国語 / 呉語
董褐將還,王稱左畸曰:「攝少司馬茲與王士五人,坐於王前。」乃皆進,自𠜲於客前以酬客。 董褐既致命,乃告趙鞅曰:「臣觀吳王之色,類有大憂,小則嬖妾、嫡子死,不則國有大難;大則越入吳。將毒,不可與戰。主其許之先,無以待危,然而不可徒許也。」趙鞅許諾。 晉乃令董褐復命曰:「寡君未敢觀兵身見,使褐復命曰:『曩君之言,周室既卑,諸侯失禮於天子,請貞於陽卜,收文、武之諸侯。孤以下密邇於天子,無所逃罪,訊讓日至,曰:昔吳伯父不失,春秋必率諸侯以顧在余一人。今伯父有蠻、荊之虞,禮世不續,用命孤禮佐周公,以見我一二兄弟之國,以休君憂。今君掩王東海,以淫名聞於天子,君有短垣,而自踰之,況蠻、荊則何有於周室?夫命圭有命,固曰吳伯,不曰吳王。諸侯是以敢辭。夫諸侯無二君,而周無二王,君若無卑天子,以干其不祥,而曰吳公,孤敢不順從君命長弟!』許諾。」 吳王許諾,乃退就幕而會。吳公先歃,晉侯亞之。吳王既會,越聞愈章,恐齊、宋之為己害也,乃命王孫雒先與勇獲帥徒師,以為過賓於宋,以焚其北郛焉而過之。
新字:董褐将還,王称左畸曰:「摂少司馬茲与王士五人,坐於王前。」乃皆進,自𠜲於客前以酬客。 董褐既致命,乃告趙鞅曰:「臣観呉王之色,類有大憂,小則嬖妾、嫡子死,不則国有大難;大則越入呉。将毒,不可与戦。主其許之先,無以待危,然而不可徒許也。」趙鞅許諾。 晋乃令董褐復命曰:「寡君未敢観兵身見,使褐復命曰:『曩君之言,周室既卑,諸侯失礼於天子,請貞於陽卜,収文、武之諸侯。孤以下密邇於天子,無所逃罪,訊譲日至,曰:昔呉伯父不失,春秋必率諸侯以顧在余一人。今伯父有蠻、荊之虞,礼世不続,用命孤礼佐周公,以見我一二兄弟之国,以休君憂。今君掩王東海,以淫名聞於天子,君有短垣,而自踰之,況蠻、荊則何有於周室?夫命圭有命,固曰呉伯,不曰呉王。諸侯是以敢辞。夫諸侯無二君,而周無二王,君若無卑天子,以干其不祥,而曰呉公,孤敢不順従君命長弟!』許諾。」 呉王許諾,乃退就幕而会。呉公先歃,晋侯亜之。呉王既会,越聞愈章,恐斉、宋之為己害也,乃命王孫雒先与勇獲帥徒師,以為過賓於宋,以焚其北郛焉而過之。
書き下し
董褐将に還らんとするに、王左畸(さき)を称(よ)びて曰く、「少司馬茲(し)と王士五人とを摂(と)らえて、王の前に坐せしめよ」と。乃ち皆進み、自ら客の前に𠜲(くびき)りて以て客に酬(むく)ゆ。 董褐既に命を致し、乃ち趙鞅(ちょうおう)に告げて曰く、「臣呉王の色を観るに、大憂有るに類(に)たり。小なれば則ち嬖妾・嫡子死し、不(しから)ずんば則ち国に大難有り。大なれば則ち越呉に入れるならん。将に毒せんとす。与に戦うべからず。主其れ之に先んずるを許して、以て危うきを待つこと無かれ。然れども徒(いたず)らに許すべからざるなり」と。趙鞅許諾す。 晋乃ち董褐をして復命せしめて曰く、「寡君未だ敢えて兵を観(しめ)して身ら見えず、褐をして復命せしめて曰く、『曩(さき)の君の言に、周室既に卑く、諸侯天子に礼を失う、請う陽卜(ようぼく)に貞(ただ)して、文・武の諸侯を収めんと。孤以下天子に密邇(みつじ)して、罪を逃るる所無く、訊譲(じんじょう)日に至る。曰く、昔呉の伯父失わず、春秋必ず諸侯を率いて以て余一人を顧み在りき。今伯父蛮・荊の虞(うれ)い有り、礼世々続かず。用て孤に命じて礼もて周公を佐け、以て我が一二の兄弟の国に見えしめ、以て君の憂いを休めしむと。今君王を東海に掩(おお)いて、淫名を以て天子に聞こゆ。君に短垣有りて、自ら之を踰(こ)ゆ。況んや蛮・荊は則ち何ぞ周室に有らんや。夫れ命圭(めいけい)に命有り、固より呉伯と曰いて、呉王と曰わず。諸侯是を以て敢えて辞す。夫れ諸侯に二君無く、周に二王無し。君若し天子を卑しむること無く、以て其の不祥を干(おか)さずして、呉公と曰わば、孤敢えて君命に順従して長弟せざらんや』と。許諾す」と。 呉王許諾し、乃ち退きて幕に就きて会す。呉公先ず歃(すす)り、晋侯之に亜(つ)ぐ。呉王既に会し、越の聞こえ愈(いよいよ)章らかなり。斉・宋の己の害と為らんことを恐れ、乃ち王孫雒に命じて先ず勇獲(ゆうかく)と徒師を帥い、以て宋に過賓と為り、以て其の北郛を焚きて之を過ぎしむ。
