講孟余話 / 告子下 第六章
五就湯、五就桀者、伊尹也、伊尹ノ事、萬章上篇第七章ニ云フ所尤モ明確ヲ覚フ、因テ其章下ニ於テ畧鄙見ヲ割記ス、而シテ此章ニ於テハ窃カニ疑アリ、公孫丑下篇第二章、萬章下篇首章、並ニ伊尹ヲ論シテ何事非君、何使非民、治亦進、乱亦進、ト云フ、是此章ノ就湯就桀ト全ク同義ナリ、唐ノ柳子厚、是ニ因テ伊尹五就桀賛ヲ作ル、大意謂ラク、退而思曰、湯誠仁、其功遲、諸侯ナルヲ以ナリ桀誠不仁、朝吾從、而暮及于天下、可也、天子ナルヲ以ナリ於是、就桀、桀果不可得、反而從湯、既而又思曰、尙可十一乎、使斯人蚤被其澤也、又往就桀、桀不可而又從湯、以百一千一万一、卒不可、乃相湯伐桀、ト云ヘリ、盖シ聖人民ヲ救ヒ道ヲ行フ、其意ノ急ナルコト斯ノ如シトナリ、
新字:五就湯、五就桀者、伊尹也、伊尹ノ事、万章上篇第七章ニ云フ所尤モ明確ヲ覚フ、因テ其章下ニ於テ略鄙見ヲ割記ス、而シテ此章ニ於テハ窃カニ疑アリ、公孫丑下篇第二章、万章下篇首章、並ニ伊尹ヲ論シテ何事非君、何使非民、治亦進、乱亦進、ト云フ、是此章ノ就湯就桀ト全ク同義ナリ、唐ノ柳子厚、是ニ因テ伊尹五就桀賛ヲ作ル、大意謂ラク、退而思曰、湯誠仁、其功遅、諸侯ナルヲ以ナリ桀誠不仁、朝吾従、而暮及于天下、可也、天子ナルヲ以ナリ於是、就桀、桀果不可得、反而従湯、既而又思曰、尚可十一乎、使斯人蚤被其沢也、又往就桀、桀不可而又従湯、以百一千一万一、卒不可、乃相湯伐桀、ト云ヘリ、盖シ聖人民ヲ救ヒ道ヲ行フ、其意ノ急ナルコト斯ノ如シトナリ、
書き下し
五たび湯に就き、五たび桀に就く者は、伊尹なり。伊尹の事、萬章上篇第七章に云ふ所尤も明確を覚ゆ。因りて其の章下に於て略々鄙見を割記す。而して此の章に於ては窃かに疑ひあり。公孫丑下篇第二章、萬章下篇首章、並びに伊尹を論じて「何れに事ふるとして君に非ざらん、何れを使ふとして民に非ざらん、治まるも亦進み、乱るるも亦進む」と云ふ。是れ此の章の就湯就桀と全く同義なり。唐の柳子厚、是に因りて伊尹五就桀賛を作る。大意謂へらく、「退きて思ひて曰く、湯は誠に仁なれども、其の功遅し、諸侯なるを以てなり。桀は誠に不仁なれども、朝に吾従はば、暮には天下に及ぶ、可なり、天子なるを以てなり。是に於て、桀に就く。桀果して得べからず、反りて湯に従ふ。既にして又思ひて曰く、尚ほ十一も可ならんか、斯の人をして蚤く其の沢を被らしめんと。又往きて桀に就く。桀可ならずして又湯に従ふ。百一千一万一を以てすれども、卒に可ならず、乃ち湯に相として桀を伐つ」と云へり。蓋し聖人民を救ひ道を行ふ、其の意の急なること斯くの如しとなり。
現代語訳
「五たび湯王のもとに行き、五たび桀王のもとに行った者は伊尹である」。伊尹のことは、萬章上篇第七章に言うところが最も明確に思われる。だからその章のところでひととおり私見を書いた。そしてこの章については、ひそかに疑問がある。公孫丑下篇第二章と萬章下篇首章は、どちらも伊尹を論じて「誰に仕えても君でないことがあろうか、誰を使っても民でないことがあろうか、世が治まっていても進み出て仕え、乱れていても進み出て仕える」と言う。これはこの章の「湯に就き桀に就く」とまったく同じ意味である。唐の柳宗元はこれによって「伊尹五就桀賛」を作った。その大意はこうである。「伊尹は退いて考えた。湯は本当に仁だが、その功は遅い、諸侯だからである。桀は本当に不仁だが、朝に私の言に従えば、夕には天下に及ぶ、天子だからである。そこで桀のもとに行った。桀はやはり話にならず、戻って湯に従った。しばらくしてまた考えた。十に一つでもよいではないか、この民に早くその恵みを受けさせたいと。また行って桀に就いた。桀はだめで、また湯に従った。百に一つ、千に一つ、万に一つを求めたが、ついにだめで、そこで湯の宰相となって桀を伐った」。思うに、聖人が民を救い道を行おうとする、その心の急なことはこのようであった、というのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』告子下 第六章余謂へらく、古より大業を成すの人、恬退緩静ならざるはなし。若し伊尹をして度量狭隘、褊急躁妄、果して柳子の言の如くならしめば、豈に天下を任ずるに足らんや。且つ三聘の後、始めて幡然として出で仕ふるの気象と雲泥と云ふべし。故に古人或は柳子の賛を以て、王伾・王叔文に党するの過ちを飾ると云ふ者あり。