古事記 / 中巻・崇神天皇の即位と御子たち
天皇。御年陸拾參歲。御陵在伊邪河之坂上也。御眞木入日子印惠命(崇神)。坐師木水垣宮。治天下也。此天皇。娶木國造。名荒河刀辨之女。(刀辨二字以音)遠津年魚目目微比賣。生御子。豐木入日子命。次豐鉏入日賣命。二柱。又娶尾張連之祖。意富阿麻比賣。生御子。大入杵命。次八坂之入日子命。次沼名木之入日賣命。次十市之入日賣命。四柱。又娶大毘古命(孝元)之女。御眞津比賣命。生御子。伊玖米入日子伊沙知命(垂仁)。(伊久米伊沙知六字以音)次伊邪能眞若命。(自伊至能以音)次國片比賣命。次千千都久和(此三字以音)比賣命。次伊賀比賣命。次倭日子命。六柱。此天皇之御子等。幷十二柱。男王七。女王五也。
新字:天皇。御年陸拾参歳。御陵在伊邪河之坂上也。御真木入日子印恵命(崇神)。坐師木水垣宮。治天下也。此天皇。娶木国造。名荒河刀弁之女。(刀弁二字以音)遠津年魚目目微比売。生御子。豊木入日子命。次豊鉏入日売命。二柱。又娶尾張連之祖。意富阿麻比売。生御子。大入杵命。次八坂之入日子命。次沼名木之入日売命。次十市之入日売命。四柱。又娶大毘古命(孝元)之女。御真津比売命。生御子。伊玖米入日子伊沙知命(垂仁)。(伊久米伊沙知六字以音)次伊邪能真若命。(自伊至能以音)次国片比売命。次千千都久和(此三字以音)比売命。次伊賀比売命。次倭日子命。六柱。此天皇之御子等。幷十二柱。男王七。女王五也。
書き下し
天皇、御年六十三歳。御陵は伊邪河の坂の上にあり。御真木入日子印恵命(崇神)、師木の水垣宮に坐しまして、天の下を治らしめしき。この天皇、木国造、名は荒河刀弁(刀弁の二字は音を以ゐよ)の女、遠津年魚目目微比売を娶して、御子、豊木入日子命、次に豊鉏入日売命、二柱を生みたまひき。また尾張連の祖、意富阿麻比売を娶して、御子、大入杵命、次に八坂之入日子命、次に沼名木之入日売命、次に十市之入日売命、四柱を生みたまひき。また大毘古命(孝元)の女、御真津比売命を娶して、御子、伊玖米入日子伊沙知命(垂仁)(伊久米伊沙知の六字は音を以ゐよ)、次に伊邪能真若命(伊より能に至るまで音を以ゐよ)、次に国片比売命、次に千千都久和(此の三字は音を以ゐよ)比売命、次に伊賀比売命、次に倭日子命、六柱を生みたまひき。この天皇の御子等、併せて十二柱。男王七、女王五なり。
現代語訳
開化天皇は御年六十三歳で、御陵は伊邪河の坂の上にあります。御真木入日子印恵命(崇神天皇)は師木の水垣宮にいて天下を治めました。この天皇は木国造の荒河刀弁の娘、遠津年魚目目微比売を妻とし、御子として豊木入日子命、次に豊鉏入日売命の二柱を生みました。また尾張連の祖先の意富阿麻比売を妻とし、御子として大入杵命、次に八坂之入日子命、次に沼名木之入日売命、次に十市之入日売命の四柱を生みました。また大毘古命の娘の御真津比売命を妻とし、御子として伊玖米入日子伊沙知命(垂仁天皇)、次に伊邪能真若命、次に国片比売命、次に千千都久和比売命、次に伊賀比売命、次に倭日子命の六柱を生みました。この天皇の御子は合わせて十二柱で、男の王が七人、女の王が五人です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』中巻・崇神崩御と垂仁の系譜また、この御世に、依網池を作り、また軽の酒折池を作りき。天皇、御歳一百六十八歳(戊寅の年の十二月に崩りたまひき)。御陵は山辺の道の勾の岡の上(城上郡)にあり。伊久米伊理毘古伊佐知命(垂仁)、師木の玉垣宮(城上郡)に坐しまして、天の下を治らしめしき。この天皇、沙本毘古命の妹、佐波遅比売命を娶して、御子品牟都和気命(一柱)を生みたまひき。また旦波比古多多須美知能宇斯王(開化皇子日子坐王の子)の女、氷羽州比売命を娶して、御子印色之入日子命(印色の二字は音を以ゐよ)、次に大帯日子淤斯呂和気命(衍)(淤より気に至る五字は音を以ゐよ)、次に大中津日子命、次に倭比売命、次に若木入日子命(五柱)を生みたまひき。また、その氷羽州比売命の弟、沼羽田之入毘売を娶して、御子沼帯別命、次に伊賀帯日子命(二柱)を生みたまひき。また、その沼羽田之入日売命の弟、阿邪美能伊理毘売命(この女王の名は音を以ゐよ)を娶して、御子伊許婆夜和気命、
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『古事記』中巻・開化天皇の系譜この天皇、御年五十七歳。御陵は剣池の中岡の上にあり。若倭根子日子大毘毘命(開化)、春日の伊邪河宮に坐しまして、天の下を治らしめしき。この天皇、旦波の大県主、名は由碁理の女、竹野比売を娶して、御子、比古由牟須美命(この王の名は音を以ゐよ)、一柱を生みたまひき。また庶母伊迦賀色許売命を娶して、御子、御真木入日子印恵命(印恵の二字は音を以ゐよ)、次に御真津比売命、二柱を生みたまひき。また丸邇臣の祖、日子国意祁都命の妹、意祁都比売命(意祁都の三字は音を以ゐよ)を娶して、御子、日子坐王、一柱を生みたまひき。また葛城の垂見宿禰の女、鵜比売を娶して、御子、建豊波豆羅和気王(波より下の五字は音を以ゐよ)、一柱を生みたまひき。この天皇の御子等、併せて五柱。(男王四、女王一。)かれ御真木入日子印恵命(崇神)は天の下を治らしめしき。その兄比古由牟須美王の子、大筒木垂根王、
