国語 / 斉語
桓公曰:「吾欲南伐,何主?」管子對曰:「以魯為主。反其侵地棠、潛,使海於有蔽,渠弭於有渚,環山於有牢。」桓公曰:「吾欲西伐,何主?」管子對曰:「以衛為主。反其侵地臺、原、姑與漆里,使海於有蔽,渠弭於有渚,環山於有牢。」桓公曰:「吾欲北伐,何主?」管子對曰:「以燕為主。反其侵地柴夫、吠狗,使海於有蔽,渠弭於有渚,環山於有牢。」四鄰大親。既反侵地,正封疆,地南至於鋾陰,西至于濟,北至于河,東至于紀酅,有革車八百乘。擇天下之甚淫亂者而先征之。 即位數年,東南多有淫亂者,萊、莒、徐夷、吳、越,一戰帥服三十一國。遂南征伐楚,濟汝,踰方城,望汶山,使貢絲於周而反。荊州諸侯莫敢不來服。遂北伐山戎,刜令支、斬孤竹而南歸。海濱諸侯莫敢不來服。與諸侯飾牲為載,以約誓于上下庶神,與諸侯戮力同心。西征攘白狄之地,至於西河,方舟設泭,乘桴濟河,至于石枕。懸車束馬,踰太行與辟耳之谿拘夏,西服流沙、西吳。南城於周,反胙于絳。嶽濱諸侯莫敢不來服,而大朝諸侯於陽穀。兵車之屬六,乘車之會三,諸侯甲不解纍,兵不解翳,弢無弓,服無矢。隱武事,行文道,帥諸侯而朝天子。
新字:桓公曰:「吾欲南伐,何主?」管子対曰:「以魯為主。反其侵地棠、潜,使海於有蔽,渠弭於有渚,環山於有牢。」桓公曰:「吾欲西伐,何主?」管子対曰:「以衛為主。反其侵地台、原、姑与漆里,使海於有蔽,渠弭於有渚,環山於有牢。」桓公曰:「吾欲北伐,何主?」管子対曰:「以燕為主。反其侵地柴夫、吠狗,使海於有蔽,渠弭於有渚,環山於有牢。」四鄰大親。既反侵地,正封疆,地南至於鋾陰,西至于済,北至于河,東至于紀酅,有革車八百乗。択天下之甚淫乱者而先征之。 即位数年,東南多有淫乱者,萊、莒、徐夷、呉、越,一戦帥服三十一国。遂南征伐楚,済汝,踰方城,望汶山,使貢糸於周而反。荊州諸侯莫敢不来服。遂北伐山戎,刜令支、斬孤竹而南帰。海浜諸侯莫敢不来服。与諸侯飾牲為載,以約誓于上下庶神,与諸侯戮力同心。西征攘白狄之地,至於西河,方舟設泭,乗桴済河,至于石枕。懸車束馬,踰太行与辟耳之谿拘夏,西服流沙、西呉。南城於周,反胙于絳。嶽浜諸侯莫敢不来服,而大朝諸侯於陽穀。兵車之属六,乗車之会三,諸侯甲不解纍,兵不解翳,弢無弓,服無矢。隠武事,行文道,帥諸侯而朝天子。
書き下し
桓公曰く、「吾南伐せんと欲す。何をか主とせん」と。管子対えて曰く、「魯を以て主と為さん。其の侵地の棠(とう)・潜(せん)を反し、海をして蔽(おお)い有らしめ、渠弭(きょび)をして渚有らしめ、環山をして牢有らしめん」と。桓公曰く、「吾西伐せんと欲す。何をか主とせん」と。管子対えて曰く、「衛を以て主と為さん。其の侵地の台・原・姑と漆里とを反し、海をして蔽い有らしめ、渠弭をして渚有らしめ、環山をして牢有らしめん」と。桓公曰く、「吾北伐せんと欲す。何をか主とせん」と。管子対えて曰く、「燕を以て主と為さん。其の侵地の柴夫(さいふ)・吠狗(はいく)を反し、海をして蔽い有らしめ、渠弭をして渚有らしめ、環山をして牢有らしめん」と。四鄰大いに親しむ。既に侵地を反し、封疆を正し、地は南は鋾陰(とういん)に至り、西は済に至り、北は河に至り、東は紀酅(きけい)に至り、革車八百乗有り。天下の甚だ淫乱なる者を択びて先ず之を征す。 位に即(つ)くこと数年、東南に淫乱なる者多く有り。萊・莒・徐夷・呉・越、一戦にして三十一国を帥服す。遂に南征して楚を伐ち、汝を済り、方城を踰(こ)え、汶山を望み、糸を周に貢がしめて反る。