告志篇 / 告志篇の由来と書写の趣意
右告志篇は、 壬辰の秋より 景山公思召よらせられ、御政務の御餘暇書綴せ給ひ、商書盤庚の篇に、告爾于朕志若否と云へるを取らせ給ひて、かく名づけ給ひしなり、今茲、癸巳三月、初て御國に就せられ、 貧賓の閣に、御遊豫の折から、御親書あらせられしとて、卽ちこれを賜り、存意も候はゞ申あぐべしと、御謙遜の 仰を蒙り、恭しく拜讀するに、深く世俗の浮華を歎かせられ、威義二公以來、御先代の御志を繼せられ、弊風を一洗し、文武の本旨を御發揮遊ばされ、忠孝の大本を說き曉し給ひし也、士民の爲に 御心を盡させられ、御憂慮遊ばされ候 御仁慮誠に有難き事ならずや、かく厚き 尊慮をもわきまへず、舊汚に染て自新にするの志ならんは、其恐れ少からざるべし、されば、此篇士民に寫示しなば、御治化益ゝ速に行はれ、二公の御世に復せん事を、まのあたり見奉らん事の、喜にたへず、手寫して傳ふるなり、就中、漢語など御用ゐ遊ばされし所も、間ゝあれば、人により喩得ざる事もあらんかと、旁に假名を注し、通解しやすからん事を願ふのみ、天保四年癸巳孟夏松平將監賴位謹識告志篇 終
新字:右告志篇は、 壬辰の秋より 景山公思召よらせられ、御政務の御余暇書綴せ給ひ、商書盤庚の篇に、告爾于朕志若否と云へるを取らせ給ひて、かく名づけ給ひしなり、今茲、癸巳三月、初て御国に就せられ、 貧賓の閣に、御遊予の折から、御親書あらせられしとて、即ちこれを賜り、存意も候はゞ申あぐべしと、御謙遜の 仰を蒙り、恭しく拝読するに、深く世俗の浮華を嘆かせられ、威義二公以来、御先代の御志を継せられ、弊風を一洗し、文武の本旨を御発揮遊ばされ、忠孝の大本を説き暁し給ひし也、士民の為に 御心を尽させられ、御憂慮遊ばされ候 御仁慮誠に有難き事ならずや、かく厚き 尊慮をもわきまへず、旧汚に染て自新にするの志ならんは、其恐れ少からざるべし、されば、此篇士民に写示しなば、御治化益ゝ速に行はれ、二公の御世に復せん事を、まのあたり見奉らん事の、喜にたへず、手写して伝ふるなり、就中、漢語など御用ゐ遊ばされし所も、間ゝあれば、人により喩得ざる事もあらんかと、旁に仮名を注し、通解しやすからん事を願ふのみ、天保四年癸巳孟夏松平将監頼位謹識告志篇 終
書き下し
右告志篇は、 壬辰の秋より 景山公思召よらせられ、御政務の御餘暇書綴せ給ひ、商書盤庚の篇に、告爾于朕志若否と云へるを取らせ給ひて、かく名づけ給ひしなり、今茲、癸巳三月、初て御國に就せられ、 貧賓の閣に、御遊豫の折から、御親書あらせられしとて、卽ちこれを賜り、存意も候はゞ申あぐべしと、御謙遜の 仰を蒙り、恭しく拜讀するに、深く世俗の浮華を歎かせられ、威義二公以來、御先代の御志を繼せられ、弊風を一洗し、文武の本旨を御發揮遊ばされ、忠孝の大本を說き曉し給ひし也、士民の爲に 御心を盡させられ、御憂慮遊ばされ候 御仁慮誠に有難き事ならずや、かく厚き 尊慮をもわきまへず、舊汚に染て自新にするの志ならんは、其恐れ少からざるべし、されば、此篇士民に寫示しなば、御治化益ゝ速に行はれ、二公の御世に復せん事を、まのあたり見奉らん事の、喜にたへず、手寫して傳ふるなり、就中、漢語など御用ゐ遊ばされし所も、間ゝあれば、人により喩得ざる事もあらんかと、旁に假名を注し、通解しやすからん事を願ふのみ、天保四年癸巳孟夏松平將監賴位謹識告志篇 終
現代語訳
