講孟余話 / 盡心下 第十七章
此章、即チ萬章下篇首章中ノ一段ニテ、孔子ノ速久処仕、各其可ニ當ルヲ云フナリ、然トモ疑フヘキ者アリ、告子下篇第六章ニ云ク、孔子爲魯司寇、不用、從而祭、燔肉不至、不稅冕而行、ト、然レハ遲々トシテ行クニ非ス、又孟子ノ斉ヲ去ル、三宿而後出晝、公孫丑下篇第十二章トアリ、孟子何ソ孔子ノ接浙而行ルニ傚ハサルヤ、余按スルニ、浙ヲ接ルト云ヒ冕ヲ稅カズト云者ハ皆辞ナリ、三宿ト云者ハ実事也、朱子前告子篇ニ註シテ云ク、見幾明決、而用意忠厚、ト云、簡明ノ說ト云ヘシ、又揚氏ノ說ヲ引テ云ク、孔子欲去之意久矣、不欲苟去、故遲々其行也、膰肉不至則可以微罪行矣、故不稅冕而行、非速也、亦善ク明決忠厚ノ意ヲ発スト云ヘシ、
新字:此章、即チ万章下篇首章中ノ一段ニテ、孔子ノ速久処仕、各其可ニ当ルヲ云フナリ、然トモ疑フヘキ者アリ、告子下篇第六章ニ云ク、孔子為魯司寇、不用、従而祭、燔肉不至、不税冕而行、ト、然レハ遅々トシテ行クニ非ス、又孟子ノ斉ヲ去ル、三宿而後出昼、公孫丑下篇第十二章トアリ、孟子何ソ孔子ノ接浙而行ルニ傚ハサルヤ、余按スルニ、浙ヲ接ルト云ヒ冕ヲ税カズト云者ハ皆辞ナリ、三宿ト云者ハ実事也、朱子前告子篇ニ註シテ云ク、見幾明決、而用意忠厚、ト云、簡明ノ説ト云ヘシ、又揚氏ノ説ヲ引テ云ク、孔子欲去之意久矣、不欲苟去、故遅々其行也、膰肉不至則可以微罪行矣、故不税冕而行、非速也、亦善ク明決忠厚ノ意ヲ発スト云ヘシ、
書き下し
此の章、即ち萬章下篇首章中の一段にて、孔子の速・久・処・仕、各其の可に当たるを云ふなり。然れども疑ふべき者あり。告子下篇第六章に云く、「孔子魯の司寇と為る、用ゐられず。従ひて祭る、燔肉至らず、冕を税かずして行く」と。然れば遅々として行くに非ず。又孟子の斉を去る、「三宿して而る後に昼を出づ」公孫丑下篇第十二章とあり。孟子何ぞ孔子の「淅を接りて行く」に傚はざるや。余按ずるに、淅を接ると云ひ、冕を税かずと云ふ者は皆辞なり。三宿と云ふ者は実事なり。朱子前の告子篇に註して云く、「幾を見ること明決にして、用意忠厚なり」と云ふ、簡明の説と云ふべし。又楊氏の説を引きて云く、「孔子去らんと欲するの意久し。苟も去るを欲せず、故に遅々として其れ行くなり。膰肉至らざれば則ち微罪を以て行くべし、故に冕を税かずして行く、速やかなるに非ざるなり」と。亦善く明決忠厚の意を発すと云ふべし。
現代語訳
この章は、萬章下篇首章の中の一段であって、孔子が速やかに去る時、ゆっくり留まる時、仕えずにいる時、仕える時を、それぞれふさわしく当てたことを言っている。けれども疑うべきところがある。告子下篇第六章にこうある。「孔子が魯の司寇(司法長官)となったが用いられなかった。君に従って祭りに出たが、供えの焼き肉が配られてこなかったので、冠も脱がずに立ち去った」と。それならば、ぐずぐずと去ったのではない。また孟子が斉を去るとき、「三晩泊まってのちに昼の町を出た」公孫丑下篇第十二章とある。孟子はどうして、孔子が「研いだ米を手ですくい上げてすぐ立ち去った」のにならわなかったのか。私が考えるに、「米をすくい上げて」とか「冠を脱がずに」とかいうのは、みな言葉の上のことである。「三晩泊まった」というのは実際のことである。朱子は前の告子篇に注して「兆しを見ることは明らかで決断があり、心配りは誠実で手厚い」と言う。簡明な説と言うべきである。また楊氏の説を引いて「孔子が去ろうとする気持ちはずっと前からあった。しかし軽々しく去ることは望まなかった。だからぐずぐずと去ったのである。焼き肉が届かなければ、小さな過ちを口実に去ることができる。だから冠も脱がずに去ったのであって、速やかに去ったのではない」と言う。