、其の心を生ずべし。」 「須菩提よ、譬えば人有りて、身は須弥山王の如くならんに、意に於いて云何。是の身は大なりと為すや不や。」 須菩提の言さく、「甚だ大なり、世尊よ。何を以ての故に。仏は非身を説きて、是れを大身と名づく。」
現代語訳
仏は須菩提に告げられました。「どう思うか。如来は昔、燃灯仏のもとにいたとき、法において何かを得ることがあっただろうか。」 「ありません、世尊よ。如来は燃灯仏のもとにおいて、法について実際には何も得ていません。」 「須菩提よ、どう思うか。菩薩は仏の国土を美しく飾るだろうか。」 「飾りません、世尊よ。なぜなら、仏の国土を飾るということは、そのままの飾りではなく、それを飾りと名づけているだけだからです。」 「だから、須菩提よ、菩薩たちは、このように清らかな心を起こすべきである。形にとらわれて心を起こしてはならない。音、香り、味、感触、心に浮かぶ事柄にとらわれて心を起こしてもならない。どこにもとどまることなく、その心を起こすのである。」 「須菩提よ、たとえば、身体が須弥山の王のように大きい人がいたとして、どう思うか。その身体は大きいと言えるだろうか。」 須菩提は答えました。「非常に大きいです、世尊よ。なぜなら、仏は身体でないものを説いて、それを大きな身体と名づけられたからです。」
解説

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