古事記 / 下巻・少子の舞と志毘臣
爾其一少子曰。汝兄先儛。其兄亦曰。汝弟先儛。如此相讓之時。其會人等。咲其相讓之狀。爾遂兄儛訖。次弟將儛時。爲詠曰。物部之。我夫子之。取佩。於大刀之手上。丹畫著。其緖者。載赤幡。立赤幡。見者五十隱。山三尾之。竹矣。本訶岐(此二字以音)苅。末押靡魚簀。如調八絃琴。所治賜天下。伊邪本和氣天皇之御子。市邊之押齒王之。奴末。爾。即小楯連聞驚而。自床墮轉而。追出其室人等。其二柱王子。坐左右膝上。泣悲而。集人民。作假宮。坐置其假宮而。貢上驛使。於是其姨飯豐王。聞歎而。令上於宮。故將治天下之間。平群臣之祖。名志毘臣。立于歌垣。取其袁祁命將婚之美人手。其孃子者。莬田首等之女。名大魚也。爾袁祁命亦立歌垣。於是志毘臣歌曰。意富美夜能。袁登都波多傳。須美加多夫祁理。如此歌而。乞其歌末之時。袁祁命歌曰。意富多久美。袁遲那美許曾。須美加多夫祁禮。
新字:爾其一少子曰。汝兄先儛。其兄亦曰。汝弟先儛。如此相譲之時。其会人等。咲其相譲之状。爾遂兄儛訖。次弟将儛時。為詠曰。物部之。我夫子之。取佩。於大刀之手上。丹画著。其緒者。載赤幡。立赤幡。見者五十隠。山三尾之。竹矣。本訶岐(此二字以音)苅。末押靡魚簀。如調八絃琴。所治賜天下。伊邪本和気天皇之御子。市辺之押歯王之。奴末。爾。即小楯連聞驚而。自床堕転而。追出其室人等。其二柱王子。坐左右膝上。泣悲而。集人民。作仮宮。坐置其仮宮而。貢上駅使。於是其姨飯豊王。聞嘆而。令上於宮。故将治天下之間。平群臣之祖。名志毘臣。立于歌垣。取其袁祁命将婚之美人手。其嬢子者。莬田首等之女。名大魚也。爾袁祁命亦立歌垣。於是志毘臣歌曰。意富美夜能。袁登都波多伝。須美加多夫祁理。如此歌而。乞其歌末之時。袁祁命歌曰。意富多久美。袁遅那美許曽。須美加多夫祁礼。
書き下し
爾にその一の少子の曰はく、「汝兄、先づ儛へ」といふ。その兄も亦、「汝弟、先づ儛へ」といふ。かく相譲る時、その会へる人等、その相譲る状を咲ひき。爾に遂に兄儛ひ訖へて、次に弟儛はむとする時、詠きて曰はく、「物部の 我が夫子が 取り佩ける 大刀の手上に 丹画き著け その緒は 赤幡を載せ 赤幡立てて 見れば五十隠る 山の三尾の 竹をかき刈り 末押し靡かす魚簀 調ふる八絃の琴の如く 天下治らしめしし 伊耶本和気天皇の御子 市辺の押歯王の 奴末」といふ。爾に、即ち小楯連聞き驚きて、床より堕ち転びて、その室の人等を追ひ出し、その二柱の王子を左右の膝の上に坐せて、泣き悲しみて、人民を集へ、仮宮を作りて、その仮宮に坐せ置きて、駅使を貢上りき。ここにその姨飯豊王、聞き歓びて、宮に上らしめき。故、天下を治めむとする間に、平群臣の祖、名は志毘臣、歌垣に立ちて、その袁祁命の婚はむとする美人の手を取りき。その嬢子は、菟田首等の女、名は大魚なり。爾に袁祁命も亦、歌垣に立ちたまひき。ここに志毘臣歌ひて曰はく、「大宮の をとつ端手 隅傾けり」。かく歌ひて、その歌の末を乞ひし時、袁祁命歌ひて曰はく、「大匠 拙みこそ 隅傾けれ」。
現代語訳
その一人の少年が、「あなたが兄だから、先に舞いなさい」と言いました。兄もまた、「おまえが弟だから、先に舞いなさい」と言います。このように互いに譲り合うので、集まっていた人々はその譲り合う様子を笑いました。そうして結局、兄が舞い終わり、次に弟が舞おうとするとき、こう詠いました。「武人である我が君が腰に佩く大刀の柄に、赤い色を塗りつけ、その緒には赤い幡を付け、赤い幡を立てて見れば、五十の山に隠れる、山の三尾の竹を刈り払い、先を押し靡かせる魚簀のように、八絃の琴を調えるように天下を治められた、伊耶本和気天皇(履中)の御子、市辺の押歯王の子であるぞ、わたしたちは」。