これもまた、よく明らかな決断と誠実な心配りの意味を言い表していると言えよう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』告子下 第六章「孔子魯の司寇と為る」云々。孟子自ら斉を去るを以て、孔子の魯を去るに比す。此の意を味ふに必ず由あらん。公孫丑下篇末章に、「崇に於て、吾王を見ることを得、退きて去る志有り。斉に久しきは、我が志に非ざるなり」とあり。其の第十一章に、「子長者の為に慮りて、子思に及ばず」とあり。其の第十二章に、「王庶幾はくは之を改めん」とあり。此の類を合せ見ば、大略伺ふべし。蓋し孟子初めて宣王に見えてより既に去る志あり。然れども故なくして去ることを欲せず。故に必ず時を待ちて後去るなり。或は一事に託して去るならん。待つことあり託することありと云へども、其の本意は宣王賢を尊ぶの誠心なく、王政を行ふの実心なきの故を以てなり。豈に他あらんや。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「孔子の魯を去るや、曰く、『遲遲として吾行くなり。』父母の國を去るの道なり。齊を去るや、淅を接して行く。他國を去るの道なり。」
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『講孟余話』公孫丑下 第十二章此の章に於て仁人の心を知るべし。燕の楽毅が所謂「古の君子は交はり絶ゆるも悪声を出さず、忠臣国を去るも其の名を潔くせず」と云ふも此の義なり。孟子平生斉王を諫争教戒する者甚だ備はれり、而るに王曾て是れを聴納せず、故に孟子斉を去るなり。常人をして是れに処せしめば、必ず怒罵して斉王の非を数へ、自己の名を衒はん。而して孟子斉を去る事を記すること、前後凡そ五章、一言の怨怒の気なく、斉王を謗刺するの言なし。其の和気藹然、掬するに余りあり。且つ徒に言語の末然るに非ず、三宿して昼を出で、濡滞の議を顧みず、真に国を去りて其の名を潔くせずと云ふべし。
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『講孟余話』盡心下 第十七章易に云ふ如く、「君子は幾を見て作ち、日を終ふるを俟たず」の理にて、道の否泰、時の可否は聖人一目瞭然にして、速・久・処・仕已に初めに決す、亦明決ならずや。然れども其の事に当たり、其の国に居る時は否泰も可否も顧みず、唯だ心力の至極を尽くす、亦忠厚ならずや。聖人の忠厚、他国と云へども薄きに非ず、其の明決、父母の国と云へども鈍きに非ず。然れども人情の至り、二つの者の別なきこと能はざるは、聖人と云へども凡人と同じきことにて、所謂情の至る所、理も亦至る者是れなり。且つ凡人の情を以て考ふるに、余数年他邦に周遊す、至る所常に歓を尽くす、其の去るに臨んで又常に恋々として忍びざるの情あり、乃ち江山風月に至るまで、離合の感ある者の如し。然れども遂に去国の情に比し難し。萩城東南郭外大屋村の道傍に涙松と云ふあり、此の松を過ぐれば復た萩城を見ること能はず。故に俗に云ふ、旅立ちの人此の松を見れば皆涙を堕とさざるはなし、因りて此の名を獲たりと。宜しく此の松に因りて此の情を知るべし。孔子の遅々として行く、豈に復た別情ならんや。然れども此の情人々ありと云へども、此の情に因りて発明すること能はざるは凡人の常なり。夫れ人情自国を恋ふること斯に至る者他なし、君あり、親あり、墳墓あり、室家あるを以てなり。苟も思ひを爰に致さば、忠臣二君に仕へざるの理自ら明らかにして、防長の臣民は防長に死生すべく、皇国の臣民は皇国に死生すべきの義に至りて何ぞ疑ひを容れん。是れ余講孟劄記を作る第一義なり。故に開巻に於て已に是れを論ず、合せ考ふべし。第十八章。