右の告志篇は、壬辰の秋から景山公(斉昭)がお考えになり、政務の余暇に書き綴られ、『書経』商書盤庚の篇にある「爾に朕が志の若か否かを告ぐ」という句を取って、このように名づけられたものです。今年、癸巳の三月、初めて国元にお入りになり、貧賓の閣でご遊豫の折に、お手ずからお書きになったといって、すなわちこれを賜り、考えがあれば申し上げよと、ご謙遜のお言葉を承り、恭しく拝読したところ、深く世俗の浮華を嘆かれ、威公・義公の二公以来のご先代のお志を継がれ、弊風を一洗し、文武の本旨を発揮なさり、忠孝の大本を説き諭された内容です。士民のために心を尽くされ、ご憂慮なさるそのご仁慮は、まことにありがたいことではありませんか。このように厚い尊慮をわきまえず、旧い汚れに染まって自ら新たにする志がない者は、その恐れが少なくないでしょう。そこでこの篇を士民に写し示せば、ご治化がますます速やかに行われ、二公の御世に復することを目のあたりに拝見できるだろうと、喜びにたえず、手写して伝えるのです。とりわけ、漢語などをお用いになった所も間々あり、人によっては理解できないこともあろうかと、あわせて仮名を付し、通解しやすいようにと願うのみです。天保四年癸巳孟夏(四月)、松平将監頼位謹識。告志篇終。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『告志篇』・本を思い恩に報いる心がけ告志篇我等淺學不才にて義理文辭とも行屆兼候へども、 存付候事包み居候ては我等の愚意も不相分、愚意なりとてかくすべきにもあらねば、かきつゞりて一冊となし、近侍のものへ爲見候なり、敢て老成人に示さんとにはあらず、少年後進の輩、見及び聞及びにて尤と存相守候はゞ、大幸の事と存候也、人は貴き賤きによらず、本を思ひ恩に報い候樣心懸候儀專一と存候、抑 日本は 神聖の國にして、天祖天孫統を垂れ極を建給ひしよりこのかた、明德の遠き太陽とゝもに照臨まし〱、寶祚の隆なる天壤とゝもに窮りなく、君臣父子の常道より、衣食住の日用に至るまで、皆これ天祖の恩賚にして、萬民永く飢寒の患を免れ、天下敢て非望の念を萌さず、難有と申も恐多き御事なり、然れども、數千年の久しきうちに盛衰なき事あたはず、或は治り或は亂れ、永祿天正の間に至て天下の亂極まりしかど、東照宮三河に起らせられ、櫛風沐雨、辛苦艱難まし〱て、上は天朝を輔翼し奉り、下は諸侯を鎭撫し給ひ、二百餘年の今に至るまで、天下泰山の安きを保ち、人民塗炭の苦を免れ、うまれながら太平の德澤に浴し居候は、これ亦難有御事ならずや、されば人たるもの、かりそめにも、神國の尊きゆゑんと天祖の恩賚とを忘るべからず、又かりそめにも、東照宮の德澤をゆるかせに心得候ては不相濟事と存候、我等愚昧にして士民の上に立べき者にあらねど、祖先の餘蔭により、天朝及び 公邊の恩澤に浴し、乍不肖三位の尊を汚し三家の重きに列して、天下の藩屏とも相成居候上は、
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『弘道館記述義』・集衆思・告志篇に見る報本酬恩と分を守る心臣彪謹んで案ずるに、臣下の君上に於けるや一体なり。子孫の祖先に於けるや一気なり。臣子既に其の徳を脩め、道芸を行ひ、以て君父に事へ、人君其の衆思群力を集め、以て祖宗に報いば、則ち君臣上下の、斯の道を推弘する所以の者、孰れか大ならん。祖宗の志是に於いて墜ちず、神皇の霊、豈に感格せざるの理有らんや。然れども其の本を要するに唯我が躬行を慎み我が君父に事ふるに在り、固より分を犯し等を踰え高遠に鶩するに在らず。曩者我が公の始めて国に就くや、親ら一書を述べ、国中の子弟に諭し、名づけて告志篇と曰ふ。其の言は皆士大夫躬行の要にして、其の忠孝の大節に於いては、蓋し尤も思ひを致す。其の略に言有り、曰く、天下万姓煦育の恩は天祖に本づき、二百余年太平の化は東照宮に原づく。