飾ると云ふは甚だしけれども、子厚の見自ら是くの如し、乃ち伾・叔文に党するを免れざる所以なり。而して子厚末年深く自ら平昔を悔悟するの語多し。是れ其の学進み見進むこと知るべし。然れば賛に謂ふ所は、未定の見にして、何ぞ伊尹を論ずるに足らんや。蘇穎浜の古史に云ふ、「伊尹莘野に耕し、既に処士を以て湯に従ふ。其の夏に適くに及びては、其の私行に非ざるなり、湯必ず与り知る。其の君臣の心、以為へらく湯に従ひて桀を伐ち、以て斯の世を済ふは、伊尹をして桀に事へしめて以て其の乱を止め、夏をして亡びず商をして興らざらしむと雖も憾み無きに若かず」と。又集註、楊氏曰く、「伊尹の湯に就くは、三聘の勤めを以てなり。其の桀に就くや、湯之を進むるなり。湯伊尹を進むるは、桀の過ちを悔い善に遷らんことを欲するのみ」と。両説共に聖人の心に於ては得ることあるが如し。而して本文、就湯就桀は自ら就くなり。事と云ひ使と云ひ進と云ふ、皆自ら事へ使ひ進むなり。然れば両説果して当るや否やを知らず。柳子の賛却つて五就亦進の義に当れるが如しと云へども、又三聘の説に合はず。況んや伊尹の度量に似ざるをや。孫子用間篇に、「殷の興るや、伊摯即ち伊尹夏に在り」と云ふが如きは、伊尹を以て間者とする義にして、湯の意を承けて夏に事ふる所の説、蘇・楊の両説と同じけれども、黒白誠偽復た同年の論に非ず。故に姑く闕疑のみ。
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孟子・萬章章句上萬章問いて曰く、「人言えること有り。『伊尹は割烹を以て湯に要む。』諸れ有りや。」孟子曰、「否、然らず。伊尹は有莘(シン)の野に耕して、堯舜の道を樂しむ。其の義に非ざるや、其の道に非ざるや、之に祿するに天下を以てするも、顧みざるなり。繫馬千駟も、視ざるなり。其の義に非ざるや、其の道に非ざるや、一介も以て人に與えず、一介も以て諸を人に取らず。湯、人をして幣を以て之を聘せしむ。囂(ゴウ)囂然として曰く、『我何ぞ湯の聘幣を以て為さんや。我豈に畎畝の中に處り、是に由りて以て堯舜の道を樂しむに若かんや。』湯三たび往きて之を聘せしむ。既にして幡然として改めて曰く、『我、畎畝の中に處り、是に由りて以て堯舜の道を樂しむより、吾豈に是の君をして堯舜の君為らしむるに若かんや。吾豈に是の民をして堯舜の民為らしむるに若かんや。吾豈に吾が身に於いて親しく之を見るに若かんや。天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覺らしめ、先覺をして後覺を覺らしむるなり。予は天民の先覺者なり。予將に斯の道を以て斯の民を覺さんとす。予、之を覺すに非ずして誰ぞや。』天下の民、匹夫匹婦の堯舜の澤を被らざる者有るを思うこと、己、推して之を溝中に内るるが若し。其の自ら任ずるに天下の重きを以てすること此くの如し。故に湯に就きて之を說くに、夏を伐ち民を救うを以てす。吾は未だ己を枉げて人を正す者を聞かざるなり。況んや己を辱しめて、以て天下を正す者をや。聖人の行いは同じからざるなり。或いは遠ざかり或いは近づき、或いは去り或は去らず。其の身を潔くするに歸するのみ。吾其の堯舜の道を以て湯に要むるを聞くも、未だ割烹を以てするを聞かざるなり。伊訓に曰く、『天誅、攻むることを造すは、牧宮自りす。朕は亳自り載む。』」
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『講孟余話』萬章上 第七章十一月二十四日。進退出処の道、伊尹に至りて一毫の遺憾なしと云ふべし。其の自ら任ずるに天下の重きを以てし、斯の民を覚し斯の民を救ふ、固より所謂聖の任なる者にして、其の畎畝の中に処り、堯舜の道を楽しみ、必ずや湯の三聘を待ちて、然る後敢へて出づ、其の自ら待つの重き、又斯くの如し。孔子と云へども亦是に過ぎず。孔子の魯・衛・陳・宋に奔走するは、即ち伊尹の任にして、陳に在りて魯の狂猥(狂簡)を思ふは、伊尹の斯の民を覚すの志なり。易を読みて韋編三たび絶ち、夏殷の礼吾能く之を言ふは、伊尹の畎畝の中に処り堯舜の道を楽しむの心なり。孟子は孔子を学ぶ者なり、而して又常に伊尹を称道す。且つ其の自ら居るに云く、志を得ては民と之に由ると云ふは、斯の民を覚し斯の民を救ふの志なり。志を得ざれば独り其の身を善くすと云ふは、畎畝の中に処り堯舜の道を楽しむの心なり。後世諸葛孔明、親ら南陽に耕し、常に自ら管仲・楽毅に比し、先主の三顧を待ちて後、初めて出で仕ふ。其の仕ふるに当たりては、漢賊両立せず、王業偏安ならざるを以て、奸宄を攘除し、漢室を興復するを己が任とす。何ぞ其の伊尹に髣髴たるや。