荊州の諸侯敢えて来服せざる莫し。遂に北のかた山戎を伐ち、令支(れいし)を刜(う)ち、孤竹を斬りて南に帰る。海浜の諸侯敢えて来服せざる莫し。諸侯と牲を飾りて載(さい)を為し、以て上下の庶神に約誓し、諸侯と力を戮(あわ)せ心を同じくす。西征して白狄の地を攘(はら)い、西河に至り、舟を方(なら)べ泭(ふ)を設け、桴(いかだ)に乗りて河を済り、石枕に至る。車を懸け馬を束ね、太行と辟耳(へきじ)の谿拘夏(けいこうか)とを踰え、西のかた流沙・西呉を服す。南のかた周に城き、胙(そ)を絳に反す。嶽浜の諸侯敢えて来服せざる莫くして、大いに諸侯を陽穀に朝せしむ。兵車の属六たび、乗車の会三たび、諸侯甲は纍(るい)を解かず、兵は翳(えい)を解かず、弢(とう)に弓無く、服に矢無し。武事を隠し、文道を行い、諸侯を帥いて天子に朝す。
現代語訳
桓公が言った。「私は南を討ちたいが、どの国を拠り所とすべきか。」管子は答えた。「魯を拠り所としましょう。奪い取った魯の土地、棠と潜を返し、海沿いにも、渠弭(川の名)にも、山々にも、それぞれ守りの拠点を持たせるのです。」桓公が「西を討ちたいが、どの国を拠り所とすべきか」と問うと、管子は答えた。「衛を拠り所としましょう。奪い取った衛の土地、台・原・姑と漆里を返し、海沿いにも、渠弭にも、山々にも、それぞれ守りの拠点を持たせるのです。」桓公が「北を討ちたいが、どの国を拠り所とすべきか」と問うと、管子は答えた。「燕を拠り所としましょう。奪い取った燕の土地、柴夫と吠狗を返し、海沿いにも、渠弭にも、山々にも、それぞれ守りの拠点を持たせるのです。」こうして四方の隣国は大いに斉に親しんだ。奪った土地を返し、境界を正すと、斉の領域は南は鋾陰まで、西は済水まで、北は黄河まで、東は紀の酅の地まで及び、兵車は八百乗を数えた。そして天下で特に乱れている国を選んで、まずそこを討った。 桓公が即位して数年、東南には乱れた国が多かった。萊・莒・徐夷・呉・越など、一度の戦いで三十一国を従えた。さらに南に進んで楚を討ち、汝水を渡り、方城山(楚の北の長城)を越え、汶山を遠く望み、楚に命じて周王室に絹糸を貢がせて帰還した。荊州(楚の地方)の諸侯で服従しに来ない者はなかった。さらに北の山戎を討ち、令支を撃ち、孤竹を斬り従えて南に帰った。海辺の諸侯で服従しに来ない者はなかった。諸侯とともに犠牲の家畜を飾って盟約の書を載せ、天地の神々に誓いを立て、諸侯と力を合わせ心を一つにした。西に進んで白狄の地を払い、西河に至り、舟を並べ筏を組み、筏に乗って黄河を渡って石枕に至った。車を吊り下げ馬を縛って険しい道を運び、太行山と辟耳の谷の拘夏を越え、西の流沙・西呉を従えた。南では周の都に城を築いてやり、絳(晋の都)で君位を回復させた。山や海のほとりの諸侯で服従しに来ない者はなく、陽穀で諸侯を大いに集めて会した。兵車を連ねた会合は六度、兵を伴わない乗車の会合は三度に及んだ。そのとき諸侯の鎧は袋から出されず、武器は覆いをかけたまま、弓袋に弓はなく、矢筒に矢はなかった。武の事を表に出さず、文の道を行い、諸侯を率いて周の天子に朝見した。
解説
この章句が説くこと
