講孟余話 / 告子上 第十六章
今之人脩其天爵以要人爵、旣得人爵而棄其天爵則惑之甚者也、終亦必亡而已矣、此三事具ニ今ノ俗人ノ情態ヲ盡セリ、先ツ脩天爵以要人爵ト、今ノ俗人文武ヲ出精シ、明倫館ヘ皆勤シ、扈從檢使ヲ求ム、皆是也、旣得人爵而棄天爵ト、其人扈從檢使ヲ得レハ、文武ノ出精明倫館ノ皆勤ハ忽ニ廃絕シ、權門勢家ニ奔競スルコト奔波ノ如キ是ナリ、終亦亡而已矣ト、凡ソ如是者ハ、時去リ勢変シ、憑倚スル所ヲ失ヘハ、官モ亦從テ亡失スル是ナリ、然是レ殊ニ其卑近見易キ者ヲ以テ云ノミ、更ニ数等ヲ高フシ、才学アリ志氣アリ平時慨然天下國家ヲ以テ己カ任トス、一旦身ヲ靑雲ノ上ニ致シ、爲スヘキノ位ニ當ルニ及ンテハ、其爲ス所大ニ人心ニ厭カス、是ヲ難スレハ即云ク、時勢ノ難、書生ノ知ル所ニ非ス、君相ノ暗、臣下ノ補フ所ニ非ズト、豈知ンヤ、外、難スヘカラサルノ事ニ詫シ、内実ハ身家ヲ顧ミ宴安ヲ貪リ、平日ト判然両箇ノ人ノ如シ、是吾カ尤深ク憎ム所ナリ、是脩天爵求人爵、得人爵棄天爵ノ尤ナリ
新字:今之人脩其天爵以要人爵、既得人爵而棄其天爵則惑之甚者也、終亦必亡而已矣、此三事具ニ今ノ俗人ノ情態ヲ尽セリ、先ツ脩天爵以要人爵ト、今ノ俗人文武ヲ出精シ、明倫館ヘ皆勤シ、扈従検使ヲ求ム、皆是也、既得人爵而棄天爵ト、其人扈従検使ヲ得レハ、文武ノ出精明倫館ノ皆勤ハ忽ニ廃絶シ、権門勢家ニ奔競スルコト奔波ノ如キ是ナリ、終亦亡而已矣ト、凡ソ如是者ハ、時去リ勢変シ、憑倚スル所ヲ失ヘハ、官モ亦従テ亡失スル是ナリ、然是レ殊ニ其卑近見易キ者ヲ以テ云ノミ、更ニ数等ヲ高フシ、才学アリ志気アリ平時慨然天下国家ヲ以テ己カ任トス、一旦身ヲ青雲ノ上ニ致シ、為スヘキノ位ニ当ルニ及ンテハ、其為ス所大ニ人心ニ厭カス、是ヲ難スレハ即云ク、時勢ノ難、書生ノ知ル所ニ非ス、君相ノ暗、臣下ノ補フ所ニ非ズト、豈知ンヤ、外、難スヘカラサルノ事ニ詫シ、内実ハ身家ヲ顧ミ宴安ヲ貪リ、平日ト判然両箇ノ人ノ如シ、是吾カ尤深ク憎ム所ナリ、是脩天爵求人爵、得人爵棄天爵ノ尤ナリ
書き下し
「今の人は其の天爵を修めて以て人爵を要む。既に人爵を得て其の天爵を棄つるは則ち惑ひの甚だしき者なり。終に亦必ず亡はんのみ」。此の三事具に今の俗人の情態を尽せり。先づ「天爵を修めて以て人爵を要む」と。今の俗人文武を出精し、明倫館へ皆勤し、扈従検使を求む、皆是れなり。「既に人爵を得て天爵を棄つ」と。其の人扈従検使を得れば、文武の出精明倫館の皆勤は忽ちに廃絶し、権門勢家に奔競すること奔波の如き是れなり。「終に亦亡はんのみ」と。凡そ是くの如き者は、時去り勢変じ、憑倚する所を失へば、官も亦従つて亡失する是れなり。然れども是れ殊に其の卑近見易き者を以て云ふのみ。更に数等を高くし、才学あり志気あり、平時慨然天下国家を以て己が任とす。一旦身を青雲の上に致し、為すべきの位に当るに及んでは、其の為す所大いに人心に厭かず。是を難ずれば即ち云く、「時勢の難、書生の知る所に非ず。君相の暗、臣下の補ふ所に非ず」と。豈に知らんや、外、難ずべからざるの事に託し、内実は身家を顧み宴安を貪り、平日と判然両箇の人の如し。是れ吾が尤も深く憎む所なり。是れ「天爵を修めて人爵を求め、人爵を得て天爵を棄つる」の尤なり。
現代語訳
「今の人は天爵を修めて人爵を求める。人爵を得てしまうと天爵を捨てる。これは迷いのはなはだしいものだ。ついにはきっと失うだけである」。この三つのことは、今の世の人の有様を言い尽くしている。まず「天爵を修めて人爵を求める」。今の世の人が文武に精を出し、藩校明倫館に皆勤して、藩主のお供や検使の役を求めるのが、みなこれである。「人爵を得て天爵を捨てる」。その人がお供や検使の役を得ると、文武の精進も明倫館の皆勤もたちまちやめてしまい、権勢ある家へ走り回るさまは波の押し寄せるようである。これがそれである。「ついには失うだけである」。およそこういう者は、時が移り勢いが変わり、頼りにしていた所を失えば、役職もそれにつれて失うのである。