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『鬼谷子』忤合篇古の善く背向する者は、乃ち四海を恊え、諸侯を包み、忤合の地にして之を化轉し、然る後に合を求む。故に伊尹は五たび湯に就き、五たび桀に就くも、明らかにする所有る能わず、然る後に湯に合す。吕尚は三たび文王に就き、三たび殷に入るも、明らかにする所有る能わず、然る後に文王に合す。此れ天命の箝を知る、故に之に歸して疑わざるなり。
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『講孟余話』萬章下 末章而して位を易ふると去るとは皆権なり。若し其の常経を論ぜば、諫めて死するあるのみ。然れども易ふると去ると死すると此の三臣あらば、国家亦恃むべし。如何せん、世の暗君庸主、此の臣の恃むべきを知らずして、特に是を忌憚するを知るのみ。明主は然らず、此の様の臣を培養して後世に遺し、永く国家の鎮とするなり。或ひと問ふ、前輩或いは此の章を疑ひて、簒弑の端を開く、聖賢の言に非ず、宜しく削り去るべしと云ふ、如何。且つ君如何にして臣如何ならば、位を易へて可なりや。曰く、孟子曾て言あり、伊尹の志あれば可なりと。一語已に尽くせり。伊尹の志は国家を憂ひ生民を憂ふるのみにて、一点の私心あるに非ず。此の志已に自ら信じ、天地宗廟へ対越して、毫も懼るる所なし。天下後世へ掲示して、毫も愧づる所なし。天地宗廟天下後世皆伊尹の私心なきを信じて、敢へて一の間然する者あらず。是れ伊尹の志なり。霍光・趙汝愚の如きと云へども、其の廃立の際に当たりて、豈に一点の私心あらんや。是れ亦自ら信じ人是を信ず、即ち亦伊尹の志なり。曹操・司馬懿、智術を揮ひて一時を籠絡すと云へども、天下後世誰か其の心を信ずる者あらん。名づけて姦雄と称し、永く乱臣賊子の亀鑑とす。噫畏るべきかな。抑々操・懿の如き臣あるは、皆人君の罪なり、最も人君の恥なり。況や君に告ぐるの体、君をして戒懼の心を起こさしむるを要とす、何ぞ必ずしも此の章を削り去ることを用ひんや。
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呂氏春秋・愼大②桀、無道を為し、暴戻頑貪、天下顫え恐れて之を患う。言う者同じからず、紛紛分分として、其の情得難し。干辛、威に任せ、諸侯を凌轢して、以て兆民に及び、賢良鬱怨す。彼の龍逢を殺して、以て群凶を服す。衆庶泯泯として、皆遠志を有し、敢て直言する莫く、其の生は驚くが若し。大臣患いを同じくして、周からずして畔く。桀愈々自ら賢として、過ちを矜り非を善とす。主道重塞し、國人大いに崩る。湯乃ち惕懼し、天下の寧からざるを憂え、伊尹をして往きて曠夏を視しめんと欲するも、其の信ぜられざるを恐れ、湯由りて親自ら伊尹を射る。伊尹、夏に奔りて三年、反りて亳に報じて曰く、「桀は末嬉に迷惑し、彼の琬琰を好みて、其の衆を恤えず、衆志堪えず、上下相疾み、民心怨みを積み、皆曰く、『上天恤まず、夏の命其れ卒きん。』」湯、伊尹に謂いて曰く、「若の我に曠夏を告ぐるは、盡く詩の如し。」湯と伊尹と盟いて、以て必ず夏を滅ぼさんことを示す。伊尹又復た往きて曠夏を視んとし、末嬉に聽く。末嬉言いて曰く、「今昔、天子、西方に日有り、東方に日有り、兩日相與に鬭う、西方の日勝ち、東方の日勝たざるを夢む。」伊尹以て湯に告ぐ。商、涸旱するも、湯猶ほ師を發して、以て伊尹の盟いを信にせんとす。故に師をして東方從りして國の西に出でて、以て進ましむ。未だ刃を接せずして桀走る。之を逐い大沙に至る、身體離散し、天下の戮と為りて、正諫す可からず。後に之を悔ゆと雖も、將た奈何す可き。湯立ちて天子と為るや、夏の民大いに説び、慈親を得たるが如し。朝は位を易えず、農は疇を去らず、商は肆を變ぜず、郼に親しむこと夏のごとし。此を之れ至公と謂い、此を之れ至安と謂い、此を之れ至信と謂う。盡く伊尹の盟いを行い、旱殃を避けず、伊尹を祖して世世商を享せしむ。
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