説苑 / 修文
天子曰巡狩,諸侯曰述職。巡狩者,巡其所守也;述職者,述其所職也。春省耕,助不給也;秋省斂,助不足也。天子五年一巡狩,歲二月東巡狩,至於東嶽,柴而望祀山川,見諸侯,問百年者,命太師陳詩以觀民風,命市納賈以觀民之所好惡,志淫好僻者,命典禮,考時月定日,同律禮樂制度衣服正之。山川神祇有不舉者為不敬,不敬者君黜以爵;宗廟有不順者為不孝,不孝者君削其地;有功澤於民者,然後加地。入其境,土地辟除,敬老尊賢,則有慶,益其地;入其境,土地荒穢,遺老失賢,掊克在位,則有讓,削其地。一不朝者黜其爵,再不朝者黜其地,三不朝者以六師移之。歲五月南巡狩,至于南嶽,如東巡狩之禮;歲八月西巡狩,至于西嶽,如南巡狩之禮;歲十一月北巡狩,至于北嶽,如西巡狩之禮。歸格于祖禰,用特。
新字:天子曰巡狩,諸侯曰述職。巡狩者,巡其所守也;述職者,述其所職也。春省耕,助不給也;秋省斂,助不足也。天子五年一巡狩,歳二月東巡狩,至於東嶽,柴而望祀山川,見諸侯,問百年者,命太師陳詩以観民風,命市納賈以観民之所好悪,志淫好僻者,命典礼,考時月定日,同律礼楽制度衣服正之。山川神祇有不舉者為不敬,不敬者君黜以爵;宗廟有不順者為不孝,不孝者君削其地;有功沢於民者,然後加地。入其境,土地辟除,敬老尊賢,則有慶,益其地;入其境,土地荒穢,遺老失賢,掊克在位,則有譲,削其地。一不朝者黜其爵,再不朝者黜其地,三不朝者以六師移之。歳五月南巡狩,至于南嶽,如東巡狩之礼;歳八月西巡狩,至于西嶽,如南巡狩之礼;歳十一月北巡狩,至于北嶽,如西巡狩之礼。帰格于祖祢,用特。
書き下し
天子は巡狩と曰い、諸侯は述職と曰う。巡狩とは、其の守る所を巡るなり。述職とは、其の職とする所を述ぶるなり。春は耕を省み、給わざるを助く。秋は斂を省み、足らざるを助く。天子は五年に一たび巡狩す、歲二月東に巡狩し、東嶽に至り、柴して山川を望祀し、諸侯に見え、百年の者を問い、太師に命じて詩を陳ねしめて以て民風を觀、市に命じて賈を納れしめて以て民の好惡する所を觀、志淫にして僻を好む者あれば、典禮に命じ、時月を考え日を定め、律禮樂制度衣服を同じくして之を正す。山川神祇に舉げざる者有れば不敬と為し、不敬なる者は君爵を以て黜く。宗廟に順わざる者有れば不孝と為し、不孝なる者は君其の地を削る。功民に澤する有る者は、然る後地を加う。其の境に入るに、土地辟除し、老を敬し賢を尊べば、則ち慶有りて、其の地を益す。其の境に入るに、土地荒穢し、老を遺て賢を失い、掊克位に在れば、則ち讓有りて、其の地を削る。一たび朝せざる者は其の爵を黜き、再び朝せざる者は其の地を黜き、三たび朝せざる者は六師を以て之を移す。歲五月南に巡狩し、南嶽に至る、東巡狩の禮の如し。歲八月西に巡狩し、西嶽に至る、南巡狩の禮の如し。歲十一月北に巡狩し、北嶽に至る、西巡狩の禮の如し。歸りて祖禰に格り、特を用う。
現代語訳
天子が地方を回ることを「巡狩」といい、諸侯が天子に自らの職務を報告することを「述職」という。巡狩とは、自らが治めるべき地域を巡回することであり、述職とは、自らの職務について報告することである。春には耕作の様子を視察し、物資が行き届かない者を助け、秋には収穫の様子を視察し、不足している者を助ける。天子は五年に一度巡狩を行う。二月には東方を巡狩し、東の嶽に至って柴を焚いて山川を望み祀り、諸侯に謁見し、百歳の長寿者を訪ね、太師に命じて詩歌を集めさせて民の風俗を観察し、市場の役人に物価を報告させて民の好悪を観察し、退廃的な風俗を好む者がいれば、儀礼を司る官に命じて時節と月日を考え定め、音律・礼儀・制度・衣服を統一してこれを正す。山川の神々への祭祀を怠る者があれば不敬とされ、不敬な者は爵位を落とされる。宗廟の祭祀に従わない者があれば不孝とされ、不孝な者は領地を削られる。民に功績と恩恵をもたらした者には、その後で領地を加増する。その領内に入って、土地が開拓され、老人を敬い賢者を尊んでいれば、褒賞があり領地が加増される。その領内に入って、土地が荒れ、老人が見捨てられ賢者が失われ、搾取する者が地位についていれば、譴責があり領地が削られる。一度朝見しない者は爵位を落とされ、二度朝見しない者は領地を落とされ、三度朝見しない者は六軍をもってその位を移される。五月には南方を巡狩し南の嶽に至る、これは東の巡狩の儀礼と同じである。八月には西方を巡狩し西の嶽に至る、これは南の巡狩の儀礼と同じである。十一月には北方を巡狩し北の嶽に至る、これは西の巡狩の儀礼と同じである。帰還すれば祖廟に報告し、特(一頭の牛)を供える。
解説

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