とはいえ、これは特に身近で見やすい例で言ったにすぎない。さらに数段上の者で、才能も学問も志もあり、ふだんは慨然として天下国家を自分の任務としている人がいる。ところがひとたび高い地位に上り、事を為すべき位置についてみると、その為すことがまるで人の心を満たさない。これを責めると、すぐに「時勢の難しさは、書生の知るところではない。君主や宰相の暗さは、臣下が補えるものではない」と言う。だが実は、外向きには責めようのない事情にかこつけながら、内実はわが身とわが家を顧みて安楽をむさぼり、ふだんとはまるで別人のようなのである。これこそ私が最も深く憎むところである。これが「天爵を修めて人爵を求め、人爵を得て天爵を捨てる」者の最たるものである。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』盡心下 首章然るに頃日一友あり、余を諷して云く、「宜しく野山獄の周旋をば止むべし。然らずんば人将に云はんとす、寅二罪人に比周すと」。余此の言を聞き激怒に堪へず、直ちに頭髪上りて刺す。噫、誠に不仁の甚だしきなるかな。蓋し其の人の意に謂へらく、寅二幸ひにして獄を脱す、若し或いは謗議に係り、再び獄に陥らば無益の事なり、己が身さへ獄を脱すれば、豈に他人を恤ふるに遑あらんやと。是れ世俗身家を惜しみ妻子を顧みるの常態にして、何ぞ与に伊尹の志を論ずるに足らんや。若し野山獄の諸囚皆繋を脱すべきの理なくして、余枉げて罪人に比周し、此の妄挙をなさば、一友の言誠に当たれり。然れども諸囚繋を脱すべきの理は、願はくは余が著す所の諸稿を熟覧せよ、其の妄挙に非ざるを知るに足らん。夫れ衆生済度の為の草鞋掛けの苦労は親鸞猶能く憚らず、外道懾服の為の斬首遠流は日蓮猶能く畏れず。彼皆異端邪説、聖人の徒の歯せざる所なるに彼が如し。況んや聖人の道に志し伊尹の任を願ふ者、何ぞ区々として謗議と岸獄とを惧れんや。
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史記 韓信盧綰列伝漢の五年の冬、項籍を破るを以て、乃ち盧綰をして別将たらしめ、劉賈と臨江王共尉を撃たしめ、之を破る。七月還り、従ひて燕王臧荼(ぞうと)を撃ち、臧荼降る。高祖已に天下を定むるに、諸侯の劉氏に非ずして王たる者七人。盧綰を王とせんと欲するも、群臣の觖望(けつぼう)を為す。臧荼を虜にするに及び、乃ち詔を諸将相・列侯に下し、群臣の功有る者を択びて以て燕王と為さしむ。群臣上の盧綰を王とせんと欲するを知り、皆言ひて曰く、「太尉長安侯盧綰は常に従ひて天下を平定し、功最も多し。燕に王たるべし」と。詔して之を許す。漢の五年八月、乃ち虜綰を立てて燕王と為す。諸侯王の幸を得ること燕王に如くは莫し。漢の十一年の秋、陳豨代の地に反す。高祖邯鄲に如きて豨の兵を撃ち、燕王綰も亦其の東北を撃つ。是の時に当たり、陳豨王黄をして救ひを匈奴に求めしむ。燕王綰も亦其の臣張勝を匈奴に使はし、豨等の軍破れたりと言はしむ。張勝胡に至るに、故の燕王臧茶の子衍出亡して胡に在り、張勝に見えて曰く、「公の燕に重んぜらるる所以の者は、胡の事に習ふを以てなり。燕の久しく存する所以の者は、諸侯数反し、兵連なりて決せざるを以てなり。今公燕の為に急に豨等を滅ぼさんと欲するも、豨等已に尽くれば、次は亦燕に至り、公等も亦且に虜と為らんとす。公何ぞ燕をして且く陳豨を緩めて胡と和せしめざる。事寛なれば、長く燕に王たるを得。即し漢の急有らば、以て国を安んずべし」と。張勝以て然りと為し、豨私かに匈奴をして豨等を助けて燕を撃たしむ。燕王綰張勝の胡と反するを疑ひ、上書して張勝を族せんことを請ふ。勝還り、具に為す所以の者を道ふ。燕王寤り、乃ち詐りて它人を論じ、勝の家属を脱し、匈奴の間と為るを得しめ、而して陰かに范斉をして陳豨の所に之かしめ、久しく亡げしめ、兵を連ねて決すること勿からしめんと欲す。漢の十二年、東のかた黥布を撃つ。豨常に兵を将ゐて代に居り、
