鬼谷子 / 忤合篇
古之善背向者、乃恊四海、包諸侯、忤合之地、而化轉之、然後求合。故伊尹五就湯、五就桀、而不能有所明、然後合於湯、吕尚三就文王、三入殷、而不能有所明、然後合於文王。此知天命之箝、故歸之不疑也。
新字:古之善背向者、乃恊四海、包諸侯、忤合之地、而化転之、然後求合。故伊尹五就湯、五就桀、而不能有所明、然後合於湯、呂尚三就文王、三入殷、而不能有所明、然後合於文王。此知天命之箝、故帰之不疑也。
書き下し
古の善く背向する者は、乃ち四海を恊え、諸侯を包み、忤合の地にして之を化轉し、然る後に合を求む。故に伊尹は五たび湯に就き、五たび桀に就くも、明らかにする所有る能わず、然る後に湯に合す。吕尚は三たび文王に就き、三たび殷に入るも、明らかにする所有る能わず、然る後に文王に合す。此れ天命の箝を知る、故に之に歸して疑わざるなり。
現代語訳
昔、よく背きよく向かった者は、四海を調え、諸侯を包み込み、背くか合わさるかの場においてこれを転じ、そのうえで合わさることを求めた。だから伊尹は五度湯王に就き、五度桀王に就いたが、志を明らかにすることができず、そのあとで湯王と合わさった。呂尚は三度文王に就き、三度殷に入ったが、志を明らかにすることができず、そのあとで文王と合わさった。これは天命の挟みどころを知ったのである。だから帰服して疑わなかった。
解説
伊尹は五度、呂尚は三度、敵味方の双方を行き来しています。裏切りと呼ばれても仕方のない履歴です。この書はそれを、天命の挟みどころを知るための往復だったと説明します。試したのだ、と。現代でも、複数の会社や陣営を経験してから腰を据える人はいます。落ち着きがないと見られがちですが、この見方に立てば、合わさる相手を決めるための往復です。ただし条件があって、往復の末に「疑わずに帰した」こと。行き来し続けることと、行き来の末に決めることは違います。
この章句が説くこと
伊尹五たび湯に就き五たび桀に就く天命の箝を知る帰して疑わず決断選択時機
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