不動智神妙録 / 応無所住而生其心
應無所住而生其心 此文を讀み候へば、オウムシヨジウジシヤウゴシンと讀み候、萬の業をするにせうと思ふ心が生ずれは、其する事に心が止るなり、然る間止る所なくして心を生すべしとなり、心の生する所に生ぜざれば手も行かず、行けばそこに止まる心を生じて其事をしながら止まる事なきを、諸道の名人と申すなり、此の止まる心から執着の心起り、輪廻も是れより起り、此の止まる心生死のきづなと成り申し候、
新字:応無所住而生其心 此文を読み候へば、オウムシヨジウジシヤウゴシンと読み候、万の業をするにせうと思ふ心が生ずれは、其する事に心が止るなり、然る間止る所なくして心を生すべしとなり、心の生する所に生ぜざれば手も行かず、行けばそこに止まる心を生じて其事をしながら止まる事なきを、諸道の名人と申すなり、此の止まる心から執着の心起り、輪廻も是れより起り、此の止まる心生死のきづなと成り申し候、
書き下し
応無所住而生其心 此文を読み候へば、オウムシヨジウジシヤウゴシンと読み候、万の業をするにせうと思ふ心が生ずれは、其する事に心が止るなり、然る間止る所なくして心を生すべしとなり、心の生する所に生ぜざれば手も行かず、行けばそこに止まる心を生じて其事をしながら止まる事なきを、諸道の名人と申すなり、此の止まる心から執着の心起り、輪廻も是れより起り、此の止まる心生死のきづなと成り申し候、
現代語訳
応に住する所無くして其の心を生ずべし。この文を読むと、おうむしょじゅうじしょうごしんと読みます。あらゆる業をするのに、しようと思う心が生じれば、その事に心がとどまってしまいます。だから、とどまる所なくして心を生じなさい、というのです。心を生じるべき所に生じなければ、手も動きません。動けばそこにとどまる心を生じて、その事をしながらとどまる事がないのを、諸道の名人と言うのです。このとどまる心から執着の心が起こり、輪廻もこれから起こり、このとどまる心が生死の絆となってしまうのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『不動智神妙録』有心の心 無心の心是れ心に物ある故なり、あるとは思ふ事があるなり、此有る物を去りぬれば、心無心にして唯用の時ばかり働きて其用に当る、此の心にある物を去らんと思ふ心が又心中の有る物になる、思はざれば独り去りて自ら無心となるなり、常にかくすれば何時となく後は独り其位へ行くなり、急にやらんとすれば行かぬものなり、古歌に「思はしと思ふも物を思ふなり思はじとだに思はしやきみ」。
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『不動智神妙録』有心の心 無心の心有心之心無心之心と申す事の候、有心の心と申すは妄心と同じ事にて、有心とはアルコヽロと読む文字にて、何事にても一方へ思ひ詰る所なり、心に思ふ事ありて分別思案が生ずる程に、有心の心と申し候、無心の心と申すは右の本心と同じ事にて、固り定まりたる事なく分別も思案も何も無き時の心、総身に広ごりて全体に行渡る心を無心と申す也、どツこにも置かぬ心なり、石か木かのやうにてはなし、留る所なきを無心と申す也、留れば心に物かあり留る所なければ心に何も無し、心に何もなきを無心の心と申し、又は無心無念とも申し候、
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『不動智神妙録』応無所住而生其心花紅葉を見て花紅葉を見る心は生じなから、其所に止らぬを詮と致し候、慈円の歌に「柴の戸に匂はん花もさもあらばあれなかめにけりな恨めしの世や」。花は無心に匂ひぬるを我は心を花にとゞめてなかめけるよと、身の是れにそみたる心が恨めしと也、見るとも聞くとも一所に心を止めぬを至極とする事にて候、
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『不動智神妙録』心の置所心の置所 心を何処に置かうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるゝなり、敵の太刀に心を置けは、敵の太刀に心を取らるゝなり、敵を切らんと思ふ所に心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり、我太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるゝなり、われ切られじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり、人の構に心を置けば、人の構に心を取らるゝなり、兎角心の置所はないと言ふ、
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『不動智神妙録』有心の心 無心の心此無心が心に能くなりぬれば一事に止らず一事に欠かず、道に水の湛えたるやうにして此身に在りて用の向ふ時出て叶ふなり、一所に定まり留まりたる心は自由に働かぬなり、車の輪も堅からぬにより廻るなり、一所につまりたらば廻るまじきなり、心も一時に定むれば働かぬものなり、心中に何ぞ思ふ事あれば人の云ふ事をも聞きなから聞えざるなり、思ふ事に心が止まるゆゑなり、心が其思ふ事に在りて一方へかたより、一方へかたよれば物を聞けども聞たず、見れども見えざるなり、
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『六祖壇経』行由品第一遂に祖に啟して言く、「何ぞ期せん、自性は本より自ら清淨なることを。何ぞ期せん、自性は本より生滅せざることを。何ぞ期せん、自性は本より自ら具足せることを。何ぞ期せん、自性は本より動搖無きことを。何ぞ期せん、自性は能く萬法を生ずることを」と。