国語 / 斉語
比至,三釁、三浴之。桓公親逆之于郊,而與之坐而問焉,曰:「昔吾先君襄公築臺以為高位,田、狩、罼、弋,不聽國政,卑聖侮士,而唯女是崇。九妃、六嬪,陳妾數百,食必粱肉,衣必文繡。戎士凍餒,戎車待遊車之裂,戎士待陳妾之餘。優笑在前,賢材在後。是以國家不日引,不月長。恐宗廟之不掃除,社稷之不血食,敢問為此若何?」管子對曰:「昔吾先王昭王、穆王,世法文、武遠績以成名,合群叟,比校民之有道者,設象以為民紀,式權以相應,比綴以度,竱本肇末,勸之以賞賜,糾之以刑罰,班序顛毛,以為民紀統。」桓公曰:「為之若何?」管子對曰:「昔者,聖王之治天下也,參其國而伍其鄙,定民之居,成民之事,陵為之終,而慎用其六柄焉。」 桓公曰:「成民之事若何?」管子對曰:「四民者,勿使雜處,雜處則其言哤,其事易。」公曰:「處士、農、工、商若何?」管子對曰:「昔聖王之處士也,使就閒燕;處工,就官府;處商,就市井;處農,就田野。
新字:比至,三釁、三浴之。桓公親逆之于郊,而与之坐而問焉,曰:「昔吾先君襄公築台以為高位,田、狩、罼、弋,不聴国政,卑聖侮士,而唯女是崇。九妃、六嬪,陳妾数百,食必粱肉,衣必文繍。戎士凍餒,戎車待遊車之裂,戎士待陳妾之余。優笑在前,賢材在後。是以国家不日引,不月長。恐宗廟之不掃除,社稷之不血食,敢問為此若何?」管子対曰:「昔吾先王昭王、穆王,世法文、武遠績以成名,合群叟,比校民之有道者,設象以為民紀,式権以相応,比綴以度,竱本肇末,勧之以賞賜,糾之以刑罰,班序顛毛,以為民紀統。」桓公曰:「為之若何?」管子対曰:「昔者,聖王之治天下也,参其国而伍其鄙,定民之居,成民之事,陵為之終,而慎用其六柄焉。」 桓公曰:「成民之事若何?」管子対曰:「四民者,勿使雑処,雑処則其言哤,其事易。」公曰:「処士、農、工、商若何?」管子対曰:「昔聖王之処士也,使就閒燕;処工,就官府;処商,就市井;処農,就田野。
書き下し
至るに比(およ)びて、三たび釁(きん)し、三たび之を浴せしむ。桓公親ら之を郊に逆(むか)え、之と坐して問いて曰く、「昔吾が先君襄公、台を築きて以て高位と為し、田・狩・罼(ひつ)・弋(よく)して国政を聴かず、聖を卑しみ士を侮りて、唯だ女を是れ崇(たっと)ぶ。九妃・六嬪、陳妾数百、食は必ず粱肉(りょうにく)、衣は必ず文繡(ぶんしゅう)。戎士は凍餒し、戎車は遊車の裂(き)れを待ち、戎士は陳妾の余りを待つ。優笑は前に在りて、賢材は後に在り。是を以て国家日に引かず、月に長ぜず。宗廟の掃除せられず、社稷の血食せられざるを恐る。敢えて問う、此を為すこと若何」と。管子対えて曰く、「昔吾が先王昭王・穆王、世々文・武の遠績に法(のっと)りて以て名を成す。群叟(ぐんそう)を合わせ、民の道有る者を比校し、象を設けて以て民の紀と為し、式権以て相応じ、比綴するに度を以てし、本を竱(ととの)え末を肇(ただ)し、之を勧むるに賞賜を以てし、之を糾すに刑罰を以てし、顛毛(てんもう)を班序して、以て民の紀統と為す」と。桓公曰く、「之を為すこと若何」と。管子対えて曰く、「昔者、聖王の天下を治むるや、其の国を参にして其の鄙(ひ)を伍にし、民の居を定め、民の事を成し、陵をば之が終わりと為して、慎みて其の六柄を用う」と。 桓公曰く、「民の事を成すこと若何」と。管子対えて曰く、「四民は、雑処せしむる勿かれ。雑処すれば則ち其の言哤(みだ)れ、其の事易(かわ)る」と。公曰く、「士・農・工・商を処(お)くこと若何」と。管子対えて曰く、「昔聖王の士を処くや、閑燕(かんえん)に就かしむ。工を処くには、官府に就かしむ。商を処くには、市井に就かしむ。農を処くには、田野に就かしむ。
現代語訳
管仲が斉に着くと、桓公は三度その身に香を塗らせ、三度湯浴みをさせた。桓公はみずから都の郊外まで出迎え、ともに座って問うた。「かつてわが先君の襄公は、高い台を築いて自分の居場所とし、狩りや網猟、いぐるみ猟にふけって国政を聴かず、聖人を卑しめ士を侮り、ただ女ばかりを大事にした。九人の妃と六人の嬪、並び仕える妾は数百人、食事は必ず上等の穀物と肉、衣服は必ず刺繍のあるものだった。一方で兵士は凍え飢え、兵車は遊覧の車の使い古しが回ってくるのを待ち、兵士は妾たちの食べ残しを待つありさまだった。道化や芸人が前に出て、賢く有能な者は後ろに退けられた。そのため国は日ごとに伸びることも、月ごとに育つこともなかった。私は宗廟が掃き清められず、国の社稷に犠牲が供えられなくなる(国が滅ぶ)ことを恐れている。あえて問う、これをどうすればよいか。」管子は答えた。「昔、わが周の先王である昭王・穆王は、代々文王・武王の遠大な功業を手本として名を成しました。