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孟子・萬章章句下孟子曰く、「伯夷は目に惡色を視ず、耳に惡聲を聽かず。其の君に非ざれば事えず、其の民に非ざれば使わず。治まれば則ち進み、亂るれば則ち退く。橫政の出づる所、橫民の止まる所、居るに忍びざるなり。鄉人と處るを思うこと、朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが如きなり。紂の時に當り、北海の濱に居り、以て天下の清むを待てり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫も志を立つる有り。伊尹曰く、『何れに事うるとして君に非ざらん。何れを使うとして民に非ざらん。』治まるも亦た進み、亂るるも亦た進む。曰く、『天の斯の民を生ずるや、先知をして後知を覺らしめ、先覺をして後覺を覺らしむ。予は天民の先覺者なり。予將に此の道を以て此の民を覺さんとす。』天下の民、匹夫匹婦も堯舜の澤を與被せざる者有るを思うこと、己が推して之を溝中に内るるが若し。其の自ら任ずるに天下の重きを以てすればなり。柳下惠は、汙君を羞ぢず、小官を辭せず。進みて賢を隱さず、必ず其の道を以てす。遺佚せられて怨みず、阨窮して憫えず、鄉人と處り、由由然として去るに忍ぶざるなり。『爾は爾為り、我は我為り。我が側に袒裼裸裎すと雖も、爾焉くんぞ能く我を浼(けがす)さんや。』故に柳下惠の風を聞く者は、鄙夫も寬に、薄夫も敦し。孔子の齊を去るや、淅(セキ)を接して行く。魯を去るや、曰く、『遲遲として吾行く。』父母の國を去るの道なり。以て速やかにす可くして速やかにす、以て久しくす可くして久しくす、以て處る可くして處る、以て仕う可くして仕うるは、孔子なり。」孟子曰く、「伯夷は、聖の清なる者なり。伊尹は、聖の任なる者なり。柳下惠は、聖の和なる者なり。孔子は、聖の時なる者なり。孔子を之れ集めて大成すと謂う。集めて大成すとは、金聲して玉之を振するなり。金聲すとは、條理を始むるなり。玉之を振すとは、條理を終うるなり。條理を始むるは、智の事なり。條理を終うるは、聖の事なり。智は譬えば則ち巧なり。聖は譬えば則ち力なり。由ほ百步の外に射るがごとし。其の至るは、爾の力なり。其の中たるは、爾の力に非ざるなり。」
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『講孟余話』公孫丑下 第十四章孟子初めて王に見えてより、已に去る志あり、故に禄を受けず。是れを以て古人苟も禄を受けざることを知るべし。韓信言へることあり、「人の車に乗る者は人の患を載せ、人の衣を衣る者は人の憂を懐き、人の食を食む者は人の事に死す」と。故に仕へて禄を受くれば、此の身を挙げて君に献ず、君の為に用に供することなかるべけんや。是れ古人禄を受くるの苟もせざる所以なり。今世清平の深沢と、祖先の余恩とに因り、許多の俸禄を賜ひ、其の初めを知らず、其の受くるの苟もすべからざるを知る者少なし。此等の章に於て、宜しく感悟する所あるべし。右下篇凡そ十四章、朱子曰く、「第二章より以下、孟子の出処行実を記すこと詳かなりと為す」。今案ずるに、第二章孟子自ら処する所と時君に望む所見るべし。第三章自ら処するなり。四章時君に望むなり。五章・六章・七章並びに自ら居るなり。八章・九章の間、梁恵王下篇の十章・十一章を加へ、共に四章叙事相承け、燕を伐つの始末甚だ備はる、亦時君に望むなり。以下五章又叙事相承け、斉を去るの始末甚だ備はる、亦自ら処するなり。就中第十三章、尽心下篇の末章と大意同じうして文少しく省くのみ。是れ孟子深慨の在る所にして、此の篇記す所の出処行実を結ぶなり。
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