講孟余話 / 盡心上 第四十四章
又此章ニテ忠臣ヲ求ムルハ孝子ノ門ニ於テスルノ義モ知ルヽナリ、其源ニ溯テ云フニ、人唯一誠アリ、以テ父ニ事レハ孝、君ニ事レハ忠、友ニ交レハ信、此類千百、名ヲ異ニスレトモ、畢竟一誠ナリ、故ニ近ヨリ遠キニ及ホシ、家ヨリ国ニ達スル、亦自然ノ序ナリ、所謂盈科而進ト云モ此事ナリ、吾友宮部鼎藏国ヲ憂ヒ君ニ忠シ、又善朋友ト交リ信アリ、其人懇篤ニシテ剛毅ト云ヘキ人也、余素ヨリ其人ヲ異トス、後果シテ其藩ニテ孝行ノ名アリテ官府ヨリ称揚セラレタリ、其文ニ云ク、其方儀祖母父母在世中事方宜、別テ祖母并母病中、介抱手厚、死後追孝モ懇ニ有之樣子、委達尊聽、尤之儀被思召上候、此段可申聞旨、被仰出之、余是ニ於テ擊節シテ云ク、鼎藏唯懇篤剛毅ノ性、君ニハ忠、友ニハ信、而シテ親ニ事ヘテ孝タリ、然ラハ則忠孝信義果シテ二心ナキナリ、豈嘉称セサルヘケンヤ、
新字:又此章ニテ忠臣ヲ求ムルハ孝子ノ門ニ於テスルノ義モ知ルヽナリ、其源ニ溯テ云フニ、人唯一誠アリ、以テ父ニ事レハ孝、君ニ事レハ忠、友ニ交レハ信、此類千百、名ヲ異ニスレトモ、畢竟一誠ナリ、故ニ近ヨリ遠キニ及ホシ、家ヨリ国ニ達スル、亦自然ノ序ナリ、所謂盈科而進ト云モ此事ナリ、吾友宮部鼎蔵国ヲ憂ヒ君ニ忠シ、又善朋友ト交リ信アリ、其人懇篤ニシテ剛毅ト云ヘキ人也、余素ヨリ其人ヲ異トス、後果シテ其藩ニテ孝行ノ名アリテ官府ヨリ称揚セラレタリ、其文ニ云ク、其方儀祖母父母在世中事方宜、別テ祖母并母病中、介抱手厚、死後追孝モ懇ニ有之様子、委達尊聴、尤之儀被思召上候、此段可申聞旨、被仰出之、余是ニ於テ撃節シテ云ク、鼎蔵唯懇篤剛毅ノ性、君ニハ忠、友ニハ信、而シテ親ニ事ヘテ孝タリ、然ラハ則忠孝信義果シテ二心ナキナリ、豈嘉称セサルヘケンヤ、
書き下し
又此の章にて忠臣を求むるは孝子の門に於てするの義も知らるるなり。其の源に溯りて云ふに、人唯だ一誠あり。以て父に事ふれば孝、君に事ふれば忠、友に交はれば信、此の類千百、名を異にすれども、畢竟一誠なり。故に近きより遠きに及ぼし、家より国に達する、亦自然の序なり。所謂「科に盈ちて進む」と云ふも此の事なり。吾が友宮部鼎蔵、国を憂ひ君に忠し、又善く朋友と交はりて信あり。其の人懇篤にして剛毅と云ふべき人なり。余素より其の人を異とす。後果して其の藩にて孝行の名ありて官府より称揚せられたり。其の文に云く、「其の方儀、祖母・父母在世中事へ方宜しく、別けて祖母并びに母病中、介抱手厚く、死後追孝も懇ろに之れ有る様子、委しく尊聴に達し、尤もの儀に思し召し上げられ候。此の段申し聞くべき旨、之れを仰せ出さる」と。余是に於て節を撃ちて云く、鼎蔵唯だ懇篤剛毅の性、君には忠、友には信、而して親に事へて孝たり。然らば則ち忠孝信義果して二心なきなり。豈に嘉称せざるべけんや。
現代語訳
またこの章から、忠臣を求めるなら孝子の家に求めよ、という意味も分かる。その源にさかのぼって言えば、人にはただ一つの誠があるだけである。それをもって父に仕えれば孝、君に仕えれば忠、友と交われば信となる。このように名は千にも百にも分かれるが、つまるところは一つの誠である。だから近いところから遠いところへ及ぼし、家から国へ行き渡らせるのも、自然の順序である。いわゆる「水は窪みを満たしてから先へ進む」というのもこのことである。わが友宮部鼎蔵は、国を憂え君に忠を尽くし、また友人とよく交わって信義がある。その人柄は誠実で手厚く、剛毅と言うべき人である。私はかねてからこの人を並の人ではないと思っていた。のちに果たして、その藩で孝行の評判があって、役所から表彰された。その文に「その方は祖母・父母の存命中よく仕え、とりわけ祖母と母の病中は介抱が手厚く、死後の追孝も懇ろであると、詳しく殿のお耳に入り、もっともなことと思し召された。このことを申し聞かせよとの仰せである」とある。私はこれを読んで手を打って言った。鼎蔵はただ誠実で剛毅な性質で、君には忠、友には信、そして親に仕えては孝であった。それならば忠・孝・信・義はやはり別々の心ではないのだ。どうして褒めたたえずにいられようか。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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