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国語・斉語桓公天下の諸侯を憂う。魯に夫人・慶父(けいほ)の乱有り、二君弑せられて死し、国絶えて嗣無し。桓公之を聞き、高子をして之を存せしむ。 狄人邢(けい)を攻む。桓公夷儀(いぎ)に築きて以て之を封ず。男女淫せず、牛馬選び具う。狄人衛を攻む。衛人出でて曹に廬(いおり)す。桓公楚丘に城きて以て之を封ず。其の畜散じて育する無し。桓公之に繋馬三百を与う。天下の諸侯仁と称す。是に於いて天下の諸侯、桓公の己が為に動くに非ざるを知るなり。是の故に諸侯之に帰す。 桓公諸侯の己に帰するを知る、故に其の幣を軽くして其の礼を重くせしむ。故に天下の諸侯、罷馬(ひば)以て幣と為し、縷綦(るき)以て奉と為し、鹿皮四个(こ)。諸侯の使い、櫜(ふくろ)を垂れて入り、稛載(こんさい)して帰る。故に之を拘するに利を以てし、之を結ぶに信を以てし、之に示すに武を以てす。故に天下の小国の諸侯、既に桓公に許して、之に敢えて背く莫く、其の利に就きて其の仁を信じ、其の武を畏る。桓公天下の諸侯の多く己に与するを知る、故に又大いに忠を施す。為に動くべき者は之が為に動き、為に謀るべき者は之が為に謀り、譚・遂に軍して有せず。諸侯寛と称す。斉国の魚塩を東萊に通じ、関市をして幾(しら)べて征せざらしめ、以て諸侯の利と為す。諸侯広と称す。葵茲(きじ)・晏・負夏・領釜丘に築きて、以て戎・狄の地を禦ぐ、諸侯に暴を禁ずる所以なり。五鹿・中牟・蓋与・牡丘に築きて、以て諸夏の地を衛る、権を中国に示す所以なり。教え大いに成り、三革を定め、五刃を隠し、朝服して以て河を済りて怵惕(じゅってき)する無し。文事勝てり。是の故に大国は慚媿(ざんき)し、小国は附協す。唯だ能く管夷吾・甯戚(ねいせき)・隰朋(しゅうほう)・賓胥無(ひんしょむ)・鮑叔牙の属を用いて伯功立つ。
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『管子』小匡四鄰大いに親しむ。既に其の侵地を反し、其の封疆を正す、地は南は岱陰に至り、西は濟に至り、北は海に至り、東は紀隨に至る、地は方三百六十里。三歳にして治定まり、四歳にして教成り、五歳にして兵出づ、教士三萬人、革車八百乘有り。諸侯多く沈亂して、天子に服せず、是に於いてか桓公東のかた徐州を救い、吳を分かつこと半ば、魯の蔡陵を存し、越の地を割く。南は宋・鄭に據り、楚を征伐し、汝水を濟り、方地を踰え、文山を望み、絲を周室に貢せしめ、成周胙を隆嶽に反し、荊州の諸侯、來たり服せざる莫し。中は晉公を救い、狄王を禽にし、胡貉を敗り、屠何を破りて、騎寇始めて服す。北のかた山戎を伐ち、泠支を制し、孤竹を斬りて、九夷始めて聽く。海濱の諸侯、來たり服せざる莫し。西のかた征し、白狄の地を攘い、遂に西河に至る。舟を方べ柎を投じ、桴に乘りて河を濟る。石沈に至り、車を縣け馬を束ね、大行を踰ゆ。卑耳の貉と、秦夏を拘う。西のかた流沙西虞を服して、秦戎始めて從う。故に兵一たび出でて大功十二。故に東夷・西戎・南蠻・北狄・中諸侯、國として賓服せざる莫し。
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史記 斉太公世家燕の荘公遂に桓公を送りて斉の境に入る。桓公曰く、「天子に非ずんば、諸侯相送るに境を出でず。吾以て燕に無礼なる可からず」と。是に於て溝を分ちて燕君の至る所を割きて燕に与へ、燕君に命じて復た召公の政を修め、貢を周に納れしむること、成・康の時の如し。諸侯之を聞き、皆斉に従ふ。二十七年、魯の湣公の母を哀姜と曰ふ。桓公の女弟なり。哀姜、魯の公子慶父に淫す。慶父、湣公を弑す。哀姜、慶父を立てんと欲す。