講孟余話 / 滕文公上 第五章
且四ツノ者其說甚長シ、就中父子君臣ト並ヒ立ツトキハ、大氏君臣ノ方ヲ重トス、事急勢迫リ忠孝両全シ難キニ臨ミ、誤ルコトナカレ、唐ノ李璀、其父懷光ノ將ニ反セントスルヲ密ニ德宗ニ言フ、此時ニ方テ君重シ、懷光死スルニ及ンテ、璀先ツ二弟ヲ刄シテ自殺ス、此時ニ方テ、父ニ後レテ独リ生クヘカラス、楚ノ令尹子南、罪ヲ以テ誅セラル、其子棄疾、父ヲ棄、讎ニ事ルニ忍ヒスシテ自殺ス、君ハ讎トスベカラズ、况ヤ父ノ死、罪ヲ以テスルヲヤ、然レトモ父ノ死ヲ救フコト能ハスシテ獨リ生クベカラズ、是皆善ク處スト云ヘシ、
新字:且四ツノ者其説甚長シ、就中父子君臣ト並ヒ立ツトキハ、大氏君臣ノ方ヲ重トス、事急勢迫リ忠孝両全シ難キニ臨ミ、誤ルコトナカレ、唐ノ李璀、其父懐光ノ将ニ反セントスルヲ密ニ徳宗ニ言フ、此時ニ方テ君重シ、懐光死スルニ及ンテ、璀先ツ二弟ヲ刄シテ自殺ス、此時ニ方テ、父ニ後レテ独リ生クヘカラス、楚ノ令尹子南、罪ヲ以テ誅セラル、其子棄疾、父ヲ棄、讎ニ事ルニ忍ヒスシテ自殺ス、君ハ讎トスベカラズ、況ヤ父ノ死、罪ヲ以テスルヲヤ、然レトモ父ノ死ヲ救フコト能ハスシテ独リ生クベカラズ、是皆善ク処スト云ヘシ、
書き下し
且つ四つの者、其の説甚だ長し。就中父子・君臣と並び立つときは、大抵君臣の方を重しとす。事急に勢ひ迫り、忠孝両全し難きに臨み、誤ることなかれ。唐の李璀、其の父懐光の将に反せんとするを密かに徳宗に言ふ。此の時に方りて君重し。懐光死するに及んで、璀先づ二弟を刃して自殺す。此の時に方りて、父に後れて独り生くべからず。楚の令尹子南、罪を以て誅せらる。其の子棄疾、父を棄て讎に事ふるに忍びずして自殺す。君は讎とすべからず、況んや父の死、罪を以てするをや。然れども父の死を救ふこと能はずして独り生くべからず。是れ皆善く処すと云ふべし。
現代語訳
そのうえ、この四つについては説くと長くなる。とりわけ父子と君臣とが並び立つときは、たいてい君臣の方を重しとする。事が急で情勢が切迫し、忠と孝を両方全うするのが難しい場面に臨んで、判断を誤ってはならない。唐の李璀は、父の李懐光が謀反を起こそうとしているのを、ひそかに徳宗に告げた。このときは君が重い。父の懐光が死ぬと、李璀はまず二人の弟を手にかけ、そのうえで自殺した。このときは、父に遅れて自分だけ生きていてはならないのである。楚の令尹子南は罪によって誅された。その子の棄疾は、父を捨てて父の仇である王に仕えることに忍びず、自殺した。君主を仇とすることはできない。まして父が罪によって死んだのならなおさらである。しかし父の死を救えずに自分だけ生きているわけにもいかない。これらはみな、よく身を処したと言うべきである。
解説
この章句が説くこと
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史記 張耳陳余列伝貫高独り怒り罵りて曰く、「誰か公をして之を為さしめし。今王実に謀無くして、并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白さん」と。乃ち轞車に膠致せられ、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上乃ち趙の群臣賓客に詔すらく、敢て王に従ふ有らば皆族せんと。貫高と客孟舒等十余人と、皆自ら髡鉗し、王の家奴と為りて従ひ来たる。貫高至り、獄に対へて曰く、「独り吾が属之を為す。王実に知らず」と。吏治めて榜笞すること数千、刺剟して、身に撃つべき者無きも、終に復た言はず。呂后数々言ふ、張王は魯元公主の故を以て、宜しく此れ有るべからずと。上怒りて曰く、「張敖をして天下に拠らしめば、豈に而が女を少しとせんや」と。聴かず。廷尉貫高の事の辞を以て聞す。上曰く、「壮士なり。誰か知る者ぞ。私を以て之に問へ」と。中大夫泄公曰く、「臣の邑子にして、素より之を知る。此れ固より趙国の名義を立てて侵されず、然諾を為す者なり」と。上泄公をして節を持して之に箯輿の前に問はしむ。仰ぎ視て曰く、「泄公か」と。泄公労苦すること生平の驩の如く、与に語り、張王果して計謀有りや不やを問ふ。高曰く、「人情寧ぞ各々其の父母妻子を愛せざらんや。今吾が三族皆以て死に論ぜらる。豈に王を以て吾が親に易へんや。顧ふに王実に反せず、独り吾等之を為せり」と。具に本指の為す所以と王の知らざる状とを道ふ。是に於て泄公入り、具に以て報ず。上乃ち趙王を赦す。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして具に之に告げしめて曰く、「張王已に出でたり」と。因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審らかに出でたるか」と。泄公曰く、「然り」と。泄公曰く、「上足下を多とす。故に足下を赦す」と。貫高曰く、「死せずして一身に余無き所以の者は、張王の反せざるを白さんとすればなり。今王已に出づ。吾が責已に塞がる。死すとも恨みず。且つ人臣として篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや。縦ひ上我を殺さずとも、我心に愧ぢざらんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、
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論語・衛霊公篇子曰わく、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。
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論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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史記 李将軍列伝広大将軍に謝せずして起ちて行き、意甚だ慍怒して部に就き、兵を引きて右将軍食其と軍を合はせて東道より出づ。軍に導亡く、或いは道を失ひ、大将軍に後る。大将軍単于と接戦し、単于遁走し、得る能はずして還る。南のかた幕を絶りて、前将軍・右将軍に遇ふ。広已に大将軍に見え、還りて軍に入る。大将軍長史をして糒醪を持ちて広に遺らしめ、因りて広・食其の道を失ひし状を問ふ。青書を上りて天子に軍の曲折を報ぜんと欲す。広未だ対へず。大将軍長史をして急に広を責めて幕府に之きて簿に対へしむ。広曰く、「諸校尉は罪無し。乃ち我自ら道を失へり。吾今自ら簿に上らん」と。莫府に至り、広其の麾下に謂ひて曰く、「広結髪より匈奴と大小七十余戦す。今幸ひに大将軍に従ひて出でて単于の兵に接す。而るに大将軍又広の部を徙して行くこと回遠にし、而して又迷ひて道を失ふ。豈に天に非ずや。且つ広は年六十余なり。終に復た刀筆の吏に対する能はず」と。遂に刀を引きて自剄す。広の軍の士大夫一軍皆哭す。百姓之を聞き、知ると知らざると、老壮と無く皆為に涕を垂る。
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