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史記 李斯列伝高乃ち丞相斯に謂ひて曰く、「上崩じ、長子に書を賜ひ、喪と咸陽に会して立ちて嗣と為らしむ。書未だ行らず。今上崩じ、未だ知る者有らざるなり。長子に賜ふ所の書及び符璽は皆胡亥の所に在り。太子を定むるは君侯と高との口に在るのみ。事将に何如せん」と。斯曰く、「安くんぞ亡国の言を得たる。此れ人臣の当に議すべき所に非ざるなり」と。高曰く、「君侯自ら料るに、能は蒙恬と孰れぞ。功の高きは蒙恬と孰れぞ。謀遠くして失はざるは蒙恬と孰れぞ。怨み天下に無きは蒙恬と孰れぞ。長子の旧くして之を信ずるは蒙恬と孰れぞ」と。斯曰く、「此の五者は皆蒙恬に及ばず。而るに君之を責むること何ぞ深きや」と。高曰く、「高は固より内官の廝役なり。幸ひに刀筆の文を以て秦宮に進み入るを得、事を管すること二十余年、未だ嘗て秦の丞相功臣を免罷して封の二世に及ぶ者有るを見ざるなり。卒に皆誅を以て亡ぶ。皇帝の二十余子は、皆君の知る所なり。長子は剛毅にして武勇、人を信じて士を奮はす。即位せば必ず蒙恬を用ひて丞相と為さん。君侯終に通侯の印を懐きて郷里に帰らざること、
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『呻吟語』外篇・品藻・國家奚ぞ賴らんや此の身操執の常を棄てて圓軟を以て俗譽を沽り、國家遠大の患ひを忘れて寬厚を以て私恩を巿り、巧みに人の未だ見ざる所の利に趨き、善く人の未だ識らざる所の害を避け、身を百禍侵さざるの地に立て、事成れば我に功有り、事敗るれば我に咎無し。此れ智巧の士なり。國家奚ぞ賴らんや。
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史記 李斯列伝彼の賢人の天下を有つや、専ら天下を用ひて己に適するのみ。此れ天下を有つを貴ぶ所なり。夫れ所謂賢人なる者は、必ず能く天下を安んじて万民を治む。今身すら且つ利する能はず、将た悪くんぞ能く天下を治めんや。故に吾志を賜にし欲を広くし、長く天下を享けて害無からんと願ふ。之を為すこと奈何」と。李斯の子由は三川の守為り。群盗呉広等西のかた地を略し、過ぎ去るも禁ずる能はず。章邯以て広等の兵を破逐す。使者三川を覆案すること相属ぎ、斯の三公の位に居りて、如何ぞ盗をして此の如くならしむると誚譲す。李斯恐懼し、爵禄を重んじ、出だす所を知らず、乃ち二世の意に阿り、容れられんことを求めんと欲し、書を以て対へて曰く、夫れ賢主なる者は、必ず且に能く道を全うして督責の術を行ふ者なり。之を督責すれば、則ち臣敢て能を竭くして以て其の主に徇はずんばあらず。此れ臣主の分定まり、上下の義明らかなれば、則ち天下の賢不肖、敢て力を尽くし任を竭くして以て其の君に徇はざる莫し。是の故に主は独り天下を制して制せらるる所無きなり。能く楽しみの極みを窮む。賢明の主なり。察せざるべけんや。故に申子曰く「天下を有ちて恣睢せざる、之を命けて天下を以て桎梏と為すと曰ふ」とは、他無し、督責する能はずして、顧って其の身を以て天下の民に労すること、堯・禹の然るが若し。故に之を「桎梏」と謂ふなり。夫れ申・韓の明術を修め、督責の道を行ひ、専ら天下を以て自ら適する能はずして、徒らに形を苦しめ神を労するを務め、身を以て百姓に徇ふは、則ち是れ黔首の役にして、天下を畜ふ者に非ざるなり。何ぞ貴ぶに足らんや。夫れ人を以て己に徇はしむれば、則ち己は貴くして人は賤し。己を以て人に徇へば、則ち己は賤しくして人は貴し。故に人に徇ふ者は賤しく、而して人の徇ふ所の者は貴し。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。凡そ古の賢を尊ぶ所為の者は、其の貴きが為なり。而して不肖を悪む所為の者は、其の賤しきが為なり。
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