これを聞いた小楯連は驚いて、床から転げ落ち、部屋にいた人々を追い出し、二人の王子を左右の膝に座らせて、泣き悲しみ、人民を集めて仮の宮を作り、そこにお住まわせて、早馬の使者を都へ送りました。叔母の飯豊王は聞いて喜び、二人を宮へ呼び寄せました。こうして天下を治めようとしていたころ、平群臣の祖、名は志毘臣が歌垣に立って、袁祁命が妻にしようとしていた美しい乙女の手を取りました。その乙女は莬田首らの娘で、名を大魚といいました。袁祁命も歌垣に立たれました。そこで志毘臣が歌いました。「大宮の端の方は、隅が傾いているぞ」。このように歌って、その歌の続きを求めたとき、袁祁命はこう歌いました。「大工の腕が拙いから、隅が傾いているのだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公十三年 晋の将帥、互ひに譲る十三年春、公晉より至る。孟獻子、勞を廟に書す。禮なり。夏、邿(し)亂れ、分れて三と為る。師、邿を救ひ、遂に之を取る。凡そ「取」と書するは、易きを言ふなり。大師を用ゐるを「滅」と曰ひ、地とせざるを「入」と曰ふ。荀罃・士魴卒す。晉侯、綿上に蒐して以て兵を治む。士匄をして中軍に將たらしめんとす。辭して曰く、「伯游長ぜり。昔、臣、知伯に習ふ。是を以て之を佐けたり。能く賢なるに非ざるなり。請ふ伯游に從はん」と。荀偃、中軍に將たり、士匄之に佐たり。韓起をして上軍に將たらしめんとす。辭するに趙武を以てす。又欒黶をしてせしめんとす。辭して曰く、「臣は韓起に如かず。韓起、趙武を上(たふと)ばんことを願ふ。君其れ之を聽け」と。趙武をして上軍に將たらしめ、韓起之に佐たり。欒黶、下軍に將たり、魏絳之に佐たり。新軍に帥無し。晉侯、其の人を難しとし、其の什吏をして、其の卒乘・官屬を率ゐて、以て下軍に從はしむ。禮なり。晉國の民、是を以て大いに和し、諸侯遂に睦まじ。
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『春秋左氏伝』襄公九年 上譲り下競ふ秦の景公、士雃(しけん)をして師を楚に乞はしめ、將に以て晉を伐たんとす。楚子之を許す。子囊曰く、「不可なり。當今、吾は晉と爭ふ能はず。晉君は能を類して之を使ひ、舉ぐるに選を失はず、官は方を易へず。其の卿は善に讓り、其の大夫は守を失はず、其の士は教に競ひ、其の庶人は農穡に力め、商工皁隸は業を遷すを知らず。韓厥老いたり、知罃(ちあう)稟けて以て政を為す。范匄は中行偃より少(わか)けれども之を上(たふと)び、中軍に佐たらしむ。韓起は欒黶より少けれども、欒黶・士魴之を上び、上軍に佐たらしむ。魏絳は功多きも、趙武を以て賢と為して之が佐と為る。君明らかに臣忠に、上讓り下競ふ。是の時に當りてや、晉は敵すべからず。之に事へて而る後に可なり。君其れ之を圖れ」と。王曰く、「吾既に之を許せり。晉に及ばずと雖も、必ず將に師を出さんとす」と。秋、楚子武城に師し、以て秦の援と為る。秦人晉を侵す。晉饑ゑ、報ゆる能はざるなり。
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『春秋左氏伝』僖公二十七年 郤縠を元帥に選ぶ冬、楚子及び諸侯宋を圍む。宋の公孫固晉に如きて急を告ぐ。先軫曰く、「施しに報い患ひを救ひ、威を取り霸を定むるは、是に於いてか在り」と。狐偃曰く、「楚始めて曹を得て、新たに衛に昏す。若し曹・衛を伐たば、楚必ず之を救はん、則ち齊・宋免れん」と。是に於いてか被廬に蒐し、三軍を作り、元帥を謀る。趙衰曰く、「郤縠可なり。臣亟其の言を聞けり、《禮》《樂》を說びて《詩》《書》に敦し。《詩》《書》は、義の府なり。《禮》《樂》は、德の則なり。德・義は、利の本なり。《夏書》に曰く、『賦納するに言を以てし、明試するに功を以てし、車服は庸を以てす』と。君其れ之を試みよ」と。乃ち郤縠をして中軍に將たらしめ、郤溱之を佐く。狐偃をして上軍に將たらしむ、狐毛に讓りて之を佐く。趙衰に命じて卿と為す、欒枝・先軫に讓る。欒枝をして下軍に將たらしめ、先軫之を佐く。荀林父戎に御し、魏犨右と為る。