魯人更めて釐公を立つ。桓公、哀姜を召して之を殺す。二十八年、衛の文公に狄の乱有り、急を斉に告ぐ。斉、諸侯を率ゐて楚丘に城きて衛君を立つ。二十九年、桓公、夫人蔡姫と船中に戯る。蔡姫水に習ひ、公を蕩かす。公懼れて之を止むるも、止めず。船を出でて怒り、蔡姫を帰すも、絶たず。蔡も亦怒り、其の女を嫁す。桓公聞きて怒り、師を興して往きて伐つ。三十年春、斉の桓公、諸侯を率ゐて蔡を伐つ。蔡潰ゆ。遂に楚を伐つ。楚の成王、師を興して問ひて曰く、「何の故に吾が地に渉るや」と。管仲対へて曰く、「昔、召康公、我が先君太公に命じて曰く、『五侯九伯、若実に之を征し、以て周室を夾輔せよ』と。我が先君に履を賜ふ、東は海に至り、西は河に至り、南は穆陵に至り、北は無棣に至る。楚の貢の包茅入らず、王の祭具はらず。是を以て来り責む。昭王南征して復らず。是を以て来り問ふ」と。楚王曰く、「貢の入らざるは、之有り、寡人の罪なり。敢て共せざらんや。昭王の出でて復らざるは、君其れ之を水浜に問へ」と。斉の師進みて陘に次る。夏、楚王、屈完をして兵を将ゐて斉を捍がしむ。斉の師退きて召陵に次る。桓公、其の衆を以て屈完に矜る。屈完曰く、「君、道を以てせば則ち可なり。若し不ずんば、則ち楚は方城以て城と為し、江・漢以て溝と為す。君安んぞ能く進まんや」と。乃ち屈完と盟ひて去る。陳を過ぐ。陳の袁濤塗、斉を詐り、東方に出でしむ。覚る。秋、斉、陳を伐つ。
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『管子』小匡公曰く、「外内定まれり、可なるか」と。管子對えて曰く、「未だ可ならず、鄰國未だ吾に親しまざるなり」と。公曰く、「之に親しむは奈何」と。管子對えて曰く、「吾が疆場を審らかにし、其の侵地を反し、其の封界を正し、其の貨財を受くる毋くして、美しく皮幣を為り、以て極めて諸侯に聘頫し、以て四鄰を安んぜば、則ち鄰國我に親しまん」と。桓公曰く、「甲兵大いに足れり、吾南伐せんと欲す、何をか主とせん」と。管子對えて曰く、「魯を以て主と為せ。其の侵地常・潛を反し、海に於いて渠彌有らしめ、河陼に於いてし、山を綱するに牢有らしめよ」と。桓公曰く、「吾西伐せんと欲す、何をか主とせん」と。管子對えて曰く、「衛を以て主と為せ。其の侵地吉臺・原姑と桼里とを反し、海に於いて弊有らしめ、渠彌は陼有るに於いてし、山を綱するに牢有らしめよ」と。桓公曰く、「吾北伐せんと欲す、何をか主とせん」と。管子對えて曰く、「燕を以て主と為せ。其の侵地柴夫・吠狗を反し、海に於いて弊有らしめ、渠彌は陼有るに於いてし、山を綱するに牢有らしめよ」と。
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史記 斉太公世家桓公の立つや、兵を発して魯を攻め、心に管仲を殺さんと欲す。鮑叔牙曰く、「臣幸ひに君に従ふを得て、君竟に以て立つ。君の尊き、臣以て君を増す無し。君将に斉を治めんとせば、即ち高傒と叔牙とにて足れり。君且に覇王たらんと欲せば、管夷吾に非ずんば不可なり。夷吾の居る所の国は国重し、失ふ可からざるなり」と。是に於て桓公之に従ふ。乃ち詳りて管仲を召して心を甘んぜんと欲すと為し、実は之を用ひんと欲す。管仲之を知り、故に往かんことを請ふ。鮑叔牙、管仲を迎へ受け、堂阜に及びて桎梏を脱し、斎祓して桓公に見ゆ。桓公厚く礼して以て大夫と為し、政を任ず。