国語 / 晋語六
反自鄢,范文子謂其宗、祝曰:「君驕泰而有烈,夫以德勝者猶懼失之,而況驕泰乎?君多私,今以勝歸,私必昭。昭私,難必作,吾恐及焉。凡吾宗、祝,為我祈死,先難為免。」七年夏,范文子卒。冬,難作,始於三郤,卒於公。
新字:反自鄢,范文子謂其宗、祝曰:「君驕泰而有烈,夫以徳勝者猶懼失之,而況驕泰乎?君多私,今以勝帰,私必昭。昭私,難必作,吾恐及焉。凡吾宗、祝,為我祈死,先難為免。」七年夏,范文子卒。冬,難作,始於三郤,卒於公。
書き下し
鄢より反(かえ)る。范文子其の宗・祝に謂いて曰く、「君は驕泰にして烈(いさお)有り。夫れ徳を以て勝つ者すら猶お之を失わんことを懼る、而るを況んや驕泰なるをや。君私多し。今勝を以て帰る、私必ず昭らかならん。私を昭らかにすれば、難必ず作(おこ)らん。吾及ばんことを恐る。凡そ吾が宗・祝、我が為に死を祈れ。難に先だちて免るることを為さん」と。七年夏、范文子卒す。冬、難作る。三郤に始まりて、公に卒(お)わる。
現代語訳
鄢陵から帰ると、范文子は一族の祭祀をつかさどる宗人と祝(はふり)に言った。「わが君は驕り高ぶっているうえに、戦功を立ててしまった。徳によって勝った者でさえ、勝ちを失うことを恐れるものだ。まして驕り高ぶっている者はなおさらである。わが君には私に寵愛する者が多い。いま勝って帰ったからには、その私ごとが必ずあらわになるだろう。私ごとがあらわになれば、必ず難が起こる。わたしはそれに巻き込まれるのを恐れる。わが家の宗人と祝よ、わたしのために死を祈ってくれ。難が起こる前に死んで、それを免れたいのだ。」厲公の七年の夏、范文子は亡くなった。その冬、難が起こった。三郤の誅殺に始まり、厲公の弑殺に終わった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
国語・晋語六鄢の役、晋鄭を伐ち、荊之を救う。欒武子上軍に将たり、范文子下軍に将たり。欒武子戦わんと欲す。范文子欲せずして曰く、「吾之を聞く、唯だ厚徳の者のみ能く多福を受く。徳無くして服する者衆ければ、必ず自ら傷つく。晋の徳に称(かな)わば、諸侯皆叛きて、国以て少しく安かる可し。唯だ諸侯有り、故に擾擾たり。凡そ諸侯は難の本なり。且つ唯だ聖人のみ能く外患無く又内憂無し。詎(もし)聖人に非ずんば、外患有らずんば、必ず内憂有り。盍ぞ姑く荊と鄭とを釈きて以て外患と為さざる。諸臣の内に相与(くみ)すること、必ず将に輯睦(しゅうぼく)せんとす。今我戦いて又荊と鄭とに勝たば、吾が君将に智を伐(ほこ)りて力を多とし、教えを怠りて斂(おさめ)を重くし、其の私暱(しじつ)を大にして婦人の田を益さんとす。諸大夫の田を奪わずんば、則ち焉(いず)くより取りて以て此を益さん。諸臣の室を委(す)てて徒(むな)しく退く者、将た幾人ぞ。戦いて若し勝たずんば、則ち晋国の福なり。戦いて若し勝たば、地の秩を乱す者なり。其の産(う)むところ将に大を害せんとす。盍ぞ姑く戦うこと無からざる」と。 欒武子曰く、「昔韓の役、恵公舎(しゃ)に復らず。邲(ひつ)の役、三軍旅を振るわず。箕(き)の役、先軫(せんしん)命に復せず。晋国固より大恥三有り。今我晋国の政に任じて、晋の恥を毀(のぞ)かず、又蛮夷を違(さ)くるを以て之を重ねば、後患有りと雖も、吾が知る所に非ざるなり」と。 范文子曰く、「福を択ぶは重きに若くは莫く、禍を択ぶは軽きに若くは莫し。福は軽きを用うる所無く、禍は重きを用うる所無し。晋国故(もと)より大恥有り。其の君臣相聴かずして以て諸侯の笑いと為らんよりは、盍ぞ姑く蛮夷を違くるを以て恥と為さざる」と。 欒武子聴かず、遂に荊人と鄢陵に戦い、大いに之に勝つ。是に於いてか君智を伐りて力を多とし、教えを怠りて斂を重くし、其の私暱を大にし、三郤を殺して諸(これ)を朝に尸(さら)し、其の室を納れて以て婦人に分かつ。是に於いてか国人蠲(いさぎよ)しとせず、遂に諸を翼(よく)に弑し、翼の東門の外に葬るに、車一乗を以てす。厲公の死せし所以の者は、唯だ徳無くして功烈多く、服する者衆ければなり。
-