而して士大夫各其の禄位を保つ者は、皆先君先祖の余沢なり。其の本を思ひ其の恩に酬ゆる者は、臣子の志を立つる第一義たり。恭しく惟みるに天皇は実に天祖の嗣を承け、大将軍は則ち東照宮の統を纘ぐ。寡人は無似なりと雖も、亦威公の胤を忝くし、士大夫は皆祖先の後を襲ふ。則ち貴賤と無く大小と無く、各其の父母に孝に、其の長上に忠にして、報本酬恩の義並び挙がらん。若し其の君父を慢り、直ちに忠を朝廷と覇府とに尽くさんと欲せば、則ち分を犯し等を踰ゆるの甚だしきにして、適に以て僭乱の罪を取るのみと。公の再び国に就くに及び、乃ち斯の館を建て以て子弟を教養し、又斯の記を撰して以て其の大綱を掲ぐ。其の道義を闡明し名教を維持する所以は、実に以て天下後世の訓と為すべし。豈に特に一国の士民、方を知るのみならんや。学者能く斯の記を読み、斯の道の淵源を知り、参ずるに告志の篇を以てし、躬行実践の業に従事せば、則ち庶幾はくは公の盛意に負かざらん。斯の館を建て以て其の治教を統ぶる者は誰ぞ。権中納言従三位源朝臣某なり。
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『告志篇』・上下が一致して善政を行う乍不及國家を安定し、士民を撫育し、本に報い恩を酬い申度、日夜心をつくし候事に候へば、各も我等の心を推察いたし、面々の身分を考へ、夫ゝ本を思ひ恩を酬い候樣心懸可申候、人々形こそ生れ付たる事なれ、心は愚なるより賢きにもうつさばうつるべし、顏淵も舜何人也予何人也有爲者亦若是といひ、孟子も性善を說ときは言必堯舜を稱せり、されば某は古の明君賢將を慕ひ、各は古の忠臣義士を學び、在世にはともに他國の手本にもなり、後代にはよきためしにもひかれ、父母の名迄も顯す樣にと眞實に心懸度事に候、縱ひ我等計左樣存候迚も各其心得無之ては、善政は行はれざる事と存候、兎角善政は上下一致して行ふ心にあらざれば行はれざる事に候間、何とぞ某とゝもに一致して、風俗を一新し、國家を中興し、某は各のたすけを得て、天朝、公邊の御恩を報い、各に於ては克く其持前を以て、不肖の我等へ精忠を盡し 我等をして天朝、公邊の御恩にそむかしめざる樣心懸候はゞ、某と各の忠孝此上あるまじく候、生れながら飽までに食ひ煖に衣て今日迄枕を高く安樂に暮し候は、誰が恩にあるべきや、能ゝ此所を辨へ、一日たりともいたづらに日を不送樣致度候、
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『告志篇』・人の才を妬まず誠信を本とする何事によらず、己れの能を挾みて、人の能を妬み抔するは、いといやしき心なり、何事にても我より先なる者あらば聽ことを恥ず、子供にも問べく、又我より後なるものをば能世話いたし引立候樣にすべし、家中に藝能等すぐれたる者多く出來候は、主君の爲なり、然るに文武に限らず、同流にても他流にても、上手の者を妬み抔するは、主君へ對し不忠なる事ならずや、己れの不遇を恨、人の立身を羨み嫉む抔は、猶更士には有間敷事なり、我等乍不肖、士民の上に臨み居候上は、家中の賢能を勸め、邪慝を懲しめ申度、常ゝ心を用ゐ候得ども、知人の難きは、聖人の病給ふ所にて、中々行屆兼候間、餘多の家中には善をなしてかくれ居候も可有之、又惡をなしてのがれ居候も可有之、日夜致苦心候處、面々に於ては我等の心を推察いたし、正道を守り邪行を戒め候樣致度事に候、然るに誰某は善行あれども上の賞にも預らねば、善をなすも無益なりと思ひ、誰某は惡事あれども罰も蒙らねば、惡をなし候ても申譯ありといひ、一人や二人の進退を見て忽に心を動し、惡をなし候樣なる者は、我家中にはあるまじく候、何事によらず、定置所の法度、又は父母師友の敎戒を守るは勿論に候へども、夫迄にも無之、大抵の人は是は善是は惡と申儀分ればこそ、惡き事は忍び隱れて行ひ候へば、一向善惡の境不相辨とは申がたく、多分は己れも惡敷と存じ、人よりも心を付られ候をも知つゝ行ひ候事に候へば、求て行ひ候も同樣なるべし、かくれたるより顯るはなしといへり、ゆめ〱いつはりなく、誠信を本とし、內省不疚の聖語、服膺致たき事に候。