現代語訳
董褐が帰ろうとすると、呉王は左翼の部隊を呼び寄せて言った。「少司馬の茲と王の兵士五人を引き出して、王の前に座らせよ」。彼らはみな進み出て、客である董褐の目の前で自ら首をはねて、客への返礼とした。 董褐は晋の君に復命したのち、趙鞅(晋の正卿、趙簡子)に告げた。「私が呉王の顔色を観たところ、何か大きな憂いを抱えているようです。小さなことなら寵愛する妾か嫡子が死んだのでしょう。そうでなければ国に大きな災難が起きたのでしょう。大きなことなら、越が呉に攻め入ったのかもしれません。追い詰められた獣のように猛り狂おうとしています。戦ってはなりません。あなたは呉が先に立つことを許して、危険を招かないようにすべきです。とはいえ、ただ黙って許してはなりません」。趙鞅は承知した。 晋はそこで董褐に返答を伝えさせた。「わが君は兵を見せつけてまでお目にかかろうとはせず、この褐に返答を託しておっしゃいました。『先ほどの君のお言葉では、周の王室はすでに衰え、諸侯は天子に対する礼を失っているので、亀卜によって正しい道を定め、文王・武王の立てた諸侯を再び取りまとめたい、とのことでした。わたくしどもは天子のおそば近くにおりますので、罪を逃れるすべもなく、叱責の言葉が毎日のように届きます。天子はこうおっしゃいます。昔、呉の伯父(呉の先君)は務めを怠らず、春と秋には必ず諸侯を率いてわたし一人を顧みてくれた。いま伯父の国は蛮夷や楚の脅威を抱え、礼が代々続かなくなった。そこでそなたに命じて、礼をもって周公を補佐させ、同姓の兄弟の国々と会わせて、君の憂いを和らげさせるのだ、と。ところがいま、君は東海の地を覆うように王を名乗り、分に過ぎた名で天子の耳に聞こえています。君は自ら低い垣根を設けておきながら、自分でそれを踰えているのです。まして蛮夷や楚が周の王室をどうして重んじましょうか。天子から授かった命圭には、はっきりと「呉伯」と記され、「呉王」とは記されていません。だから諸侯はあえて君を先に立てることを辞退するのです。そもそも諸侯に二人の君はなく、周に二人の王はありません。君がもし天子を侮らず、その不吉を犯すことなく、「呉公」と名乗られるのなら、わたくしがどうして君のお言葉に従い、年長の方としてお立てしないことがありましょう』。以上が承諾の返事です」 呉王はこれを承諾し、兵を退いて幕舎に入って会盟した。呉公がまず牲の血をすすり、晋侯がそれに続いた。呉王が会盟を終えるころには、越の侵攻はますます知れわたっていた。呉王は斉や宋が自分に害をなすことを恐れ、王孫雒に命じて、先に勇獲(呉の大夫)とともに歩兵を率いさせ、宋を通過する客人として進ませ、宋の都の北の外城を焼き払って通り過ぎさせた。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』哀公十三年 黄池に先を争う秋七月辛丑、盟ふ。吳・晉先を爭ふ。吳人曰く、「周室に於て、我長為り」と。晉人曰く、「姬姓に於て、我伯為り」と。趙鞅司馬寅を呼びて曰く、「日旰(く)れたり。大事未だ成らず、二臣の罪なり。鼓を建て列を整へ、二臣之に死せば、長幼必ず知る可きなり」と。對へて曰く、「請ふ姑く之を視ん」と。反りて曰く、「肉食者は墨無し。今吳王墨有り。國勝たれたるか。大子死せるか。且つ夷の德は輕し、久しきに忍びず。請ふ少しく之を待たん」と。乃ち晉人を先にす。吳人將に公を以て晉侯に見えしめんとす。