国語・晋語六鄢の役、荊晋の軍を圧す。軍吏之を患え、将に謀らんとす。范匄(はんかい)公族より趨(はし)りて之を過ぎて曰く、「灶(かまど)を夷(たいら)げ井を堙(ふさ)がば、退くに非ずして何ぞ」と。范文子戈を執りて之を逐いて曰く、「国の存亡は天命なり、童子何をか知らん。且つ及ばずして言うは姦なり、必ず戮せられん」と。苗賁皇曰く、「善く難を逃るるかな」と。既に荊の師を鄢に退け、将に穀(こく)せんとす。范文子戎馬の前に立ちて曰く、「君は幼弱にして、諸臣は不佞(ふねい)なり、吾何の福ありて以て此に及ぶや。吾之を聞く、『天道は親無し、唯だ徳に是れ授く』と。吾庸(なん)ぞ天の晋に授けて且つ以て楚を勧めざるを知らんや。君と二三臣と其れ之を戒めよ。夫れ徳は福の基なり。徳無くして福隆(さか)んなるは、猶お基無くして墉(かき)を厚くするがごとし、其の壊るるや日無からん」と。
-
国語・晋語六鄢の役、晋人鄭を争わんと欲す。范文子欲せずして曰く、「吾之を聞く、人臣為る者は、能く内睦(むつ)みて後に外を図る。内睦まずして外を図れば、必ず内争有り。盍(なん)ぞ姑(しばら)く睦まんことを謀らざる。其の阜(しゅう)を考訊(こうじん)して以て出でば、則ち怨み靖(やす)んぜん」と。
-
国語・晋語六厲公(れいこう)将に鄭を伐たんとす。范文子欲せずして曰く、「若し吾が意を以てせば、諸侯皆叛かば、則ち晋為(おさ)む可し。唯だ諸侯有り、故に擾擾(じょうじょう)たり。凡そ諸侯は難の本なり。鄭を得ば憂い滋(ますます)長ぜん、焉(いずく)んぞ鄭を用いん」と。郤至(げきし)曰く、「然らば則ち王者は憂い多きか」と。文子曰く、「我王者ならんや。夫れ王者は其の徳を成して、遠人其の方賄(ほうわい)を以て之に帰す、故に憂い無し。今我寡徳にして王者の功を求む、故に憂い多し。子土無くして富まんと欲する者を見るに、楽しまんや」と。
-
『春秋左氏伝』成公十七年 范文子、死を祈る十七年春、王の正月、鄭の子駟晉の虛・滑を侵す。衞の北宮括晉を救ひて鄭を侵し、高氏に至る。夏、五月、鄭の大子髡頑・侯獳、楚に質と為る。楚の公子成・公子寅、鄭を戍る。公尹武公・單襄公及び諸侯に會して鄭を伐ち、戲童より曲洧に至る。晉の范文子鄢陵より反り、其の祝宗をして死を祈らしめて曰く、「君驕侈にして敵に克つ、是れ天其の疾を益すなり。難將に作らんとす。我を愛する者は唯だ我を祝して、我をして速かに死なしめ、難に及ぶ無からしめよ。范氏の福なり」と。六月、戊辰、士燮卒す。乙酉、柯陵に同盟す。戚の盟を尋ぬるなり。楚の子重鄭を救ひ、首止に師す。諸侯還る。齊の慶克聲孟子に通ず。婦人と衣を蒙りて輦に乘り、閎に入る。鮑牽之を見て、以って國武子に告ぐ。武子慶克を召して之に謂ふ。慶克久しく出でずして、夫人に告げて曰く、「國子我を謫む」と。夫人怒る。國子靈公に相として以って會し、高・鮑處守す。還るに及び、將に至らんとするに、門を閉ぢて客を索む。孟子之を訴へて曰く、「高・鮑將に君を納れずして公子角を立てんとす。國子之を知れり」と。
-
『春秋左氏伝』成公十六年 外寧ければ内憂あり五月、晉の師河を濟る。楚の師將に至らんとするを聞き、范文子反らんと欲して曰く、「我偽りて楚を逃れば、以って憂ひを紓ぶ可し。夫れ諸侯を合するは、吾が能くする所に非ざるなり。以って能者に遺さん。我若し群臣輯睦して以って君に事ふれば、多し」と。武子曰く、「不可なり」と。六月、晉・楚鄢陵に遇ふ。范文子戰ふを欲せず。郤至曰く、「韓の戰に、惠公旅を振はず。箕の役に、先軫命を反さず。邲の師に、荀伯復た從はず。皆晉の恥なり。子も亦た先君の事を見たり。今我楚を辟けば、又恥を益さん」と。文子曰く、「吾が先君の亟しば戰ふや故有り。秦・狄・齊・楚皆彊し。力を盡くさずんば、子孫將に弱からんとす。今三彊服せり。敵は楚のみ。唯だ聖人のみ能く外内患ひ無し。聖人に非ざる自りは、外寧ければ必ず内憂有り。盍ぞ楚を釋きて以って外懼と為さざる」と。甲午、晦、楚晨に晉の軍に壓りて陳す。軍吏之を患ふ。范匄趨り進みて曰く、「井を塞ぎ灶を夷らげ、軍中に陳して行首を疏くせよ。晉・楚は唯だ天の授くる所なり。何ぞ患へん」と。文子戈を執りて之を逐ひて曰く、「國の存亡は天なり。童子何をか知らん」と。欒書曰く、「楚の師は輕窕なり。壘を固くして之を待たば、三日にして必ず退かん。退きて之を擊たば、必ず勝を獲ん」と。郤至曰く、「楚に六間有り。失ふ可からざるなり。其の二卿相惡む。王卒舊を以ってす。鄭陳して整はず。蠻軍して陳せず。陳するに晦を違へず。陳に在りて囂し、合して囂を加ふ。各其の後を顧み、鬥心有る莫し。舊は必ずしも良ならず、以って天忌を犯す。我必ず之に克たん」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る