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『告志篇』・下からの意見を遠慮なく申し出る直言極諫は勿論、凡そ下より上え對し存寄等申立候は、人の至難と存候所、相續已來面々篤存入上言等いたしくれ候者も不少、大慶不過之存候、然るに、近來存意等申立者追ゝ減少いたし、何共心細き事に有之候、忠臣良士は聖賢の世にてすら、國を憂君を愛し候事と承及候、況や今士民の風俗もいまだ改らず、國家の武備もいまだ整はず、下々より見候はゞ、可申事何程歟可有之候へども、上書等日致減少候段不審の至に候、察する所、面々精力を盡し折角申聞候ても、遂一には用ゐも不致候故力を落し、何程申聞候ても無益と存、見合居候事にも可有之哉、我等乍不及言路をも開き、衆言をも承度存候上は、面々存意申出候毎々熟慮いたし、尤なる儀は幾重にも取用ゐ申度存候へども、下より見候ては、殊之外手輕き樣致了簡申聞候事も、於我等存之外差支多くなしがたき事抔有之、又は一方に宜候へば一方に惡しき事も有之、乍氣之毒折角之存意を空しく致候類も不少、其外各は折角尤の儀を申聞候ても、我等の愚昧にて呑込違候事も如何程歟可有之候へども、此上各可申聞事をも申聞ざる樣成行候はゞ、國家の不幸此上ある間敷候間、存意之趣は必無伏藏申聞候樣にと、くれ〱も存候、
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『告志篇』・平時にも備えを忘れず身を律する仍ては能ゝ此所を考、面々の心をきり替、役人の外なり迚、少しも其身を疎略に不致、行跡を嗜み、一家を濟、組中の交を睦しく、忠孝文武を以勵し合、番頭以上に至ては諸士の手本、自他の見張にも相成候職に候へば、別て言行をも愼み、何事によらず存寄之儀等は、我等へも申出、役人どもへも遂に判談、國家と休戚を共にする心得有之度存候、面々の心得かくの如くなりたらんには、風俗もいかでか改らざるべき、武備もいかでか整はざるべき、天下安くとも亂を忘れず、いつ何時 公邊より討手の大將被仰付候とも、一同少しも差支無之樣不心懸候ては、士の詮は無之候、士農工商夫々の持前ありて、今太平の世にも、農と工商とは夫々の業ありて、夫々心得もある事なるに、獨り士に至りて士の備なかるべけんや、然るに、太平なればとて武道の嗜もせず、飽食ひ煖に衣、今日迄安穩に暮したる厚き 御恩を忘れ、驕佚にのみ長じ、寒暑風雨に逢ても忽に邪氣を引受る樣なる柔弱の身となりては、士は四民の內の遊民なり、もしこれを恥かしく思はゞ、士の道を心懸、士の備をなし、不虞の用に供し可申候、恐多くも天祖の恩にて、 神國に生育し、 東照宮の德澤にて、太平に沐浴し、累代安樂にくらし居候事、申迄にも無之候へば、萬一事あらん時は、我等乍不肖、天朝、 公邊の御爲には、身命を塵芥よりも輕んじ、大恩を奉報候所存に候間、面々も其心得にて、我等何時出馬いたし候とも、差支無之樣、常ゝ心懸可申候也、天保四年癸巳三月廿三日齊昭 花押

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