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説苑・君道虞人と芮人と其の成を文王に質す。文王の境に入れば、則ち其の人民の士大夫と為るを譲るを見る。其の国に入れば、則ち其の士大夫の公卿と為るを譲るを見る。二国の者相い謂いて曰く、「其の人民士大夫と為るを譲り、其の士大夫公卿と為るを譲る、然らば則ち此の其の君も亦た天下を以て譲りて居らざらん」と。二国の者、未だ文王の身を見ずして、其の争う所を譲りて以て閑田と為して反る。孔子曰く、「大なるかな文王の道や、其れ加うべからず、動かずして変じ、為すこと無くして成る、敬慎恭己にして虞芮自ら平らぐ」と。故に書に曰く、「惟れ文王の敬忌」と、此を之れ謂うなり。
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史記 伯夷列伝伯夷・叔斉は孤竹の君の二子なり。父、叔斉を立てんと欲す。父卒するに及び、叔斉、伯夷に譲る。伯夷曰く、「父の命なり」と、遂に逃げ去る。叔斉も亦た立つを肯ぜずして之を逃る。国人、其の中子を立つ。是に於いて伯夷・叔斉、西伯昌の善く老を養ふを聞き、盍ぞ往きて帰せざらん、と。至るに及び、西伯卒す。武王、木主を載せ、号して文王と為し、東して紂を伐つ。伯夷・叔斉、馬を叩へて諫めて曰く、「父死して葬らず、爰に干戈に及ぶは、孝と謂ふ可きか。臣を以て君を弑するは、仁と謂ふ可きか」と。左右、之を兵せんと欲す。太公曰く、「此れ義人なり」と、扶けて之を去らしむ。武王、已に殷の乱を平らげ、天下、周を宗とす。而るに伯夷・叔斉は之を恥ぢ、義として周の粟を食らはず、首陽山に隠れ、薇を采りて之を食らふ。餓ゑて且に死せんとするに及び、歌を作る。其の辞に曰く、「彼の西山に登り、其の薇を采る。暴を以て暴に易へ、其の非を知らず。神農・虞・夏、忽焉として没わる。我、安にか適きて帰せん。于嗟、徂かん、命は之れ衰へたり」と。遂に首陽山に餓死す。
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『古事記』下巻・志毘臣の討伐と譲位爾に志毘臣、亦歌ひて曰はく、「大君の 心をゆらみ 臣の子の 八重の柴垣 入り立たずあり」。ここに王子、亦歌ひて曰はく、「潮瀬の 波折りを見れば 遊び来る 鮪が鰭手に 妻立てり見ゆ」。爾に志毘臣忿り恚みて歌ひて曰はく、「大君の 御子の柴垣 八節み結り 締まり廻し 切れむ柴垣 焼けむ柴垣」。爾に王子、亦歌ひて曰はく、「大魚よし 鮪突く海人よ 其が離れば うら恋しけむ 鮪突く鮪」。かく歌ひて、闘ひ明かし、各退きぬ。明くる旦の時、意富祁命、袁祁命の二柱議りて云ひしく、「凡そ朝廷の人等は、旦には朝廷に参赴き、昼は志毘が門に集ふ。亦今は志毘必ず寝ねたり。亦その門に人なし。故、今に非ずは、謀るべきこと難けむ」といひて、即ち軍を興し、志毘臣の家を囲みて、乃ち殺しき。ここに二柱の王子等、各天下を相譲りたまひき。意富祁命、その弟袁祁命に譲りて曰はく、「針間の志自牟の家に住みし時、汝命、名を顕さずは、更に天下に臨む君に非ず。これ既に汝命の功なり。

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