子服景伯使者に對へて曰く、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を帥ゐて以て王に見ゆ。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を帥ゐて以て伯に見ゆ。王より以下、朝聘の玉帛同じからず。故に敝邑の職貢の吳に於けるや、晉より豐かなる有りて、及ばざる無きは、以て伯と為せばなり。今諸侯會して、君將に寡君を以て晉君に見えしめんとす。則ち晉成りて伯と為らん。敝邑將に職貢を改めんとす。魯の吳に賦するは八百乘なり。若し子男と為らば、則ち將に邾に半ばして、以て吳に屬し、而して邾の如くにして以て晉に事へんとす。
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国語・呉語呉王昏(くれ)に乃ち戒め、馬に秣(まぐさ)かい士に食わしむ。夜中、乃ち兵を服し甲を擐(つらぬ)き、馬の舌を係(つな)ぎ、火を灶(かまど)より出だしめ、士卒百人を陳ねて、以て徹行(てっこう)百行と為す。行頭は皆官師にして、鐸を擁し稽(けい)を拱(と)り、肥胡(ひこ)を建て、文犀(ぶんさい)の渠(きょ)を奉ず。十行に一嬖大夫(へいたいふ)、旌を建て鼓を提げ、経を挟み枹(ばち)を秉る。十旌に一将軍、常(じょう)を載せ鼓を建て、経を挟み枹を秉る。万人以て方陣と為し、皆白裳・白旂(はくき)・素甲・白羽の矰(そう)、之を望めば荼(と)の如し。王親ら鉞(えつ)を秉り、白旗を載せて以て陳に中して立つ。左軍も亦之の如く、皆赤裳・赤旟(せきよ)・丹甲・朱羽の矰、之を望めば火の如し。右軍も亦之の如く、皆玄裳・玄旗・黒甲・烏羽の矰、之を望めば墨の如し。帯甲三万を為し、以て勢攻し、雞鳴いて乃ち定まる。既に陳(つら)ね、晋軍を去ること一里。昧明(まいめい)、王乃ち枹を秉り、親ら就きて鐘鼓・丁寧(ていねい)・錞于(じゅんう)を鳴らし鐸を振るう。勇怯尽く応じ、三軍皆譁釦(かこう)して以て旅を振るい、其の声天地を動かす。 晋の師大いに駭(おどろ)きて出でず。軍を周らし塁を飭(ととの)え、乃ち董褐(とうかつ)をして事を請わしめて曰く、「両君兵を偃(ふ)せて好を接(あ)わせ、日中を期と為す。今大国録(じ)を越えて、弊邑の軍塁に造(いた)る。敢えて乱の故を請う」と。 呉王親ら之に対えて曰く、「天子命有り。周室卑約にして、貢献入る莫く、上帝鬼神にして以て告ぐべからず。姫姓の振(すく)い無きなり。徒遽(とこ)来たりて告ぐ。孤日夜相継ぎ、匍匐して君に就く。君今王室の平安ならざるを是れ憂うるに非ず、晋の衆庶を億負(おくふ)して、諸戎・狄・楚・秦を式(もち)いず。将に長弟せずして、力を以て一二の兄弟の国を征せんとす。孤吾が先君の班爵を守らんと欲す。進めば則ち敢えてせず、退けば則ち可ならず。今会日薄(せま)れり。事の集(な)らずして、以て諸侯の笑いと為らんことを恐る。孤の君に事うるは今日に在り、君に事うるを得ざるも亦今日に在り。使者の遠きこと無からんが為に、孤用(もっ)て親ら命を藩籬の外に聴く」と。
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国語・呉語呉王夫差既に黄池より退き、乃ち王孫苟(おうそんこう)をして労を周に告げしめて曰く、「昔者楚人不道を為し、共(きょう)に王事を承けず、以て我が一二の兄弟の国を遠ざく。吾が先君闔廬(こうりょ)貰(ゆる)さず忍びず、甲を被り剣を帯び、鈹(ひ)を挺(ぬ)き鐸を搢(ふ)るい、以て楚の昭王と中原の柏挙(はくきょ)に毒逐す。天其の衷を舎(ほどこ)し、楚の師敗績し、王其の国を去り、遂に郢(えい)に至る。王其の百執事を総べ、以て其の社稷の祭を奉ず。