長老たちを集め、民のうち道をわきまえた者を比べ調べ、法の象(かたち)を掲げて民の規範とし、はかりの目盛りのように互いに釣り合わせ、法度によって組み立て、根本を整えて末端を正し、賞与によって励まし、刑罰によって正し、髪の白さ(年齢)によって序列をつけて、これを民の綱紀としたのです。」桓公が「それをどう行えばよいか」と言うと、管子は答えた。「昔、聖王が天下を治めたときは、都を三つに分け、郊外の地を五つに分け、民の住まいを定め、民の仕事を成り立たせ、陵(丘)を葬地として、六つの権柄(生かす・殺す・貴くする・賤しくする・富ます・貧しくする)を慎んで用いました。」 桓公が「民の仕事を成り立たせるとはどういうことか」と問うと、管子は答えた。「士・農・工・商の四民は、入り混じって住まわせてはなりません。混ざって住めば言うことが乱れ、仕事が移ろいます。」公が「では士・農・工・商をどこに住まわせるのか」と問うと、管子は答えた。「昔、聖王は士を住まわせるには静かな所につかせ、工人を住まわせるには官の工房につかせ、商人を住まわせるには市場につかせ、農民を住まわせるには田野につかせました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』南面第十八人主は、明は能く治を知り、厳は必ず之を行ふ。故に民に払ると雖も、必ず其の治を立つ。説は商君の内外して鉄殳し、盾を重ねて豫め戒むるに在り。故に郭偃の始めて治むるや、文公に官卒有り。管仲の始めて治むるや、桓公に武車有り。民を戒むるの備へなり。是を以て贛窳墯の民に遇へば、小費に苦しみて大利を忘る。故に夤虎阿謗を受く。而して小変に𨌑して長便を失ふ。故に鄒賈旅を載するを非とす。乱に狎習して治に容る。故に鄭人帰ること能はず。
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説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」
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論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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説苑・指武齊の桓公の時、霖雨十旬。桓公漅陵を伐たんと欲するも、其の城の雨に值うや、未だ合わず。管仲・隰朋卒徒を以て門に造る、桓公曰く、「徒眾何を以て為すか」と。管仲對えて曰く、「臣之を聞く、雨あれば則ち事有りと。夫れ漅陵雨に能わず、臣請う之を攻めん」と。公曰く、「善し」と。遂に師を興して之を伐つ。既に至れば、大卒外に間して士內に在り、桓公曰く、「其れ聖人有るか」と。乃ち旗を還して之を去る。
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呂氏春秋・贊能②管子は束縛せられて魯に在り。桓公、鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔曰く、「吾が君、霸王たらんと欲すれば、則ち管夷吾、彼に在り。臣は若かざるなり。」桓公曰く、「夷吾は寡人の賊なり。我を射し者なり。不可なり。」鮑叔曰く、「夷吾は其の君の為に人を射し者なり。君若し得て之を臣とせば、則ち彼も亦た將に君の為に人を射んとせん。」桓公聽かず、強いて鮑叔を相とせんとす。固く辭して相を讓る,桓公果して之を聽く。是に於てか人をして魯に告げしめて曰く、「管夷吾は寡人の讎なり。願わくば之を得て親ら手を加えん。」魯君許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹し、其の目を膠し、之を盛るに鴟夷を以てし、之を車中に置かしむ。齊の境に至るや、桓公、人をして朝車を以て之を迎え、祓うに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、生かして之と國に如かしむ。有司に命じて廟を除わしめ、筵几して之に薦めて曰く、「孤の夷吾の言を聞きし自り、目は益々明らかに、耳は益々聰なり。孤敢て專らにせず。敢て以て先君に告ぐ。」因りて顧みて管子に命じて曰く、「夷吾、予を佐けよ。」管仲還り走り、再拜稽首して、令を受けて出づ。管子、齊國を治め、事を舉げて功有れば、桓公必ず先づ鮑叔を賞して曰く、「齊國をして管子を得しめし者は、鮑叔なり。」桓公は賞を行うことを知れりと謂う可し。凡そ賞を行うには其の本を欲す。本なれば則ち過ち由りて生ずること無ければなり。
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