講孟余話 / 滕文公上 第五章
二ニハ父子ト君臣ト、善ク見サレハ二本ニナルナリ、三ニハ養父ト実父ト、爲人後者、爲之子、故爲所後服斬衰三年、而降其父母期、明尊本祖而重正統也、是實父養父ノ義也、善ク見サレハ二本ニナルナリ、四ニハ君恩ト教道ト、善ク見サレハ二本ニナル也、迂儒漢土ニ負最シ、奸僧ノ釈迦ニ荷擔スル、皆是ナリ、然トモ近世文明ノ化行レ、聖賢ノ道ニ志ス者、絕テ此弊ナシ、近頃浮屠虞淵ナル者ノ護法小品ヲ読ムニ、其論甚タ善シ、佛者ノ見果シテ皆渠カ如クナレハ、二本ノ患ナシト云ヘシ、凢一本ノ誤テ二本トナルコト、此四ツノ外千百限リナシ、今特ニ其大ナル者ヲ擧ルノミ、
新字:二ニハ父子ト君臣ト、善ク見サレハ二本ニナルナリ、三ニハ養父ト実父ト、為人後者、為之子、故為所後服斬衰三年、而降其父母期、明尊本祖而重正統也、是実父養父ノ義也、善ク見サレハ二本ニナルナリ、四ニハ君恩ト教道ト、善ク見サレハ二本ニナル也、迂儒漢土ニ負最シ、奸僧ノ釈迦ニ荷担スル、皆是ナリ、然トモ近世文明ノ化行レ、聖賢ノ道ニ志ス者、絶テ此弊ナシ、近頃浮屠虞淵ナル者ノ護法小品ヲ読ムニ、其論甚タ善シ、仏者ノ見果シテ皆渠カ如クナレハ、二本ノ患ナシト云ヘシ、凢一本ノ誤テ二本トナルコト、此四ツノ外千百限リナシ、今特ニ其大ナル者ヲ挙ルノミ、
書き下し
二には父子と君臣と、善く見ざれば二本になるなり。三には養父と実父と。「人の後たる者は之れが子たり。故に後たる所の為めに斬衰三年を服し、而して其の父母を降して期とす。本祖を尊びて正統を重んずるを明らかにするなり」。是れ実父養父の義なり。善く見ざれば二本になるなり。四には君恩と教道と、善く見ざれば二本になるなり。迂儒の漢土に負最し、奸僧の釈迦に荷担する、皆是れなり。然れども近世文明の化行はれ、聖賢の道に志す者、絶えて此の弊なし。近頃浮屠虞淵なる者の護法小品を読むに、其の論甚だ善し。仏者の見、果して皆渠が如くなれば、二本の患なしと云ふべし。凡そ一本の誤りて二本となること、此の四つの外千百限りなし。今特に其の大なる者を挙ぐるのみ。
現代語訳
第二は父子と君臣とで、よく見ないと二つの根本になる。第三は養父と実父とである。礼に「他家の跡継ぎとなった者はその家の子である。だから跡を継いだ家の親のために斬衰三年の喪に服し、実の父母の喪は一年に下げる。これは本家の祖先を尊び、正しい家統を重んじることを明らかにするものだ」とある。これが実父と養父の筋道である。よく見ないとやはり二つの根本になる。第四は主君の恩と教えの道とで、よく見ないと二つになる。頭の固い儒者が中国をひいきし、悪い僧が釈迦に肩入れするのは、みなこれである。しかし近ごろは学問が開け、聖賢の道を志す者にはこの弊害はまったくない。最近、僧の虞淵という人の『護法小品』を読んだが、その論はたいへんよかった。仏者の考えがみな彼のようであれば、二本の心配はないと言ってよい。およそ一つであるべき根本を誤って二つにしてしまうことは、この四つのほかにも数えきれない。いまはとくに大きなものを挙げただけである。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之本体充曰、聖人五教を論じたまふ次第にも、意もち御座候や。師の曰、ふかき意御入候父子の親は、万化のみなもと天叙の本なり、君臣の義は立極の大義明倫の主本なり、夫婦の別は人倫化生のもと、子孫相続のはじめなり、この三つのものは、五倫のうちにても綱要あるゆへに三綱となづけたり、しかるゆへに三綱を先はじめに論じたまふ、さて三綱のうちにて父子のみちは天性にて君臣の義を包たり、そのうへ五りんのみちみな孝行の条目なれば、孝は人極の第一義なるによつて、一番に父子有親とおしへ給ふ君はおやの恩にひとしきゆへに、おやにつかふる孝をうつして君につかふまつる忠節となす、其うへ明倫の主本有るによつて、第二ばんに君臣有義とおしへ給ふ、
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『翁問答』上卷之本臣下は忠節を以て、君に事ふるを根本とす、忠は二心なく、一筋に君の為め而己思ひ入れ、夫々の職分を能く勤めて我身を捨てゝ奉公する徳なり、夫々の位に由て、大小の差別はあれ共、忠の心法は同じ者なり、君の恩は親の恩に等しき厚恩なれば、親に事ふるが如く、心を尽して仕なり、親は此形を生み育てたる恩なり、君は此身を養ひ給ふ恩なり、親無ければ此身なく、君無ければ此身の養ひ無し皆命を保つ恩なる故に、親にも君にも命を棄て、奉公する道理なり、
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