其の父子・昆弟相能(よ)からず、夫概王(ふがいおう)乱を作す。是を以て復た呉に帰る。今斉侯壬(じん)楚に鑒(かんが)みず、又共に王命を承けず、以て我が一二の兄弟の国を遠ざく。夫差貰さず忍びず、甲を被り剣を帯び、鈹を挺き鐸を搢るい、汶に遵いて博を伐ち、簦笠(とうりゅう)艾陵に相望む。天其の衷を舎し、斉の師還る。夫差豈に敢えて自ら多とせんや。文・武寔に其の衷を舎せり。帰りて歳に稔らざるに、余江に沿い淮を泝り、溝を闕ち水を深くし、商・魯の閒に出でて、以て兄弟の国に徹す。夫差克く成事有り。敢えて苟をして下執事に告げしむ」と。 周王答えて曰く、「苟、伯父女(なんじ)をして来たらしめ、明らかに余一人に紹享(しょうきょう)す。若(ここ)に余之を嘉す。昔周室天の禍を降すに逢い、民の不祥に遭う。余が心豈に憂恤を忘れんや、唯下土の康靖ならざるのみならず。今伯父曰く、『力を戮(あわ)せ徳を同じくせん』と。伯父若し能く然らば、余一人兼ねて受けて而(なんじ)を介福せん。伯父多く年を歴て以て元身を没えよ。伯父徳を秉ること已に侈大なるかな」と。
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国語・呉語呉王夫差既に申胥を殺し、歳に稔(みの)らざるに、乃ち師を起こして北征す。闕(うが)ちて深溝を為(つく)り、商・魯の閒に通じ、北は之を沂(き)に属(つら)ね、西は之を済(せい)に属ね、以て晋公午(ご)に黄池(こうち)に会す。 是に於いて越王句践乃ち范蠡(はんれい)・舌庸(ぜつよう)に命じ、師を率いて海に沿い淮を泝(さかのぼ)りて以て呉の路を絶たしむ。王子友を姑熊夷(こゆうい)に敗る。越王句践乃ち中軍を率いて江を泝りて以て呉を襲い、其の郛(ふ)に入り、其の姑蘇を焚き、其の大舟を徙(うつ)す。 呉・晋長を争いて未だ成らず。辺遽(へんきょ)乃ち至り、越の乱を以て告ぐ。呉王懼れ、乃ち大夫を合わせて謀りて曰く、「越不道を為し、其の斉盟に背く。今吾が道路修遠なり。会すること無くして帰ると、会に与(あずか)りて晋を先にすると、孰れか利ならん」と。王孫雒(おうそんらく)曰く、「夫れ危事は歯(よわい)せず。雒敢えて先ず対えん。二者利なる莫し。会すること無くして帰らば、越の聞こえ章(あき)らかならん。民懼れて走り、遠くして正(ゆ)き就く無からん。斉・宋・徐・夷曰わん、『呉既に敗れたり』と。将に溝を夾(はさ)みて我を㢋(う)たんとす。我生命無からん。会して晋を先にせば、晋既に諸侯の柄を執りて以て我に臨み、将に其の志を成して以て天子に見えんとす。吾之を須(ま)つこと能わず、之を去るに忍びず。若し越の聞こえ愈(いよいよ)章らかならば、吾が民叛かんことを恐る。必ず会して之に先んぜよ」と。 王乃ち歩みて王孫雒に就きて曰く、「之に先んずるに、之を図ること将に若何せん」と。王孫雒曰く、「王其れ疑うこと無かれ。吾が道路悠遠なり。必ず二命有ること無くして、焉(すなわ)ち以て事を済すべし」と。王孫雒進み、顧みて諸大夫に揖(ゆう)して曰く、「危事は以て安と為すべからず、死事は以て生と為すべからずんば、則ち智を貴しと為すこと無からん。民の死を悪みて貴富にして以て長く没せんことを欲するや、我と同じ。然りと雖も、彼は其の国に近く、遷(うつ)ること有り。我は慮を絶ち、遷ること無し。彼豈に能く我と此の危事を行わんや。君に事うるの勇謀、此に於いて之を用いよ。今夕必ず挑戦して、以て民心を広くせん。請う王士を励まして、以て其の朋勢を奮わしめよ。之を勧むるに高位重畜を以てし、刑戮を備えて以て其の励まざる者を辱しめ、各々其の死を軽んぜしめよ。彼将に戦わずして我を先にせんとす。我既に諸侯の柄を執らば、歳の穫られざるを以て、誅すること有ること無くして、先ず之を罷めしめば、諸侯必ず説(よろこ)ばん。既にして皆其の地に入らば、王安んじて志を挺(ゆる)め、一日は惕(はや)く、一日は留(おそ)く、以て安んじて王の志を歩ましめよ。必ず設くるに此の民を以て、江・淮の閒に封ぜば、乃ち能く呉に至らん」と。呉王許諾す。