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『古事記』中巻・日子坐王の子孫(一)次に讃岐垂根王、二王。この二王の女、五柱坐しき。次に日子坐王、山代の荏名津比売、亦の名は苅幡戸弁(此の一字は音を以ゐよ)を娶して、子、大俣王、次に小俣王、次に志夫美宿禰王、三柱を生みたまひき。また春日建国勝戸売の女、名は沙本之大闇見戸売を娶して、子、沙本毘古王、次に袁邪本王、次に沙本毘売命、亦の名は佐波遅比売命(この沙本毘売命は、伊久米天皇(垂仁)の后と為る。沙本毘古より以下の三王の名は皆音を以ゐよ)、次に室毘古王、四柱を生みたまひき。また近淡海の御上の祝が以ち伊都玖(此の三字は音を以ゐよ)天之御影神の女、息長水依比売を娶して、子、丹波比古多多須美知能宇斯王(この王の名は音を以ゐよ)、次に水穂真若王、次に神大根王、亦の名は八瓜入日子王、次に水穂五百依比売、次に御井津比売、五柱を生みたまひき。また、その母の弟袁祁都比売命を娶して、子、山代之大筒木真若王、次に比古意須王、
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『古事記』中巻・垂仁の系譜と池づくり次に阿邪美都比売命(二柱)(この二王の名は音を以ゐよ)を生みたまひき。また大筒木垂根王(開化皇子比古由牟須美命の御子)の女、迦具夜比売命を娶して、御子袁邪弁王(一柱)を生みたまひき。また山代大国(字【拾/治】郡大【国/阿】郡)の淵の女、苅羽田刀弁(此の二字は音を以ゐよ)を娶して、御子落別王、次に五十日帯日子王、次に伊登志別王(伊登志の三字は音を以ゐよ)を生みたまひき。また、その大国の淵の女、弟苅羽田刀弁を娶して、御子石衝別王、次に石衝毘売命、亦の名は布多遅能伊理毘売命(二柱)を生みたまひき。おほよそこの天皇の御子等、十六王(男王十三、女王三)。かれ大帯日子淤斯呂和気命(衍)は天の下を治らしめしき。(御身長一丈二寸、御脛長四尺一寸なり。)次に印色入日子命は、血沼池(和泉日根郡)を作り、また狭山池(河内丹比郡)を作り、また日下の高津池を作りき。
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『神皇正統記』巻二 第十代 崇神天皇第十代、崇神天皇は開化第二の子。御母伊香色謎姫、太綜麻杵の命の女也。甲申の歳即位。大和の磯城の瑞籬の宮にまします。此御時神代をさる事、世は十つぎ、年は六百余になりぬ。やうやく神威をおそれ給て、即位六年己丑年神代の鏡造の石凝姥の神のはつこをめして鏡をうつし鋳せしめ、天目一箇の神のはつこをして剣をつくらしむ。大和宇陀の郡にして、此両種をうつしあらためられて、護身の璽として同殿に安置す。神代よりの宝鏡および霊剣をば皇女豊鋤入姫の命につけて、大和の笠縫の邑と云所に神籬をたてゝあがめ奉らる。これより神宮・皇居各別になれりき。其後太神のをしへありて、豊鋤入姫の命、神体を頂戴て所々をめぐり給けり。十年の秋、大彦命を北陸に遣し、武渟川別の命を東海に、吉備津彦命を西道に、丹波の道主の命を丹波に遣す。ともに印綬を給て将軍とす。天皇の叔父武埴安彦の命、朝廷をかたぶけんとはかりければ、将軍等を止て、まづ追討しつ。冬十月に将軍発路す。十一年の夏、四道の将軍戎夷を平ぬるよし復命す。六十五年秋任那の国、使をさして御つきをたてまつる。天皇天下を治給こと六十八年。百二十歳おましましき。
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『古事記』中巻・垂仁の御子と沙本毘古また鳥取(和泉日根郡)の河上宮に坐しまして、横刀一千口を作らしめき。これを石上神宮に奉納めき。すなはちその宮に坐しまして、河上部を定めたまひき。次に大中津日子命は、(山辺(大和郡名)の別、三枝の別、稲木の別、阿太の別、尾張国の三野(中島郡)別、吉備の石无別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛島君、牟礼の別らの祖なり。)次に倭比売命は、(伊勢大神宮を拝き祭りたまひき。)次に伊許婆夜和気王は、(沙本の穴太部の別の祖なり。)次に阿邪美都比売命は、(稲瀬毘古王に嫁ぎたまひき。)次に落別王は、(小月の山君、三川の衣君の祖なり。)次に五十日帯日子王は、(春日山君、高志の池君、春日部君の祖なり。)次に伊登志和気王は、(子無きに因りて、子代として、伊登志部を定めたまひき。)次に石衝別王は、(羽咋君、三尾君の祖なり。)次に布多遅能伊理毘売命は、(倭建命の后と為りたまひき。)この天皇、沙本毘売命を以ちて后と為したまひし時に、沙本毘売命の兄、沙本毘古王、その伊呂妹に問ひて曰く、「夫と兄と孰れか愛しき」と。答へて曰く、「兄を愛しぶ」と。

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