桓公既に管仲を得て、鮑叔・隰朋・高傒と斉国の政を修め、五家の兵を連ね、軽重・魚塩の利を設けて、以て貧窮を贍し、賢能に禄す。斉人皆説ぶ。二年、郯を伐ちて滅す。郯子、莒に奔る。初め、桓公の亡げし時、郯を過ぐ。郯無礼なり、故に之を伐つ。五年、魯を伐つ。魯の将の師敗る。魯の荘公、遂邑を献じて以て平がんことを請ふ。桓公許し、魯と柯に会して盟ふ。魯将に盟はんとするに、曹沬、匕首を以て桓公を壇上に劫かして曰く、「魯の侵地を反せ」と。桓公之を許す。已にして曹沬、匕首を去り、北面して臣の位に就く。桓公後に悔い、魯に地を与ふること無くして曹沬を殺さんと欲す。管仲曰く、「夫れ劫かされて之を許し、而して信に倍きて之を殺すは、一小快に愈るのみ。而して信を諸侯に棄て、天下の援を失ふ。不可なり」と。是に於て遂に曹沬の三たび敗れて亡ひし所の地を魯に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉を信じて附かんと欲す。七年、諸侯、桓公に甄に会す。而して桓公是に於て始めて覇たり。十四年、陳の厲公の子完、号は敬仲、来りて斉に奔る。斉の桓公以て卿と為さんと欲す。譲る。是に於て以て工正と為す。田成子常の祖なり。二十三年、山戎、燕を伐つ。燕、急を斉に告ぐ。斉の桓公、燕を救ひ、遂に山戎を伐ち、孤竹に至りて還る。
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史記 斉太公世家是の歳、晋、太子申生を殺す。三十五年夏、諸侯に葵丘に会す。周の襄王、宰孔をして桓公に文武の胙・彤弓矢・大路を賜ひ、拝する無からしめんとす。桓公之を許さんと欲す。管仲曰く「不可なり」と。乃ち下拝して賜を受く。秋、復た諸侯に葵丘に会す。益々驕色有り。周、宰孔をして会せしむ。諸侯頗る叛く者有り。晋侯病み、後れ、宰孔に遇ふ。宰孔曰く、「斉侯驕れり。弟ら行く無かれ」と。之に従ふ。是の歳、晋の献公卒す。里克、奚斉・卓子を殺す。秦の穆公、夫人を以て公子夷吾を入れて晋君と為す。桓公是に於て晋の乱を討ち、高梁に至り、隰朋をして晋君を立てしめて還る。是の時、周室微にして、唯斉・楚・秦・晋のみ彊たり。晋は初め会に与るも、献公死して国内乱る。秦の穆公は辟遠にして、中国の会盟に与らず。楚の成王は初めて荊蛮を収めて之を有し、夷狄もて自ら置く。唯独り斉のみ中国の会盟を為す。而して桓公能く其の徳を宣ぶ、故に諸侯賓会す。是に於て桓公称して曰く、「寡人南のかた伐ちて召陵に至り、熊山を望む。北のかた山戎・離枝・孤竹を伐つ。西のかた大夏を伐ち、流沙を渉る。馬を束ね車を懸けて太行に登り、卑耳山に至りて還る。諸侯寡人に違ふ莫し。寡人、兵車の会三たび、乗車の会六たび、九たび諸侯を合せ、天下を一匡す。昔、三代の命を受くるも、何を以てか此に異なる有らんや。吾、泰山に封じ、梁父に禅せんと欲す」と。管仲固く諫むるも、聴かず。乃ち桓公に説くに遠方の珍怪の物至りて乃ち封ずるを得るを以てす。桓公乃ち止む。三十八年、周の襄王の弟帯、戎・翟と合謀して周を伐つ。斉、管仲をして戎を周に平がしむ。周、上卿の礼を以て管仲を礼せんと欲す。管仲頓首して曰く、「臣は陪臣なり、安んぞ敢てせん」と。三たび譲りて、乃ち下卿の礼を受けて以て見ゆ。三十九年、周の襄王の弟帯、来りて斉に奔る。斉、仲孫をして王に請ひ、帯の為に謝せしむ。襄王怒りて聴かず。
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