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国語・呉語呉王夫差乃ち諸大夫に告げて曰く、「孤将に大志を斉に有らんとす。吾将に越の成を許さんとす。吾が慮(おもんぱか)りに拂(もと)ること無かれ。若し越既に改めば、吾又何をか求めん。若し其れ改めずんば、反(かえ)り行きて、吾旅を振るわん」と。 申胥諫めて曰く、「許すべからざるなり。夫れ越は実に忠心にして呉を好むに非ざるなり。又吾が兵甲の彊きを懾畏(しょうい)するに非ざるなり。大夫種は勇にして善く謀る。将に呉国を股掌の上に還玩(かんがん)して、以て其の志を得んとす。夫れ固より君王の威を蓋(たっと)びて以て勝つを好むを知る。故に其の辞を婉約(えんやく)にして、以て王の志を従逸(じゅういつ)せしめ、諸夏の国に淫楽して、以て自ら傷つけしめんとす。吾が甲兵をして鈍弊し、民人をして離落し、日に以て憔悴せしめ、然る後に安んじて吾が燼を受けん。夫れ越王は信を好みて以て民を愛す。四方之に帰し、年穀時に熟し、日に長じて炎炎たり。吾猶お以て戦うべきに及んで、虺(き)たるに摧(くだ)かずんば、蛇と為りては将に若何せん」と。 呉王曰く、「大夫奚(なん)ぞ越を隆(たか)くするや。越曾(すなわ)ち以て大虞(たいぐ)と為すに足らんや。若し越無くんば、則ち吾何を以て春秋に吾が軍士を曜(かがや)かさん」と。乃ち之に成を許す。 将に盟わんとするに、越王又諸稽郢をして辞せしめて曰く、「盟を以て益有りと為すか。前盟の口血未だ乾かず、以て信を結ぶに足れり。盟を以て益無しと為すか。君王甲兵の威を舎(お)きて以て臨みて之を使わんに、胡ぞ鬼神を重んじて自ら軽んずるや」と。呉王乃ち之を許し、荒成(こうせい)して盟わず。
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史記 呉太伯世家斉の鮑氏、斉の悼公を弑す。呉王之を聞き、軍門の外に哭すること三日、乃ち海上より斉を攻む。斉人、呉を敗り、呉王乃ち兵を引きて帰る。十三年、呉、魯・衛の君を召して橐皋に会す。十四年春、呉王、北のかた諸侯に黄池に会し、中国に覇して以て周室を全うせんと欲す。六月子、越王句践、呉を伐つ。乙酉、越の五千人、呉と戦ふ。丙戌、呉の太子友を虜にす。丁亥、呉に入る。呉人、敗を王夫差に告ぐ。夫差其の聞こゆるを悪む。或ひと其の語を泄らす。呉王怒り、七人を幕下に斬る。七月辛丑、呉王、晋の定公と長を争ふ。呉王曰く、「周室に於ては我長たり」と。晋の定公曰く、「姫姓に於ては我伯たり」と。趙鞅怒り、将に呉を伐たんとす。乃ち晋の定公を長とす。呉王已に盟ひ、晋と別れ、宋を伐たんと欲す。太宰嚭曰く、「勝つ可きも居る能はざるなり」と。乃ち兵を引きて国に帰る。国は太子を亡ひ、内空しく、王外に居ること久しく、士皆罷敝す。是に於て乃ち厚幣を使はして以て越と平す。十五年、斉の田常、簡公を殺す。十八年、越益々彊し。越王句践、兵を率ゐて伐ちて呉の師を笠沢に敗る。楚、陳を滅す。二十年、越王句践復た呉を伐つ。二十一年、遂に呉を囲む。二十三年十一月丁卯、越、呉を敗る。越王句践、呉王夫差を甬東に遷し、百家を予へて之に居らしめんと欲す。呉王曰く、「孤老いたり、君王に事ふる能はざるなり。吾、子胥の言を用ひざりしを悔ゆ。自ら此に陥らしむ」と。遂に自剄して死す。越王、呉を滅し、太宰嚭を誅し、以て不忠と為して帰る。
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